寒い時季は厳しいけれど、朝散歩( morking )は夕散歩( evalking )に無い物が見付かることがあり、偶にはいいものだと気が付いた。神々しく白雪に覆われた初富士を拝むことができた。普段は気紛れにもモーキングなんかしないけれど、招かざる年賀状が届き、嫌々踏ん張って晩酌後に返信を書くと、渋々朝一でポストに出掛けた。途中、老婦人が玄関を掃除しているのを見掛け、新年のご挨拶をした。散歩ですかと尋ねるので、いやあ、数年前に知り合い全てに年賀状廃止宣告状を出したのに、もう忘れたのか未消去の住所録データを基に、いまだに紛れ込んでくるので、返事を出しに行くところですよと、迷惑そうに答えた。すると、彼女は深く頷き、そうね、私も今年85枚書いたのよと、げんなりした様子で言うので、ぶっ魂げた。それではお歳の数に迫るではないか!、というより、私の会社奉公時を上回ることに、畏敬の念を抱いた。亡くなった旦那様のお義理でなく、ご自身の付き合いですかと確かめたら、そうなの、学校のお友達とか、と微笑んでいた。日本の健全な社会の繋がりはこのように出来上がっていたのかと、遅まきながら気付かされた。それでも送っていない方から届いたので、5件は電話で済ましたのと付け加えたので、卒寿を超えて達者やなと感心した。社会の煩わしさを避けることと、竹林に独居する不安との狭間に心が揺れ動き、深く考えさせられた。腹立ちまぎれの年賀状は、
謹賀新年
旧年は敬虔な尊皇攘夷派としては、他人の結婚にケチを付けるバカ国民に愛想が尽きました。愛子さまの新年祝賀デビュー嬉しい限りです。
ゆく年や 白無垢着けず 嫁に行く
すめら御国も まことに寒し
新年は、国レベルでも個人レベルでも、隙あらばとか、人を蹴落としてもとか、世の中が益々さもしくなりゆく風潮の中、SNSなどの卑劣な言説に惑わされずに、春風駘蕩、悠然と過ごしたいものです。 令和4年元日
―という内容であった。
郵便局近くのコンビニに通り掛かり、ふと、いつも手作りばかりでなく、三が日くらい贅沢しても良かろうと、カップコーヒーを買った。やっぱりセルフだったけれど、許容範囲だった。ところが歩き始めて、家との距離が許容範囲ぎりぎりであることに気付いた。紙コップではチンができないので、ハンカチに包んで冷めないよう、大事に持ち帰った。急ぐと蓋の中で波が立った。一方で、尿気が不意に襲ってきた。ゆっくり歩くと間に合いそうにない。慌てるとコーヒーが零れそうになる。カップから漏れないようにすると、下から漏れそうになり、窮地に陥った。玄関脇にカップを置いて、鍵を開けるのももどかしく、まずトイレに飛び込んだ。殆んど間に合った。
白雪を
冠る初富士
角隠し
周りにいびられ
姿も隠す
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます