( セント・ニコラス要塞と満月 )
ロードス島滞在中に、月が満月になった。マンドラキ港に昇った月下の埠頭で、少女が二人、兎のように跳びはねていた。
もうすぐ大人よ、と言いたげなおしゃまな二人でした。
( マンドラキ港の埠頭 )
★ ★ ★
< 神々の伝説の海・エーゲ海 >
前回述べたように、この旅のメインテーマは、ヨハネ騎士団のロードス島。
だが、それとは別に、サブテーマが2つある。
ロードス島に行くと決めてからいろいろ調べているとき、これをサブテーマの1つに、と思うようになったのが、「エーゲ海」。
エーゲ海の海。エーゲ海の島々ではなく、海そのもの。
かつて、ベネツィアに行ったとき、わざわざリド島を歩いて横断しアドリア海を見に行った。オーストラリアのパースに行ったときは、列車に乗ってインド洋を見に行った。スペインでも、ポルトガルでも、大西洋を見に行った。
海は海だが、それぞれに感じるものは異なる。
そうはいっても、日本人だけでなく世界の旅行者にとって、エーゲ海のイメージは、紺碧の海、そして、白い壁の家々がびっしりと並ぶサントリーニ島やミコノス島の景色であろう。
私もこの旅の計画を立てはじめたとき、ロードス島以外にもう一つ、サントリーニ島かミコノス島に寄ってみたいと考えていた。
だが、例えば、エーゲ海の島の中で一番人気のサントリーニ島は、イアの断崖から夕日を見ようと世界中の人々がやってくる。そのため、夕方のイアの断崖の上は、まるでPLの花火大会のようだ。夕日が沈み、日が暮れて、ホテルに帰るときには、路線バスに乗るのも大変らしい。…… そういうことを知るうちに、もともと人の多いところに行くのが苦手な私は、そんなにまでして見る価値のある夕日って、あるのだろうか?? と疑問に思いはじめた。海に沈む夕日の名所は、日本にもいくらでもある。名所のそばには、鄙びた温泉もある。
それに、…… 今回はツアーに入らない自力の旅だから、『地球の歩き方』だけではとうてい情報不足で、ネットを開いて多くの旅人たちの旅のブログを参考に読んだ。読んでいると、サントリーニ島は、最近、白い家々の路地という路地を中国人観光客がぞろぞろ歩き、青いドームの小さなチャペルで結婚式を挙げているのも中国人カップル。景色を写真に写しても、カメラを構えて互いに撮り合う中国人観光客が入ってしまう、と書いてある。何しろ彼らは、周りの人に気を使うということをしない。
今は、パリもウィーンもアムステルダムも中国人観光客だらけだ。最近、讀賣新聞に、アムステルダムの住民の中には、「ここはもうアムステルダムではない。通勤に時間がかかっても仕方ない」と、別の小都市に住居を移す人が出てきたという記事が載っていた。中国の人口はEUの人口の2倍を遥かに超える。豊かになった中国人が旅をしていけないわけではない。しかし、こちらも、中国人旅行者を見るためにヨーロッパを旅行するわけではない。
そういうことで、他の島によることはあきらめて、ロードス島にしぼることにした。その結果、アテネとロードス島にゆっくりと連泊する、気分的にのんびりした旅になった。
ロードス島は、日本人にとってもローカルな島である。ブログ(複数形)によれば、欧米からの観光客やリゾート客は多いが、中国人はいうまでもなく、日本人観光客にもほとんど会うことがないらしい。
今、世界的にクルーズツアーが大流行だから、日本からのこの方面へのツアーも、サントリーニ島やミコノス島やクレタ島に寄港し、中にはロードス島にも寄る「エーゲ海クルーズ」を組み入れたツアーもある。だが、それも、朝、ロードス島に入港して、日中、ざっと観光し、夕方にはもうフェリーに戻って、夜、次の島へ向けて出航する。
だから、わざわざロードス島を目指して訪れる数少ない日本人のほとんどは、『ロードス島攻防記』を読んだ塩野ファンらしい。ブログを読んでいると、そういうこともわかってきた。
