石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市下羽田町 光明寺宝篋印塔

2007-02-28 22:26:30 | 宝篋印塔

滋賀県 東近江市下羽田町 光明寺宝篋印塔

下羽田町と上羽田町、柏木町との境近くの三叉路の東に光明寺がある。立派な山門をくぐって広い境内の南に広がる墓地に入るとすぐ右側に歴代住職の墓所と思われる一画があり、生垣に沿って無縫塔がずらり並んだ東端に花崗岩製の宝篋印塔が立っている。高さ約210cmの7尺塔。地面に直接置かれ、基礎西側は植え込みに隠れていDscf3243 る。各側面とも輪郭内に格狭間を入れ、格狭間内は素面のようである。格狭間は花頭曲線が崩れ、側線のカーブもスムーズさを欠いて、何というか、しまりのない南瓜のような形になっている。基礎上は反花で、間弁は隅弁と中央弁の間に隠れ先端がヘの字形に覗き、蓮弁の曲線は全体的に抑揚感がなく扁平になって硬直化した表現である。輪郭、格狭間ともに彫りが浅く、輪郭の左右が広めで、反花の花弁先端が基礎側辺に接しているのも新しい要素である。塔身はやや上寄りに月輪を陰刻し、内に種子を刻む。文字は彫りが浅く線も細い。四面ともキリークとしているのは異例である。笠は上6段、下2段、隅飾は軒と区別して直線的に外反し、2弧輪郭付。輪郭内は素面で、茨の位置が低く、弧が直角で下部の幅が広いのも新しい要素といえる。相輪は、伏鉢の曲線がやや硬く、複弁請花が直線的に広がって九輪は逓減が強めで下部がかなり太く寸詰まりの印象。いわゆる「番傘スタイル」に近づいている。上の請花は扁平な単弁で宝珠は重心が上に偏って先端の尖りが大きめになっている。全体的に保存状態は良好で目だった欠損もなく基礎から相輪まで完存している点は貴重。紀年銘は確認できないため造立時期は不明とするしかないが、相輪や隅飾、基礎の反花など室町時代の特徴をよく示している。恐らく15世紀後半~末ごろのものと思われる。

参考

八日市市史編纂委員会編 『八日市市史』 第2巻中世 637ページ

川勝政太郎 『歴史と文化 近江』 152~153ページ