(聖バルトロメー礼拝堂)
10月12日。今日はミュンヘンの2日目。
明日は帰国の途に就く。
この日は、「アルペン街道」を東へ東へと走り、オーストリアとの国境近く、バイエルン・アルプスの岩峰に囲まれた深山幽谷の湖を訪ねた。
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<深山幽谷の湖をゆく>
ベルヒスガーデンはバイエルン・アルプスの保養の町である。列車なら、ミュンヘンから乗り継いで2時間半という。
我々のツアーバスは、朝、ミュンヘンのホテルを出発し、アルペン街道を快調に走って、ベルヒスガーデンに着いた。
町というべきか、村というべきか、「リゾート」というよりは、やはり「保養の町」だ。
バスはベルヒスガーデンの閑散とした街路を抜けて、湖畔の村にたどり着いた。
ケーニヒ湖。ドイツで最も美しい湖だという。
天気は良くない。朝、ミュンヘンのホテルを出発したときから空はどんよりとした雲に覆われ、いつ降り出してもおかしくないような空模様だった。
そして、ついに降りだした。
大雨ではない。日本の時雨に似て、寒い。冷え込む。
上着の上に綿の入ったコート。さらにマフラーも出した。あるだけ全部だ。傘も用意する。
晴れていて、青空の下に見たらどんなに美しい景色だろう。
だが、ヨーロッパの秋は短い。
人々が愛する夏が終わると、短い秋のあと、長い冬がやってくる。朝はなかなか日が昇らず、沈むのは早い。どんよりと曇った空から青空がのぞくこともあるが、日に何度も冷たい小雨が降る。
このあたりは美しいバイエルン・アルプスに囲まれて、夏には、人々が、太陽と森と湖を満喫するのだろう。
だが、気象も風景も、まるで、「今日から冬に入ります」と言っているかのようだった。
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遊覧船が待っていた。このツアー専用だ。屋根もあり、窓もある。寒さを防ぎ、雨に濡れないのは、ありがたい。
今日はもう一艘が運航しており、途中ですれ違うそうだ。
船はほとんど音を立てることなく、雨の湖を進んでいった。
「この清冽な湖をいささかなりとも汚すことがないように、すべて手漕ぎ、または、バッテリーによる電動式になっている」そうだ。(紅山雪夫『ドイツものしり紀行』)。
両岸は高い岩峰に囲まれ、深山幽谷の静寂の中を、奥へ奥へと進んでいく。
太古に、巨大な氷河が岩峰の裾をえぐりながら移動していった。そのあとが湖になった。だから、奥へ奥へと、奥深い。岩峰には雪が残っている。最近降ったのだろうか。
両岸に人工の道路はないから、太古のままの静寂が支配している。
船は40分ほど進み、遠くに赤い屋根の小さな礼拝堂が見えてきた。
聖バルトロメー僧院である。
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僧院の湖岸に降り立った。小雨模様の中、付近を少し歩いてみる。
玉ねぎ型のドームをもつ礼拝堂と修道僧の住居。そのそばには牧場があった。
「この礼拝堂は、かつてベルヒスガーデンにあった修道院の分院であった」。
「修道士たちは、このあたりの湖岸にわずかに広がっている扇状地を切り開いて、畑や牧草地にし、羊や山羊を飼って暮らしていた」(『ドイツものしり紀行』)。
シーズン中なら、ここから船を乗り換えて、さらに湖の最奥部まで行くことができる。
最奥部で船を降りて、「船着場から森の中の道を10分ほど歩くと、『上の湖』が現れる。「湖は『悪魔の角々(ツノヅノ)』と呼ばれる岩峰群に囲まれ、黒々とした森の影を浮かべて静まり返っている」(同)そうだ。
今日はここで折り返す。
遊覧船は静寂の中、再び出発点の船着場に向かって進んでいった。
途中、遠くから、トランペットの音が聞こえてきた。
もう1艘の船の船頭が、2艘の遊覧船の観光客のために吹いているのだそうだ。
音は岩壁に跳ね返り、エコーとなって聞こえてきた。この深山幽谷にふさわしい音色だった。
曲が終わると、自然はまたもとの静寂に戻った。
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ドイツ人やスイス人の環境保護の意識は高い。観光のためにも、自然を大切にし、環境保護を徹底する。その方が、より多くの良質なリピーターを得ることができる。使い捨て文化は、文化ではない。
かつて、まだ若かった頃の夏、私は毎年、信州の山や高原に行っていた。
縄文の遺跡が残る車山高原近くの森に囲まれた湖に行くと、湖畔の土産物店が大音量で演歌を流し、観光バスが何台もやってきて、バスからはこの湖にふさわしいとは思われない大量の団体客が降りてきた。
高度経済成長の時代、日本の「観光地」はどこもそのようであった。国の象徴である富士山も、旅館や土産物店が並んだ富士五湖周辺の景観は見苦しく、山中にはゴミが散乱していた。
「お客様は神様」は松下幸之助の言葉だが、高度経済成長からバブルの時代、多くの国民がこの言葉を口にしたものだ。
松下幸之助ご本人がどういうつもりで言ったのかは知らない。しかし、この言葉を口にしていた当時の国民の理解は、「お客様はおカネの神様」という意味だったろう。
そういう喧騒の歳月を経て、「失われた20年」も経験して、日本人もやっと、本来の感性を取り戻しつつあるようだ。
まずおカネではなく、まずホンモノの自然や、ホンモノの景観や、ホンモノの文化伝統を。本当の価値を大切にしていかなければ、日本の未来はない。
バスでベルヒスガーデンの小さな町に戻った。
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<雨のベルヒスガーデン>
予定では、ベルヒスガーデンからヒットラーの山荘「ケールシュタインハウス」へ行くことになっていた。ケーブルカーも使って上がる山頂からの景色は絶景らしい。だが、中止になった。今日の天気ではただ白い雲の中に入るだけで、何も見えないということだ。
絶景かもしれないが、ヒットラーの山荘でヒットラーと同じ景色を楽しむというのは、少々悪趣味ではないかという気もする。
予定がなくなって、ベルヒスガーデンの町で自由時間ということになった。
ツアーのガイドは、すぐ近くにお勧めの所があると言う。かつての塩坑がテーマパークになって、年間40万人の観光客が訪れるそうだ。
このあたり一帯に、かつての「白い黄金」の岩塩層が広がっているのだ。ザルツブルグも、ここから直線距離で30キロほどである。
しかし、雨の中のこの寒さ。塩坑にはどうも興味をそそられなかった。
それで、時間まで、閑散とした小さな町の中をぶらぶらと歩いた。
しかし、見学するほどのものは何もなく、時間をもてあました。町の中を2筋の通りが通っていて、小さな土産物屋やペンションや大衆的なレストランが並んでいた。
土産物屋の軒先では、岩塩をきれいに包んで、お土産として売っていた。
雨は降ったりやんだりして、とにかく寒かった。ペンションは閉じている。カフェやレストランも開いていなかった。
今日は、静まり返ったケーニヒ湖を遊覧船で奥へ奥へと進んだことを思い出としよう。
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翌10月13日。ミュンヘン空港を飛び立ち、フランクフルト空港で日本行きのルフトハンザに乗り換えた。
10月14日。朝、関空に到着。
わずか8日間の旅だったが、古城街道、ロマンチック街道、アルペン街道を堪能した。
あえて心残りを言えば、ローテンブルグの町の中で、1日、ゆっくり過ごしたかったかな。
※ 今回は、2009年の旅のことを書いた。
この当時、旅の前後に、ドイツの歴史を書いた2~3の新書を読もうとしたが、ただ、ややこしく、少しも頭に入らず、投げ出した。
10年たって、少しはドイツの中世がわかってきたという気がする。細々した知識はどうでもいい。ざくっとイメージができたら良いのだから。
書き始めは写真を中心にした簡単なものにしようと思っていたが、また、長いブログになってしまった。いつも、この長さを気にしています。
(この項、終わり)