天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

7つの疑問

2021-12-19 09:57:18 | 日記
クリスマスが近づき、昨日は息子と娘宅にシクラメン鉢とMozのボアルームシューズなどに、お年玉を添えて贈った。本来、打ち止め宣言前なら年賀状の書き入れ時でもある。新聞折り込み広告も正月用品特別バージョンが入ったりする。買ったことがないブランド品の久保田純米大吟醸酒が1570円とあるから、正月だし張り込むかと、よくよく見ると720ml瓶なので止めた。他の銘柄も、別のスーパーも含め、広告品は全て720mlしか見当たらなかった。一升瓶は既に絶滅危惧種となったのか。酒豪の称号である一升酒が飲めなくなるではないか。相撲取りが困るだろう。彼らが720ml瓶からお猪口に注いでチビチビ飲んでいたら、弱くなる一方ではないかと心配になる。国際計量法条約で一升という単位が禁止されたのだろうか。それともSAKEの海外輸出が好調なので、ワインやウイスキー瓶と同じくらいの背丈に揃えて、レストランやバーの棚に入り切らない一升瓶を自発的に廃止しようとしているのだろうか。日本文化の衰退に危惧の念を抱かざるを得ない。
夕方散歩をいろいろ工夫して道筋を変えても、出発地点と到着地点が不変だから、景色にそんなに代わり映えがしなくて、すぐ飽きる。退屈しのぎに、古い歌謡曲や童謡を口ずさむことになる。きのうは不意に聞こえたカーの声とともに『鴉』を歌って、ふと疑問が湧いた。「可愛い七つの子があるからよ」の7つを、ずうっと7羽と思い込んでいたけれど、7歳とも読めるなと考えたりした。故志村けんさんが「カラスの勝手でしょ」と続けて、ギャグにしてしまったから、その疑問を追究するインセンティブが消し飛んでしまった。しかし、考えれば考えるほど難解なテーマである。自分なりに哲学的考察を加えようと決意した。まさかこんな馬鹿馬鹿しいことを気にする奴はいないだろうと思ったけれど、念のためネットをチェックすると、踊る阿呆だけでなく、考える阿呆も居た。まず、科学的に鴉の産卵は1度に3~5個なので、同じ巣に7羽は居ないと否定された。また年齢は、鴉の寿命が7年に及ぶのは滅多になく、まして7歳の子どもというのはあり得ないそうである。どちらも不自然なら、歌詞自体に問題があるのか。ところが、作詞者の野口雨情の先祖に当たるという古代豪族の物部氏に遡り、7つには特殊な意味が含まれているとの説も出ていて、専門的すぎて消化し切れなかった。凡人以下の常識でしか考察できない者が回答を求めるとしたら、単なる歌唱上の問題ではないか、としか思えない。鴉の歌を実際に、「可愛い」1つから2つ、3つ、と歌い比べていくと、7つが一番ぴったり来るのである。これが『通りやんせ』なら、7つでなくても、1つでも2つでも5つでもいいのだけれど、鴉の曲調では7つ以外は歌いにくい。和歌を作っていても、本当はこういう事を言いたいのだけれど、語調の流れに合わないと、意より音を優先して言葉を選ぶことがある。童謡なので意味に拘ることなく、調子よく唄えれば良いのである。『かごめかごめ』の歌の意味を真剣に探っても何も得られない。同じ阿呆なら、歌わにゃそんそん。

やまとうた 万づ言の葉 用ふれど 賎しきこころ 詠はざりけり

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