石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 大津市上田上里 西方寺宝篋印塔

2008-01-20 01:06:23 | 宝篋印塔

滋賀県 大津市上田上里 西方寺宝篋印塔

毛知比神社の杜から西に一段下がり、里公民館と道を隔てた細長い西方寺境内、本堂前向かって右手、自然石を組んで一段高くした一画に立派な宝篋印塔が立っている。01石組みの上位面はモルタルで固めてあるが、直接地面に基礎を据えてあるようである。花崗岩製。珍しく相輪まで揃っており高さは目測で約2m。基礎は上2段式、基礎幅約61cm、側面高さ約33cmで幅:高さ比は小さく、低く安定感がある。基礎側面は北東側面のみ輪郭を巻き格狭間を配し残る3面は素面としている。格狭間内は風化と苔でハッキリしないが少し盛り上がっており、目視による観察では素面と思われるがあるいは開敷蓮華が配されているかもしれない。輪郭、格狭間ともに彫りは浅く、輪郭は上下に比べ左右幅が広い。格狭間は脚部間が狭い。塔身は幅、高さとも約31cmで側面に金剛界四仏の種子を月輪内に小さめに薬研彫している。キリーク面を正面つまり北東側もってきてある。本来キリークは西方阿弥陀如来であるので方向が違うが、西方寺は現在浄土宗であるのでキリークが正面に来ているのかもしれない。笠は軒幅約54cm、上6段、下2段で笠上6段に比べ笠下2段がやや薄い。隅飾は軒から約1cm程度入って立ち上がり、やや外傾する隅飾は二弧輪郭付で大きめである。隅飾輪郭内は素面、薄い輪郭と大きめの隅飾が伸びやかでシャープな印象を与える。相輪は、やや側面の直線が目立つ伏鉢、破綻ない曲線を見せる半球形の上下の請花は風化で蓮弁がはっきりしない。Dscf1643九輪は八輪目で折れ上手に接いである。各輪の凹凸は比較的はっきりしており、先端の宝珠の曲線は完好で桃実状を呈する。全体的に表面の風化が進み、塔身の月輪や種子、基礎側面の輪郭、格狭間など細かい部分が分かりにくくなっている。刻銘は確認できない。笠の隅飾まわりの丁寧な彫成によるシャープな印象、低い基礎など鎌倉後期の手法を随所に示している。造立年代について田岡香逸氏は永仁ごろ、つまり13世紀末ごろと推定されている。隅飾が軒からかなり入って外傾する点、格狭間内の盛り上がり、脚部間が妙に狭い点などはもう少し年代を05下げうる要素と思われる。それでも鎌倉末期までは下がらないと思う。各部欠損なく揃い、整美な姿を今にとどめる貴重な優品といえる。なお、すぐ西側には室町期と思われる板碑がある。さらに生垣を隔てたすぐ南側は狭い墓地となり、無縁の石塔を西端に寄せてある。この中には一具のものと思われる宝塔の基礎と笠、上反花式で側面に輪郭格狭間を配した宝篋印塔の基礎、金剛界四仏種子を月輪内に薬研彫した宝篋印塔の塔身、室町時代の特徴を示す隅飾の宝篋印塔笠、上2段式の宝篋印塔基礎、四門梵字を側面に刻んだ比較的大きい五輪塔の地輪、相輪の残欠、小形五輪塔や箱仏などが見られる。これらは鎌倉末期から室町にかけての石造物である。当初からここにあったものか、あまり遠くないどこかから移されてきたのか不詳ながら、中世にこの付近で石造塔婆の造立が盛んであったことを示している。

参考:田岡香逸 「大津市田上の石造美術」 『民俗文化』89号

(※目測高さ約2mを除き基礎などの寸法はコンベックスによる現地実測による)


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