( カッパドキアの自然 )
< 辻邦生『遥かなる旅への追憶』(新潮社) から >
「… 私は予想もしなかった景観に息を呑んだ。
それはエクリアス山をはじめとする火山の熔岩で作られた広大な台地が、風雨によって浸食されてできた奇怪な風景であった。台地はまるでテーブルのように平らで、その端はいきなり切り立っている。谷は月世界のように乾き、たけのこ状の岩、きのこ状の岩がひしめき合っている。そして断崖といわず、突出した岩といわず、そこら一面に、無数の穴が黒く点々と穿たれているのである。
この穴の一つ一つがかつて修道士たちが住んだ洞窟修道院の跡なのであった。洞窟修道院のなかには一人用の小さな穴から、洞窟建築とは思えない堂々とした規模の、壁画、天井画で飾られた教会まで、さまざまである」。
カッパドキアのことは、上の辻邦生の短い文章に尽きている。あとは写真を掲載するだけでいい。
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第7日目 5月19日時に小雨
今日は一日、カッパドキアめぐりをして、夜はベリーダンスショーを見に行くことになっている。
< 「三姉妹の岩」 >
最初に向かったのが、「三姉妹の岩」。
バスの中で、昨日の「ラクダ岩」と同類だろうと思っていたが、やはりそうだった。
( 三姉妹の岩 )
これなら、昨日、私が名付けた「3人のプリンセス」の方が、それらしく見える。
真ん中の小さい岩に、人工的な穴が開いている。ここにも人が住んだのだろうか??
( 遥かなるカッパドキア )
「3姉妹の岩」よりも、その背景にある広大なカッパドキアの光景の方が感動的だった。
真ん中あたり、そして、その右上にも人の集落が見える。
遥かなるカッパドキアである …。
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< 閑話 … トルコ絨毯と中国という国のこと >
次にトルコ絨毯の店に寄った。
旅の初めに手織りの高級スカーフ店、次に高級トルコ石店、続いてファッションショー付きの高級皮革製品の店、そして、高級トルコ絨毯の店である。
ここも大型店舗で、部屋が幾つもあり、そこへ客を個別に入れて、絨毯を広げ説明・販売する。
一行はまず大きな部屋に通された。そして、支配人クラスと思われる長身のトルコ紳士が登場して、店員たちに次々絨毯を広げさせながら、久米宏ばりの達者な早口の日本語で、しかも随所で笑いを取りながら、トルコ絨毯の特色、織り手の技や根気、政府によってきちんと決められた価格体系などを説明する。まさにプロフェショナルでした。
トルコ絨毯の美しく繊細なデザイン性、色合いの可憐さ・上品さは、素人目にも、日頃目にしているわが家のそれより相当に美しく、小さいものなら1枚買っても … などと思ってしまうが、なにしろ高い。ヘレケなら、玄関マットクラスでも何十万円だ。
( 高級絨毯の美しく繊細な文様 )
値段は、簡単に言えば目の細かさ、即ち1㎠に結び目が幾つあるかによって決まるらしい。そのきめ細かさが、トルコ絨毯の特色だ。言い換えれば、それを織るのにどれくらいの時間を要するかによって価格が決まる。仮に熟練の職人が1か月間専念して織った絨毯が20万円だとすれば、それは日本の大卒初任給と同程度で、高いとは言いにくい。
トルコ絨毯の最高級品は「ヘレケ」と言う商品らしい。ヘレケという小さな村で織られている絨毯である。絨毯の隅に、「ヘレケ」の文字が刺繍されている。昔のオスマン帝国の王宮をはじめ、現代の世界の王室や大統領府で使われているそうだ。
バスの中で、ガイドのDさんから聞いた話。
絨毯づくりをしている中国の村が、村の名を「ヘレケ」と変え、絨毯に「ヘレケ」の文字を入れて、世界に売り出した。もちろん、プロが見れば偽ブランドとすぐにわかるのだが、「ヘレケ」という名を見せ、価格を言えば、飛ぶように売れた。本物の「ヘレケ」の売り上げは落ち、在庫だけが増えていく。値引きしても、費やした労力を考えれば限界がある。競争にならない。
この事件は、トルコの大統領が中国に乗り込み、国家主席と直接に談判して、解決したという。
いかにも中国らしい話である。
最近も、「中国精華大学から米企業・政府にハッキングの試み」という報道があった。(ロイター 2018、8、16) 。この手の話は枚挙にいとまがない。
もし米中戦わば、── アメリカの戦闘機群は、なぜか同じ性能をもつ中国戦闘機群と戦わなければならないだろうと、ピーター・ナヴァロは『米中もし戦わば』の中で書いている。そうなれば、今、「世界の工場」は中国である。かつて日本軍がアメリカの生産力と物量の前に圧倒されたように、今度はアメリカが中国の物量に圧倒されるかもしれない、とナヴァロ博士は書いている。
話が大きく逸れた。もとに戻りましょう。
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< 地下都市カイマクル >
絨毯の店から、またバスに乗って向かったのはカイマクル。
ここは、洞窟がアリの巣のように枝分かれしながら、下へ下へと延びている地下都市だ。
ガイドの後ろに付いて、かがんで前進したり、靴とお尻で滑って下の空間へ移動したり、見学にも体力がいる。
あちこちに明かりがあるが、もともとは光の入らない闇の中だった。闇の中ではたちまち方向感覚を失う。
地下都市の発祥や歴史については謎が多いそうだ。一説では、BC400ごろの記録にも登場するとか??
