4月上旬、桜のシーズンを迎えたときの散歩の写真をいく枚か掲載する。
うららかな陽気に誘われて、いつもとはちょっとコースを変え、旧村の方へ足を伸ばした。
( 畑の桜 )
あちらにも、こちらにも、椿や桜が咲いて、それが青空に映え、今さらながら「日本の春」はいいなあと思う。
自宅の家の前の畑で農作業をする人も。
( 石垣の農家の桜 )
江戸時代の庄屋さん級の立派なお屋敷もある。
( 立派なお屋敷 )
先日、近鉄特急に乗って、お伊勢さんに参拝した。その折、上六から伊勢へ向かう車窓風景を眺めていて、思った。
列車が大都会の大阪から、やがて緑豊かな奈良県に入って、三重県に至るのだが、車窓を流れる大和の農村風景がいかにも豊かなのである。大小の農家の家ものいずれも、構えがしっかりしており、村里、山里のそこここに古木の桜が今を盛りと咲き誇って、目を楽しませてくれた。
遠い昔、奈良に都があった時代、大和は国のまほろばだった。
平安時代になって都が山城の国に遷されても、大和の国には朝廷に重んじられた有力寺社が数多く存在し、開明的な土地であり続けた。
やがて世は武士の時代になったが、大和の国に守護職は置かれず、興福寺がその役を担ったという。
250年続いた江戸時代も、大和の国は徳川譜代の大名や幕臣によって分割統治されていた。
平安時代以後、華やかな京都、武士の鎌倉や、町人の大坂、天下の諸大名が邸を構えた江戸の陰に隠れて、大和の国にこれという商業都市は誕生せず、農業と林業と、寺社仏閣に頼って生きてきた国であったが、気候も温暖、災害も少なく、何よりも統治者に恵まれ、経済的にはそこそこ豊かに歩んできたのであろう。
( 山里の満開の桜 )
桜は、青空を背景に、静かに、うららかに咲いているのが良い。見物者が増えると、俗なるものになる。
或いはまた、やわらかい緑にも、映える。
( 竹藪に桜 )
桜がなくても、竹林は、透過光をうけて、爽やかだ。
( 春の竹林 )
ぐるっと回って、いつのまにか、いつもの小さな、人けのない神社にやってきた。
( 八幡社 )
神社とは、本来、木々の鬱蒼とした杜であった。社が造られるようになったのは、ずっと後世のことだ。
里の春は、まことに神々の宿る春である。