齋藤信幸のロングステイ!米国・カナダ・中国・台湾・韓国・フィリピン・イタリアなどへの旅行体験やカミサンポをご紹介 

60歳を過ぎてそこそこのお金とほぼほぼ時間のある今、長期旅行に挑戦しましょう。そして大切な妻とカミサンポ。

まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(9)- ソウルフード - 名前に騙されるな

2024-09-27 23:19:26 | アメリカ西部
チキン・フライド・ステーキ(Chicken Fried Steak)

鳥の胸肉を叩いて平たくのばして衣を着けて揚げた米国南部お得意のフライドチキンの延長線上の料理

かと思ったが・・・・・・





さて、そのチキン・フライド・ステーキとは。

そもそも鶏肉ではなく牛肉で、その牛肉に衣をつけて揚げたもの。

レシピがフライドチキンに似ていることからそのような名前が付いたそうな。紛らわしい!!

その起源は19世紀にドイツあるいはオーストリア移民がウィンナーシュニッツェルのレシピを持ち込んだことにあるといわれている。

ウィンナーシュニッツェルは、仔牛肉をミートハンマーで叩いて薄くし、細かいパン粉を付けて揚げたもの。

確かに同じだ。

グレイビーソース(写真上)やコショウの利いたミルクグレイビー(写真下)を添えて提供される。

オクラホマ州のみならずテキサス州も含めた米国南部の料理。

最近、似たようなソースがのった冷やし中華を食べた。



BUTA KINの冷やし中華。米国南部料理ではないらしい。

これも絶品。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(8)- あとは何がある

2024-09-21 23:09:32 | アメリカ中部
オクラホマといえば、竜巻街道、ルート66、それにまつわるスタインベックの『怒りの葡萄』、先住民族の本部・・・・・

その他、ショッピングカートを発明したといわれる地元スーパーの経営者シルヴァン・ゴールドマン。

1995年に起きたテロ、168名が犠牲になったオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件。その慰霊碑などがある公園。





オクラホマシティの国立カーボーイ&ウエスターン・ヘリテージ博物館(National Cowboy & Western Heritage Musium。

自然の雄大さはロッキー山脈以西の州にはかなわないが、オクラホマシティの南西約100マイル(160キロ)のところにあるウィチタ・マウンテンズ国立野生動物保護区(Wichita mountains wildlife refuge)は多くのYoutubeで紹介されており、アメリカンバッファローなどの野生動物に会えるそうだ。

その保護区の入り口の町メディスンパーク(Medicine Park)は、1908年、オクラホマ州上院議員になりたての若て弁護士、エルマー・トーマスによって設立されたリゾート。

2018年、エクスペディアがメディスンパークを「...アメリカで5番目に美しい町」に選出。

ただ、メディスンパークは人口410人ほどの小さな町。

Youtubeで見る限り、繁忙期に行かないと閑散としているようだ。



オクラホマには、メディスンパークのような小さが趣のある町がいくつかある。

例えば、Ada, Eufaula, Claremore, Bartleville, Sulphur, Pauls Valley, Broken Bow, Guthrie, Perry

日本で言えば小京都と呼ばれる町々。

オクラホマだけ旅行するなら、これらの町を訪ねてオクラホマ州を一周するのもよいであろう。

さて、来週はオクラホマのローカルフード。

<旅費が貯まるまでは、近隣で。『武蔵野・ロストハイウェイ』重版おめでとう>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(7)- 「俺たちに明日はない:ボニーとクライド」

2024-09-15 23:37:07 | アメリカ中部
オクラホマシティからルート66でシカゴ方面に向かい、ミズーリ州の玄関口にあるのがジョプリン。

<写真右上の青い丸がジョプリン:Joplin>


この町のルート66沿いの古い町並みは、The National Register of Historic Places に登録された建物が沢山残る。

この街には「ボニー&クライド」のような無法者達が住み、ここを拠点にあちこちで強盗を働いていた時代があった。

車を使う彼らにとってルート66は必須の道路であった。テキサスやオクラホマ、ミズーリ、イリノイあたりで暴れまくったのであろう。

また、当時、警察は州をまたいでの捜査はできなかったため、州境の町ジョプリンは便利な町だったといえる。

先の「ボニー&クライド」は、ボニー・パーカー(1910年10月1日 ~1934年5月23日)とクライド・バロウ(1909年3月24日 ~1934年5月23日)の実在したカップル。

当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌のもとにあり、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪犯であるにもかかわらず、新聞も含めて英雄視。

<ルイジアナ州で射殺された際の新聞記事>


死後33年たった1967年公開の映画「俺たちに明日はない(原題:Bonnie and Clyde ボニー&クライド)」で彼らの生きざまが描かれている。

<映画化されたBonnie and Clyde。ウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイが主演>


<日本の漫画「武蔵野 ロストハイウェイ」は日本版Bonnie。ちょっと無理がある>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まだ見ぬアメリカ - オクラホマ州(6)- ルート66のマニアックな楽しみ方

2024-09-07 23:47:58 | アメリカ中部
ルート66も色んな楽しみ方がある。

国道66号線は、1926年に国道の1つとして創設。
https://blog.goo.ne.jp/admin/entries
英語的に言いやすく、聞きやすいという理由でゾロ目の番号66があてられた。

1927年、オクラホマ州タルサに国道66号線協会が発足、国道66号線の舗装促進、利用者増加を目指した。

同協会の働きかけにより、1938年、国道66号線は全米の国道で初めての舗装道路となった。

一方、国道66号線の衰退は、1956年、アイゼンハワー大統領が連邦補助高速道路法に調印したことにより始まった。

1953年、国道66号線の初のバイパスとなるターナー・ターンパイクがオクラホマ州タルサ~オクラホマシティ間に開通。

全長88マイル(141km)におよぶこの有料道路は国道66号線と並行し、沿道の町を迂回して走っていた。

このバイパスは1957年にウィル・ロジャース・ターンパイクとつながり、タルサ~オクラホマシティ両市とミズーリ州の州境の町ジョプリンとを結んだ。

このウィル・ロジャース・ターンパイクも、国道66号線に並行し、沿道のオクラホマ州北東部やカンザス州内の町をバイパスして走った。

映画「カーズ」で描かれたルート66の衰退の始まりだ。

<Oklahoma CityからTulsa、Joplinへとつながる緑の道路がバイパス(ターンパイク)>


<よく見るとルート66が並行して走っているのが分かる>


日本からオクラホマシティに到着し、ルート66を楽しむなら、上記のバイパスで一気にジョプリンまで北上。

そこから国道66でのんびりも戻るコースが良さそうだ。

往復するのは無駄なような気もするが、旧道と新道を使い分けることにより、ルート66の歴史を味わえる。

なんてことを考えながら地図をみて妄想旅行を楽しむ夏いや秋の夜。

そこに知人から電話。

彼女と別れ、「別の女性」と傷心旅行。それもルート66へ。くそ~!

<これはルート66ではなくニューメキシコのタオスへ向かう道。道路標識を見るだけでもアメリカを感じる>


<何もなくても良い。思いっきり走れれば>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする