天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

2019-09-07 13:59:12 | 日記
 夏休みに娘一家から預かった猫の滞在が4週間近くになり、寝ようとすると布団に寄って来たり、トイレに起きると覗きに来たり、徐々に慣れてきた。最初は耳の後ろの毛を引っ掻いて禿げたり、後頭部が円形脱毛症になったり、心配したものだけれど、今ではおやつのおねだりをしたり、意思疎通が始まっている。ただ、抱っこはまだ落ち着かないようである。撫で撫でするとゴロゴロ鳴らすし、1年半前に旅立った愛猫同様、尻尾をしごくのが気持ちよさそうである。叩いたり、引っ張ったり、曲げたりしてやると、飽きずにいつまでも遊んでいる。しかし、振り返って目と目が合うとき、心が通じ合う量がまだまだ及ばない。人生の苦楽を共有してきた同志愛が育つことは、一代年寄のように、もう無いだろう。
 安倍首相がロシアに乗り込んでプーチン大統領と会ったというのに、「北方領土返還へ前進」に関する記事が一行も見られなくなり、遂に終わったかという感じがする。日本の各提灯新聞もお追従記事すら書けなくなった。東方経済フォーラムに出席して日本の対ロシア経済協力について安倍首相がビデオまで監修制作して滔々と演説したけれど、日本の読者に何の関心もなく、結局は代わり映えのしない内閣改造の話しか記事にならないのでは、北方領土を主要目標に掲げた安倍政権の継続の意味がないではないか。本気で取り返す気もないのに北方領土予算継続のためだけに運動する振りをするなというのが真意の丸山穂高議員の戦争発言を寄ってたかって嘲弄したけれど、風車に向かって戦いを挑んでいるのは、実際は周りの方だったという現実が浮かび上がってきた。
 中国山東省諸城県柴溝郷草泊村出身の劉連仁さんは1944年8月末に日本軍手配の者に拉致連行され、一時留置された青島港から同胞約800人と共に貨物船の船底に7日間閉じ込められ門司港に上陸。拉致被害者は4班に分けられ、劉さんらは一路、鉄道で北海道は留萌北東、雨竜郡沼田の炭坑に連行され、虐待されながら強制重労働させられた。明治鉱業昭和事業所の所属であった。拉致されたとき劉さんは31歳。両親と弟4人、妹1人に、さらに妊娠中の妻と引き裂かれた。早乙女勝元著『徴用工の真実 強制連行から逃れて13年』の記述はむごたらしく、真実を見たくなくなる。労働は過酷で食事は劣悪で制裁は酸鼻だったため、1945年7月、トラブルの隙に殺されるよりはましと同胞4人と共に脱走した。翌月の日本敗戦を知らずに、山や雪に洞穴を作って潜み、最後は1人になるまで13年余り逃げ延びた。対戦国中国に対してすらこれだから、併合韓国にはもっと強烈な実態だったのだろう。どう考えるんだと問われてもグッと詰まって答えが出ない。こんな極限の人類の姿を前にすると、同類として一人ひとり責任を負えと言われても、政府・軍部と人民を分離して、責任逃れをしたい誘惑にかられる。お侍さんが勝手に城を盗りあって、どっちが勝っても百姓の年貢は五十歩百歩だろう。紅旗でも白旗でもどっちの旗印でも変わりはない。今後、征服と抑圧の欲望を止めるのは、次回から開戦意思決定者のみが自ら戦闘を遂行する元亀・天正のお侍さん方式に戦争を限定する国際ルールを確立するのがいいのではないか。
 心にさざ波が立つとき、お茶を点てた。けさもだんだん上達してきたようである。やはり茶仲間の先達に美しい女性がいることは励みになる。
 昨晩は木星が月に接近し、束の間の恋を楽しんだ。自分にも夜空を焦がすような出来事が起きる前触れなのであろうか。

茶を点つる 心の渋み 耳を削ぎ
花は一輪 竹筒に挿す




彩音

2019-09-03 17:20:03 | 日記
 9月に入っても炎暑が続き夏に蓄積された疲労がドッと出て来そうな日が続くけれど、田中修著『植物はおいしい』(ちくま新書)によると、本日は夏バテの特効薬となる「クエン酸の日」だとか。夏バテの原因は①体温が上昇し、代謝が活発になることで、ビタミンやクエン酸が余分に費消される②発汗とともにカリウムやナトリウムなどのミネラルが排出され不足する③体温が上がるのを避けようと食欲がなくなる―ことの3点と指摘。そこで先ず、ビタミンとクエン酸を補給することを奨めている。クエン酸が豊富な食材の代表としてレモンと梅干を挙げている。
 こう暑いと家の内でも外でも何もやる気がしないので、卓球Tリーグの開幕シリーズ戦をビデオでおさらいし、気合のこもった雌叫びを聞いて元気を貰った。特筆すべきはTOP名古屋おとめピンポンズの森田彩音の目覚ましい活躍である。開幕戦で木下アビエル神奈川の石川佳純と堂々と渡り合って惜敗したものの、彩音ここに有りのお披露目をした。そのあと9月1日の日本生命レッドエルフとの戦いでは、早田ひなを破ったうえ、第5戦にもつれ込んだビクトリー・マッチで世界ランキング高位の田志希を圧倒してチームに勝利をもたらし、女子卓球界に新星現るの衝撃を与えた。スピード感溢れる切れの良いプレースタイルと、きりりと締まった真剣なまなざしが魅力であるけれど、個人的には、にしおかすみこに雰囲気が似ているところにグッとハートを鷲摑みにされた。あの強烈なスマッシュを鞭に持ち替えてびしっと打たれても厭わない気がする。
 びしっと打たれて萎れてしまうのは夏を過ぎた野菜畑である。トマトも元気がなくなり、商品価値が損なわれると、根から引っこ抜かれてしまう。中央政府の邪魔になる地方政府が間引きされるように。
 泉佐野市をふるさと納税の対象から排除した総務省の決定が良くないとの判定が出たので、気骨のある裁判所もあるものだと感心したけれど、よく読むと「国地方係争処理委員会」という第三者機関だった。今や政府の付属機関となっている司法・裁判所がそんなことあり得ないと思ったけれど、やっぱりそんな珍事が生まれるはずがなかった。大津事件で示された気骨など今や昔、日本が占領・アメリカ統治時代に裁判官は何をしても罪に問われないというバカげた憲法を押し付けられた結果、裁判官がだらけ切ってふやけてしまっただけでなく、政府の顔色を窺うようになって久しい。誰も正義、公正を期待していない。

