ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

里の春 … 散歩道 7

2014年04月22日 | 随想…散歩道

 4月上旬、桜のシーズンを迎えたときの散歩の写真をいく枚か掲載する。

 うららかな陽気に誘われて、いつもとはちょっとコースを変え、旧村の方へ足を伸ばした。

      ( 畑の桜 )

 あちらにも、こちらにも、椿や桜が咲いて、それが青空に映え、今さらながら「日本の春」はいいなあと思う。

 自宅の家の前の畑で農作業をする人も。

      ( 石垣の農家の桜 )

 江戸時代の庄屋さん級の立派なお屋敷もある。

   ( 立派なお屋敷 )

 先日、近鉄特急に乗って、お伊勢さんに参拝した。その折、上六から伊勢へ向かう車窓風景を眺めていて、思った。

 列車が大都会の大阪から、やがて緑豊かな奈良県に入って、三重県に至るのだが、車窓を流れる大和の農村風景がいかにも豊かなのである。大小の農家の家ものいずれも、構えがしっかりしており、村里、山里のそこここに古木の桜が今を盛りと咲き誇って、目を楽しませてくれた。

 遠い昔、奈良に都があった時代、大和は国のまほろばだった。

 平安時代になって都が山城の国に遷されても、大和の国には朝廷に重んじられた有力寺社が数多く存在し、開明的な土地であり続けた。

 やがて世は武士の時代になったが、大和の国に守護職は置かれず、興福寺がその役を担ったという。

 250年続いた江戸時代も、大和の国は徳川譜代の大名や幕臣によって分割統治されていた。

 平安時代以後、華やかな京都、武士の鎌倉や、町人の大坂、天下の諸大名が邸を構えた江戸の陰に隠れて、大和の国にこれという商業都市は誕生せず、農業と林業と、寺社仏閣に頼って生きてきた国であったが、気候も温暖、災害も少なく、何よりも統治者に恵まれ、経済的にはそこそこ豊かに歩んできたのであろう。 

    ( 山里の満開の桜 )

   桜は、青空を背景に、静かに、うららかに咲いているのが良い。見物者が増えると、俗なるものになる。

 或いはまた、やわらかい緑にも、映える。

       

      ( 竹藪に桜 )      

 桜がなくても、竹林は、透過光をうけて、爽やかだ。

     ( 春の竹林 )

 ぐるっと回って、いつのまにか、いつもの小さな、人けのない神社にやってきた。

     ( 八幡社 )

 神社とは、本来、木々の鬱蒼とした杜であった。社が造られるようになったのは、ずっと後世のことだ。

 里の春は、まことに神々の宿る春である。

 

 

 

 

 

 

 

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