礼拝堂、学校の教室、寝室、厨房、食料庫、井戸などもあり、大規模な共同生活が営まれていたことは間違いない。2万人が暮らしていたとも言われる。
地下4階まで見学可能だというが、しんどいから、そこそこで切り上げた。
( 横の穴 )
( 下りの穴 )
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< ウチヒサール >
次はウチヒサール。ウチヒサールとは、尖った砦の意。巨大な一枚岩の城塞である。
( ウチヒサール )
無数の穴が開いていて、この岩山にも相当の人数の人々が暮らしていたことがわかる。
今はその穴がハトの巣になっているのだそうだ。ブドウ畑の肥料として、ハトのフンを利用しているとか。
( トルコの国旗 )
ガイドのDさんの話では、ローマの見張りの塔だった?? ── 今はトルコの国旗が翻っている。
あの天辺に、銀色の兜をかぶり、赤いマントを翻したローマ兵が立っていたら、なかなかカッコいい。
城塞の内部の住居跡を見ながら、天辺まで20分くらいで上がることができるそうだ。頂上からのギヨレメ・パノラマは絶景だという。わがツアーは、年齢層が高いから、そこまでムリはしない。
「死ぬまでに行きたい世界の名城25」のうちの一つ。
ついでながら、25のうちの一つは、日本の姫路城である。
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< ギヨレメ・パノラマ >
「ウチヒサールの頂上に上がらなくても、展望台はありますから」と、ガイドのDさん。
バスで少し行くと、昨日行ったギヨレメ一帯を見渡せる展望台に着いた。
( ギヨレメ・パノラマ )
うーん。こういう場所は、ツアーでなく、個人の旅で、遥々と、多少の苦労をしながら来るべきですね。きっと感動することでしょう。そのためには、カッパドキアへの相当の思い入れが必要かな … 。
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< ローズバレー >
この日の最後の見学地は、ピンクの岩の峡谷である。現地の看板の英語表示には、「レッドバレー」と書かれていた。
このあたりも、7世紀の彫刻や11世紀のフレスコ画が残る岩窟聖堂があるそうだ。
しかし、何といってもここは夕景スポットとして有名である。ピンクから赤、そして紫色に変化していく一日の終わりは、カッパドキアで最高のビューポイントとされている。
夕刻には少し早かったが、それでもなかなかの景観であった。遥かなるカッパドキアである。
( ローズバレー )
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< ベリーダンスショー >
早めにホテルに帰って、夜、ベリーダンスショーを見に行った。
トルコツアーに入ると、カッパドキアか、イスタンブールか、どちらかで見ることになる。だが、ネットでいろんな人のトルコ旅行の書き込みを読んでも、評判はあまり良くない。
たくさんの観光バスがやって来て、建物の中のホールで、飲み物を飲みながら見物する。
テーブル席で囲まれた広い空間で、若い男女のグループが次々登場して、郷土ダンスらしき舞踊をするが、率直に言って、日本の中学・高校の文化祭の、クラス参加の出し物程度の演技である。
ベリーダンサーは1人だけ。踊り手としてそれなりにプロフェショナルだとは思うが、2、3曲踊ると、あとは観客の中から男性を引っ張り出し、一緒に踊らせて、笑いを取る。スペインで見たフラメンコショーなどと比べると、観客を思わず惹きつける何か … 多分、culture性に欠けていると思う。夜、バスに乗ってわざわざ見に来るほどのショーではないと、私も多くの書き込みに共感した。
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明後日の午後にイスタンブールに着くまで、明日からは実質的に移動日だ。イスタンブールが近づくことだけが楽しみである。
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