ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

今日よりぞ幼な心をうち捨てて、そして、アッキーの勝ち!

2013年10月28日 | エッセイ

 (桔梗……長い間、次々咲いたが、名残の一輪か)

 読売新聞10月27日(日)から

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<その1>誕生日を迎えられた皇后さまへの取材記事 

 「前の御世からお受けしたものを、精一杯 次の時代まで運ぶものでありたいと願っています」。

 「運ぶもの」との表現に、人々のために祈るという伝統を継ぐ営みの重みを感じた、と記者は書いている。

 皇后さまが運ばれたものを、この地上から失われてしまわないよう、受け継いでほしいと願う。

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<その2>日曜版 「 名言巡礼 」(文:高野清美)

   萩にあった長州藩藩校「明倫館」。少年時代の吉田松陰も通った。その藩校の跡に立つ萩市立明倫小学校では、81年から、毎朝、児童は松陰の言葉を朗誦する。

 1年生の1学期は、「今日よりぞ/幼な心を/うち捨てて/人と成りにし/道を踏めかし」。

 3学期には、「親思ふ/こころにまさる/親心/けふの音づれ/何ときくらん」。

 柳林浩一校長(55)は、「 今は意味がわからなくても、ある程度の年齢に達したとき、ストンと胸におちるものがあると思います」。

 萩市の小学生では、4年になると、『松陰読本』で吉田松陰の生い立ちや事績を学ぶそうだ。俳優の岡本新八氏(65)は、在校中に配られた初版本を「私の宝物」と言う。

 「今日よりぞ/幼な心を/うち捨てて/人と成りにし/道を踏めかし」。                     

  少子化の今の時代、小学校1年生には厳しいかもしれない。

  三重苦の少女、ヘレン・ケラーは本能のままにただ粗暴に生きていた。家庭教師のサリバン先生の強引な働きかけで、ある日、ついに「言葉」(「水」=ウォーターという言葉)の存在を知る。

 のちに彼女は、あの時(言葉の存在に気づいた時)、自分の暗い魂に突然、太陽の光が差し込んだような感激を覚えたと言っている。そのときから、彼女は「人」として、知性や感性を育みながら豊かに生きていくのである。

 人は、「人」の中で、「文化」を吸収して、「人」=大人に成っていく。

 小学校に入ったら、わがままを捨てて、凛とすることを教えなければいけない。

 甘やかされ、本能のままに、騒いだり、泣いたり、ごねたり、教師にたてついたり、いじめたり、暴力を振るったりする、そういうわがままを、人間らしくない態度や行動であるとして、矯正し、立派な大人になろうと志すようしむけることが、教育の第一歩である。

 そもそもまず親が、子供の心に、そういう心構えをもたせた上で、小学校の入学式を迎えさせるべきである。それが、文化共同体の一員である大人の役目である。個人主義や、自由の基盤には、市民精神がなければいけない。

         ★

 同じ日の、同じ読売新聞の書評欄に岩村暢子という人の『日本人には二種類いる』(新潮新書)という本が紹介されていた。

 その紹介によると、日本の高度経済成長が軌道に乗り始めた1960年の前か後かで、日本人はまったく変わってしまったのだそうだ。

 著者は、カンで言っているのではない。長年に渡って、日本人の食と家族の調査研究を続けてきた結果だそうだ。

 「育児書を読む母親に育てられ、子供中心の思想で幼稚園教育を受け、ハンバーグやサラダなどの洋食を食べる」。

 一言、余計なことを言えば、ハンバーグは日本と同じように料理の伝統のあるヨーロッパの食物ではないから、「洋食」というよりも「アメリカ食」である。

 ともかく、二種類のうちのあとから出てきた日本人。その日本人が親になって育てた、さらにその次の世代の子供たち。その子供たちに対して、上記の小学校では、1981年から、松陰先生の言葉を一つずつ暗唱させるようになった。

 こういうことは、かなりの勇気がいる。その勇気に、拍手を送りたい。

  かつて萩の町を訪れたとき、静かな古い家並みに、維新の青春が匂ってくるような感覚を覚えた。

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<その3>「どん底で得た『自然体 』」……安倍昭恵氏 への取材記事

   別の角度から、同じ日の、同じ新聞。

 安倍昭恵氏とは、安倍首相の奥さん。第一次の安倍内閣のときにファースト・レディとしてデビューし、長身で、ちょっと可愛い人という印象があった。アッキーと呼ばれているらしい。

 第一次安倍内閣のときは、ファースト・レディとして、「 日本人女性の代表として批判されないように、ということばかり考えていた」そうだ。

 安倍さんが二度目の首相になったとき、昭恵夫人は居酒屋を始めていた。そのことを新聞、雑誌が書き立てた。何しろ、 ジャーナリズムの半分近くは、韓国、中国を巻き込んででも、とにかく安倍さんを引きずり下ろしたいと思っている。

 2007年の突然の安倍首相退陣のあと、安倍さんも失意の日々だったが(安倍さんの場合、そのつらい日々があって、今日がある)、昭恵夫人も「世間の批判の目にさらされたくないと、家にこもりっきりになっていたこともある。そんななか、知人の誘いに応じて、故郷の下関市で無農薬のコメ作りを始めた 」。

 そのことが、立ち直るきっかけになったそうだ。「主人も私も ”どん底” を見た。ここからが自分の人生だと思った 」。

 今は、東京でも農園の一画を借りて無農薬野菜を作っている。そして、故郷の無農薬のコメや、自分が作った野菜を料理して提供する居酒屋「UZU」を始めた。1年やってまだ赤字だったらやめるという、首相との約束だったそうだが、続けることができるそうだ。

 今は、前回のときのファースト・レディ像ではなく、新境地を探す毎日だそう。

 しかし、賛否は承知で、自然体を貫こうと考えている。

 「窮屈に生きている人が私を見て、『型を破っていいんだ』と思ってくれれば、それはそれで役割を果たしているかな。無責任な形でなければ、『正しい』『やりたい』と思ったことをするのは、間違っていない。あまり恐れず、ガンガンいきたいですね 」。

   ミャンマーに学校を建てるNPOでも活躍している。

 昨夜は、首相公邸で、外国の要人2人を招いて、夕食会をもったそうだ。

 やはり、自分を大切にしながらも、ファースト・レディとしての仕事も考えて、一生懸命がんばっている。

 テレビの映像で見たが、先日の各国の首脳が集まった国際会議の写真撮影の場。韓国の李大統領の横にたまたま昭恵夫人が立ち、さらにその横に安倍首相が立った。そのとき、昭恵夫人は、何の屈託もない笑顔で隣の李大統領に話しかけ、それを見て、首相もにこやかに李大統領の方を見た。

 身長の低い李大統領の表情は一瞬しか見えなかったが、アッキーにつられて笑顔を見せていた。

 「アッキーの勝ち!」 と思いましたね。

 人の上に立つ人は、「晴朗」さを感じさせる人でなければいけない。

 これは、古代ローマ史やヴェネツィア史を通じて、数々の歴史上のトップリーダーを描いてきた塩野七生氏の言葉である。

  安倍さんも、昭恵夫人も、それがありますね。 賢いけど、爽やかです。 (了)

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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