ふるさとも 創成時代と 異なりて
知恵を出さずて 黙し従へ


The last leaf

2019-09-02 15:20:55 | 日記
 ハリケーン「ドリアン」の襲来によってフロリダが大変なことになりそうだとか。台風の風速40メートルでも強烈なのに、80メートルを超す超大型というから恐ろしさが想像もつかない。核兵器を使ってでも何とか抑えられないのかという気持ちに誰でもなりそうや。原子力開発だ、月に居住空間だ、と科学の力を喧伝する割には、こういう喫緊の課題には科学は無力やなあ。北朝鮮の核実験やタリバンの動きは逐一探査できるなら、台風のメカニズムを解明し、衛星監視により台風の目が発生した時点で誘導、壊滅できないとは、学者の怠慢ではないのか。それくらいのレベルなら国家予算など注ぎ込まずに、好事家の道楽に科学全般を任せた方が、地球住民福祉に効率的だと思う。
 去年の3月下旬、フロリダ州ホームランドから国道1号線に乗って島伝いにキーウエストまで往復し、まるで天空を走破するような痛快な思い出を作ったけれど、今やその橋がぐらぐら揺れそうな恐怖の岬になっているのやろうな。そのあと、名前が可愛らしいのでオケチョビー湖に寄ったけれど、今日はさぞ波が高く、展望ポイントの中之島なんかに渡れるはずもないと危惧してしまう。人生と自然の絡みでは、昨日と今日どころか、一瞬の違いで一変することをよく見聞きし、神を呪う不条理を感じる。川の氾濫で床上浸水され、死の恐怖も感じたのに、一瞬で水が退き出し、空が晴れ、何事も無かったかのように静寂が戻る時ほど、口惜しく、腹立たしいことはない。
 プライム・ビデオの名作劇場で『人生模様』がタダで見れた。O・ヘンリーの短編小説を原作に5話で構成されていた。オー・ヘンリーといえば、2年ほど前にラジオ英会話で、前の講師の遠山顕氏の時に、<英語劇場>として「警官と讃美歌」「賢者の贈りもの」の2話を放送していた。1行ごとに知らない単語が5つほど出てきて、聞く気を失くした。でも、映画だと字幕が出て、筋が分かった。「警官と讃美歌」にはマリリン・モンローが街の女のチョイ役で出てきて、予備知識がなくても一発で魅せられた。自分にもJ・F・ケネディー並みの眼力が備わっていることが確認できた。当時、外国女優で知っている名前はエリザベス・テーラーと2人だけだったけれど、セックス・シンボルとして名を轟かせた後の金髪モンローより、好ましい美しさだった。英語劇場の2話以外にも、「クラリオン・コール(新聞)」「最後の一葉」「赤い酋長の身代金」の3作が撮られていて、このうちクラリオン・コールでは若き日のリチャード・ウィドマークが小狡い悪党役を憎々しげに演じ、強烈なインパクトを受けた。栴檀は双葉よりと言えるけれど、後の大物も雑巾がけ時代があり、運に見放されればそのまま埋もれていたかもしれず、壁に後世まで名を残す偉人でも、元の葉はとっくに風に舞う風来坊が本人かも知れない。

風が来て 大き爪痕 残せども
水洗ひ去り まちの静けさ






秋色

2019-09-01 10:45:26 | 日記
 9月1日。防災の日か。いつまでも関東大震災に固定して、不磨の大典にしないで、東日本大震災の3月11日に移したらどうなんや。津波、原発への備えなど防災意識も時代に即応したものに変えていかなくては。
 カラスが道路で何やら啄んでいるので、見に行ったら、セミの羽の残骸が散らばっていた。夏が名実ともに去り、鳴き疲れて命尽きた果ての姿を見るに忍びないと、食物連鎖してくれたのか。
 中元から時間が経ったので、きのう梨を一箱、実家の兄に宅配で贈った。もう幸水はとっくに過ぎて、豊水だった。駅前では夏祭の出店が賑やかだった。雑踏を避けるため、回り道をしたら、他所の庭の柿の実が早や色づいていた。自然は頼まなくても秋の準備をしてくれている。しかし人生の秋については、四季の循環なのか、死期の行き止まりなのか、アラーム時計のように鳴らしてはくれない。ここが自然派と哲学派とで心の持ち用の異なる分岐点である。
 こういう時の移り目なので、卓球Tリーグを見るため加入していたdTVチャンネルを止めて、プライム・ビデオのTリーグ専用チャンネルに切り替えた。dTVは番組が豊富だけれど卓球以外見ないので、月末でもあり低料金の方を選択した。同時にこの際と思って、読み放題ネット・マガジンとか、何年も使ったことがない格安スマホ契約も解約した。何百冊読み放題と謳っていても、目玉記事を割愛していることがしばしばだし、週刊文春なんか唯一読む価値のある「淑女の雑誌」が非掲載とは。淑女無しの文春を誰が読むのか! と言っても、大した節約にならないけれど、年に一度使うか使わないかのサービスを面倒だからと放っておいても日本経済を底上げする意味にならないし、10月からの消費増税対策くらいにはなりそうである。こういうことを真似されると景気を冷やすかもしれないので、国民一般においては詰まらない消費を見過ごして、気楽な生活を続けてほしいと思う。

秋来ぬに 色づく柿の実 妬ましや
種を来む世に 宿すべかめり