石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市野村町 八幡神社宝篋印塔

2007-02-26 22:23:10 | 宝篋印塔

滋賀県 東近江市野村町 八幡神社宝篋印塔

野村町集落の東のはずれに八幡神社がある。目印になるような森や大木もなく、水路沿いの狭い里道の先に小さな祠があるだけで、ちょっとわかりにくい場所にある。祠の裏手にあるゲートボール場の片隅、コンクリート擁壁で仕切って一段高く整地した一画に石塔類が集められている。中央に完形の宝篋印塔がある。明らかにDscf3331 後補の切石の基壇に載せてある。基礎は側面の幅が比較的広く、安定感がある。四方とも輪郭を巻いて格狭間を入れ、3面を側平面より高く盛り上がる開蓮華、一面は珍しく中央を蕾としないで開花とした三茎蓮で飾る。格狭間は横幅があって中央の花頭形が高く左右の弧が下がって、脚部に至る曲線に豊かさがない。上は抑揚のある複弁反花式。花弁先はシャープで側面からの距離があり、塔身受を高めに彫成している。塔身は月輪を廻さないで直接種子を薬研彫するが、彫りは浅く文字も大きくない。種子は風化も手伝ってかはっきり確認できない。どうも通常の四仏種子に見えないので首をひねって眺めていると、天地逆に積まれていることに気づいた。金剛界四仏の種子である。笠は上6段、下2段で、軒からかなり入って二弧輪郭の隅飾が直線的にやや外反しながら立ち上がる。茨の位置はやや低く、輪郭内は無地。笠上に比べ笠下の段形が薄い。相輪も当初のものと思われ、無地の伏鉢と複弁の請花、九輪は各輪間が狭く浅い溝状で、上の宝珠は単弁、宝珠は重心が高い。基礎に大きいヒビが斜めに入っている。基礎から相輪まで当初からのものが揃っていると考えてよい。格狭間の形状、隅飾の茨の位置が低いこと、相輪の宝珠の形などはやや新しい要素で、「八日市市史」では南北朝後半から室町初期とし紀年銘に触れていないが、塔身のキリーク面の左右に正中三年(1326年)丙刀/二月日の紀年銘があるとされる。ただし肉眼での判読は困難である。花崗岩製。高さ約165cmで5尺半塔。白っぽい花崗岩が青空に映え、背景の田園風景とのコントラストが印象深く、いつまでも眺めていたい探訪であった。

参考

滋賀県教育委員会編 『滋賀県石造建造物調査報告書』 126ページ

八日市市史編纂委員会編 『八日市市史』第2巻中世 639~640ページ

 

ちなみに『八日市市史』の石造物に対する記述は総じてあまり詳しくないが、本塔に対する記載を見ると、特殊な三茎蓮や紀年銘に特に触れず「全体としてとくに取り上げるところはなく、中世の一般型といえよう。」と中世の石造美術が希薄な地域に住む小生などから言わせれば信じられないような粗略な扱いを受けている。逆に考えれば、野村八幡神社宝篋印塔でもさほど珍重されないくらいこの地域には中世の石造美術が濃厚に分布していることを示しているともいえる。