私がサブテーマの1つを「エーゲ海」としたのは、奇岩絶景のエーゲ海でも、気候温暖なリゾートとしてのエーゲ海でもなく、ヨーロッパ文明の発祥の地であった歴史的な海、古代ギリシャからヘレニズム時代を経て古代ローマへと続く文明のあけぼのの海、神々の伝説の海を、ただ自分の目で見たかったからである。
それで、旅のプランの中に、船でエーゲ海を行く日を3日間も入れた。
アテネの2日目、アテネに近いサロニコス諸島を船でめぐる現地の1日ツアーに参加することにした。
また、ロードス島の2日目は、島の東海岸、路線バスで1時間半のリンドスの遺跡を見に行くことにしていたが、ロードス・タウンのマンドラキ港からリンドスを往復する船が出ているというブログが1つだけあった。現地に行ってみなければよくわからないが、古代の人々も、中世のヨハネ騎士団も、リンドスは船で行って船着場に上陸したはずだ。もし船があれば、路線バスより、船旅の方がずっと楽しい。
( 海からリンドスの丘を望む )
そして、ロードス島の3日目は、ヨハネ騎士団の出先の要塞があるコス島へ、ロードス・タウンのコマーシャル・ハーバーから1日1往復の定期船に乗って、片道2時間半の船旅をすることにした。
( コス島の海 )
太平洋や、大西洋や、日本海や、瀬戸内海とは違う海。トロイ戦争の後、帰国するオデッセウスが次々と危難に遭遇した神話の海。その海を訪ねよう。
★
< アテネのパルテノン神殿 >
旅のサブテーマの2つ目は、定番だが、アテネのオリンパスの丘のパルテノン神殿である。
今まで、ツアーに参加して、古代の遺跡はいくつか見る機会があった。
シチリア島では、セリヌンテ、アグリジェント、そしてタオルミーナの遺跡。(当ブログ「シチリアへの旅」)
トルコのツアーでは、エーゲ海沿岸部を北から南へ、トロイ、ペルガモン、エフェソス、アフロディシアス、パムッカレと見て回った。(当ブログ「トルコ紀行」)
世界最大級の古代都市遺跡といわれるエフェソスの遺跡はさすがに印象に残った。
しかし、より心に残ったのは、イオニア海に臨む断崖絶壁の棚にできた町タオルミーナ。そこには、眼下に紺碧の海を見下ろす古代劇場があった。これは、素晴らしい!!
そして、それらより規模は小さいが、それだけに牧歌的なセリヌンテの遺跡。海を見下ろす丘の原っぱに神殿の一部がかろうじて立ち、地面には石柱が思い思いに横たわって、その石と石の間には野の花が咲き、風に吹かれていた。その石に坐って微風に吹かれていると、永遠の中に抱かれているようで不思議に心が和んだ。
だから、古代遺跡はもう十分に見た、という思いもあったのだが、アテネのパルテノン神殿は古代文明の今に残る原点のようなものだから、できれば見ておきたい。
辻邦生は、作家を志してパリに留学していたころ、パリからアテネに旅行し、次のように書いている。
辻 邦生『言葉が輝くとき』(文藝春秋)から
「そのあと、ギリシャに行って、パルテノン神殿を見た。すごく美しかった。この神殿も、今いったような意志の力によって、美というものを地上に実現していた。その美しさはただたんに美しいだけではない。みじめに生きている人間が、そのみじめさにもかかわらず、良きものを意志することができる。人間には、ああいう高みにまで昇ってゆく意志力と、目標とすべき一段と高い秩序が与えられているのだ。そのことを、ここにある建物をとおして見てご覧なさい、とでもいうかのように、神殿の建物がそこに置かれている。事実、パルテノン神殿を見ていると、一種の高揚感といいますか、魂が燃えあがって、一日一日、もっとよく生きようという気持ちになる。宗教的な感じにも似ていますけれども、宗教とはもちろん違います。私はそういうものを根底に置いて、文学の目的にしようと考えたのです。それはまさに一つの出会いだったと思います」。
若いときには感動した文章だが、今は少々息苦しい。
そういう時代の記念としても、見ておきたいと思った。
( ホテルの最上階から望むパルテノン神殿 )