ICT工夫

全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
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2月のアクセス、危機への予感

2012-03-01 11:26:05 | インターネット

Log20120229 2011年に2月のアクセスとして残した記事があり、平常時として書く内容は同じようなものになるので省きます。
昨年2月に情報を整理した時には、迫りくる3.11人災は予感も無かったのですが、その後、私のブログはハチャメチャに乱れることになりました。年度末仕事が一段落したら1年を振返って整理しておきたいと思っています。

今年2月に気にかけていたことは、(1)小沢一郎さんの裁判で証拠採用がどうなるかでしたが、2月17日には検察調書などの不採用が判断されました。ネットには多数の記事がありますので、私はそれらを手元に記録しただけでブログ記事にはしませんでした。しかし、未だこの先はわかりません。4月に判決と伝えられていますが、その時に裁判官がどんな判断を下すかは闇の中です。石川知裕さん達の陸山会裁判判決のように推認の積み重ねで裁けるのです。

(2)明野処分場の抗議活動差し止め審理の結果に関心を持っていましたが、2月29日に甲府地方裁判所は住民の抗議行動の禁止を命じる仮処分を出したと報じられました。私には「想定内」です。世俗を超越して証拠と六法全書にのみ基づいて判断するのが裁判所なら、世俗の中で自分の立ち位置を考え判断するのも裁判所でしょう。何ごとでも自由な言論を封じようとする流れには注意していくべきです。

関心をもって見ている事は未だいろいろありますが後日にします。3.11からの一年間で私自身もかなり様変わりしたように自分で感じています。
先日、被災地の知人から震災後のいろいろな想いを書いたメールを貰いました。その返信で私は書きました・・・個人を批判するよりシステムを考察すべき。名指しで批判できるのはシステムのトップに立つ人間に対してだけだし、そういう人も旧来のシステムの中で問題に気付かずに動いているだけなのかも知れないのだから、私達が考えるべきはシステム(体制)がこれで良いのかどうか、どのように変えるべきという事でしょう・・・というような内容のレスになりました。

タイトルにいれた危機への予感は甲府や山梨ではありません、ここは実感レベルで、予感するのは東京や近県に居る身内の子供たちのことです。私は彼、彼女たちがそれを考えられるように、県外出張の時には立ち寄って話を続けたいと思っています。私に残された時間は少ない。