( ブリュッセルのグラン・プラス )
< ブリュッセルでワッフルを >
ベルギーの首都ブリュッセルの中心は、グラン・プラス(Grand Place)。ヴィクトル・ユーゴーが「世界で最も美しい広場」と称賛したとか。
ナポレオンは、ヴェネツィアのサン・マルコ広場に立って、同じことを言った。
私は、ナポレオンの美的センスに軍配を挙げるだろう。
グラン・プラスは確かに豪華だが、悪く言えば成金趣味のゴテゴテ感が強い。人出が多く、それも繁華街の賑わいだ。
キャサリン・ヘップバーン主演の映画『旅情』の舞台となるような、ちょっと切ない大人の恋が生まれそうな風情はない。
ベルギーやブリュッセルを悪く言うつもりはない。美的センスにおいて、ヨーロッパのどこも、フランスでさえも、イタリアにはかなわないのだ。
( グラン・プラスの市庁舎 )
広場の四面を囲んで、ギルドハウスの立派な建物が並び、市庁舎や、「王の家」と呼ばれる元公爵邸もある。
元は船頭の同業組合とか、油商の同業組合だった建物も、今はブランド品を売るオシャレな店になっている。ベルギーと言えばチョコ。ゴディバの店もある。
広場を抜けて、200mほど商店街を歩くと、小便小僧の像。大変な数の観光客が取り囲み、一緒に写真を撮っている。今日は、地雷除去に従事していた。
もう少し楽しい服を期待していた。つい、人権のヨーロッパ、正義はいつもヨーロッパにあり、という臭みを感じる。
( 小便小僧 )
商店街を歩いていると、ワッフルを焼いて売る店があったので、本場のワッフルを立ち食いした。
ベルギーのワッフルは固いのと柔らかいのがあるそうで、柔らかいワッフルだった。
うーん。天王寺駅構内のベルギーワッフルの店「マネケン」の方が、断然旨いですね。
ウィーンのハブスブルグ家御用達だったというカフェで食べたケーキも、大きくて甘いけれども、日本のケーキ屋さんの方が上品で、良い味だと思う。どうなっているのでしょう??
バスの駐車場へ戻る道に、サン・ミッシェル大聖堂があった。この教会でカールⅤ世は戴冠式を行った。今も、歴代ベルギー国王の結婚式はここで挙げられることが多いそうだ。
( サン・ミッシェル大聖堂 )
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< ベルギー王国のこと >
ベルギーの正式の国名はベルギー王国。国家としての歴史は浅く、独立を宣言したのは1830年である。
BC1世紀にガリア遠征したユリウス・カエサルが、『ガリア戦記』の中で、この地に居住する人々をベルガエ族と呼んだ。これが国名の起源ではないかと言われている。
スペイン・ハプスブルグのフェリペⅡ世が統治していた1568年、ネーデルランドの全17州が独立戦争に立ち上がった。
新教のカルヴィン派の多かった北部7州は、80年に渡る血みどろの戦争を戦い抜いて、1648年に独立を果たした。これがオランダである。
他方、カソリック信徒の多かった南部諸州は結局挫折して、スペインの支配下に留まった。
その後、ナポレオン戦争のときに、ヨーロッパはぐちゃぐちゃになる。(オランダもナポレオン軍に占領され、当時、オランダ国旗が翻っていたのは、長崎の出島だけだったらしい)。その戦後処理で、南部諸州は、オランダにくっ付けられてネーデルランド連合王国に再編された。
その15年後、ネーデルランド連合王国からの独立を宣言し、翌1831年にドイツ系の貴族を初代国王に迎えて、ベルギー王国を樹立した。
野のものとも山のものとも分からない独立したばかりの小国の国王になることは、なかなかの冒険である。だから、国民は迎えた国王を大切にする。国王の方も、縁もゆかりもない国の王に迎えられたのだから、国民や議会に遠慮もあり、配慮もする。
ただし、国家元首である国王は、議会とともに立法権をもち、内閣とともに行政執行権ももつ。ただし、首相の連署を必要とする。ここは用心深く、押さえている。
一度だけ、国王が、妊娠中絶の合法化に反対して、法案への署名を拒否したことがある。このときは、国王を「統治不能状態」ということにして、内閣が代行した。一時的に「座敷牢」に入れたというか、国王自ら一時的に「座敷牢」に入られたということか。とにかく立憲君主制は守られた。
人口1100万人ほどの小さな国だが、北部と南部との間に、経済格差と民族的対立を抱えている。
北部はオランダ語のベルギー方言であるフラマン語を話し(フラマン人)、南部はフランス語を話す(ワロン人)。歴史を遡れば、ゲルマン民族大移動時の4世紀にその淵源があるというのだから、根は深い。
独立当時は、南部が裕福でフランス語が公用語だった。今は、北部の方が発展目覚ましく、南部は失業率も高い。現在、公用語はフラマン語とフランス語の2つ。1993年には憲法を改正して、連邦制に移行してしまった。
宗教は、カソリックが75%、プロテスタントが25%。ちなみに王様はプロテスタントである。
最近の調査ではイスラム教徒が増えている。首都ブリュッセルで生まれる子どもの名前で一番多いのは、マホメットだという。これもまた、ヨーロッパが直面しているもう一つの現実である。
ベルギーはEUを主導してきた国の一つで、今、ブリュッセルはEUの首都と言われる。
EUは、国家を超えて、アメリカ合衆国に対抗できるくらいの経済圏をつくろうという動きであり、また、ローマ帝国崩壊後、戦争ばかりしていたヨーロッパに平和を現出しようという願いも込められている。
しかし、国家を超えたEUをつくろうとという動きの一方では、それぞれの国家をさらに小さく分裂させようとする運動もある。例えば、英国にスコットランドの独立問題があり、スペインにバルセロナを中心とするカタルーニア州の独立問題があり、イタリアでもミラノを中心にした北部に独立運動があり、EUの中心、人口わずか1千万少々のベルギーにさえもこのように強い遠心力が働いている。
このような西欧社会に何百万人というイスラム教徒の難民・移民を受け入れて、いったいどうなるのだろうと、私などには思えてしまう。