昨晩は床に就くと耳鳴りが頭の中がボワーンと広がり、寝るどころではなくなった。心の中にまで侵入して精神の制御が困難となり、跳び起きた。家の中を歩き回っても治まらず、発狂しかねなかったので、外に出た。空は満月だった。満月の夜にはドラキュラが出たり、潮汐に影響を与えるように、人の心を逸らせ、気が立ちやすいとよく言われる。世の中のどこか彼処で、何かが弾けたのに違いない。奇天烈な報告を待ちたいものである。ダウ暴落など些細な出来事であったろう。
このまま世界大恐慌に突入して、人が人を相喰む世相にまた逆戻りすればどう過ごすか、どう生き延びればいいのだろうか。道徳とか礼節がまだ通用しているのだろうか。食を確保しなければならないけれど、畑にする土地など持っていない。ならば、職を確保しておかなければならない。何としてもしがみついていないと、みな血眼になるだろうから、あぶれるだろう。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の世界が娑婆でも繰り広げられるだろう。
そういう場合にも精神を正常に保ものは詩歌の世界だろう。芭蕉は、旅に病んでも、夢は枯れ野を駆け巡らせた。私は、日雇ひに米寿も祝へず野垂れ死に、かな。
とにかく株券は意味を成さなくなるだろう。大半が紙屑になる。紙屑にならなくても、発行企業は耐えられず、安倍政権に倣ってシュレッダーに掛けるだろう。株券なんて今時発行していないと言うなら、やはり政府の先例に倣って、ハードディスクから記録を削除するに違いない。とにかく、衣食住の必需品以外、惰性で買っていた物は売れなくなるだろう。バッタバッタ企業が淘汰され、そこから新しい産業の芽が生まれ、新時代に突入していけばよい。ポスト・コロナの世紀の到来である。惰性で依存してきた原子力も化石燃料も不要になるかもしれない。地球環境に摩擦のない世の中になればよい。太陽が皆既日食によって隠れた隙に現れた超高温のコロナは、日がまた昇れば姿を消すだろう。
満つ月の
大日を蓋ひ
ころな舞ふ
悪しきを祓はば
元の輝き