石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 大津市北小松 樹下神社の石造美術(その1)

2008-05-05 01:35:05 | 宝篋印塔

滋賀県 大津市北小松 樹下神社の石造美術(その1)

JR湖西線北小松駅の約200mほど南、樹下神社の社杜が見える。大津市との合併前は旧志賀町。境内東側を南北に走る国道161号から、鳥居を抜けて長い参道を西北西に進み、拝殿の南側、近世の石灯篭の脇に立派な宝篋印塔がある。02白っぽい良質の花崗岩製。自然石を方形に並べた上に長短の延石を組んだ二重の方形基壇を重ねた上に反花座を載せ、さらにその上に基礎を据えている。塔高約189cm、反花座を含めた高さ約207cm。基壇上段の西側上端中央に台形の穴が穿たれており、塔下に設けたスペースに火葬骨などを投入するための納入孔と思われる。反花座は隅弁を間弁にしない抑揚のある複弁タイプで、両隅弁の間に3枚の主弁と4枚の間弁(小花)を配する。各主弁の間を広くとり、小花は幅広で大きめにする。反花座は中央にヒビが入っているように見えるが、納入孔の存在も考慮すると恐らく当初から左右に2分されていたものと思われる。素面の側面は高めだが、反花の勾配は割合緩く、柔らかな曲面で構成され、シャープさに欠けるが温和な印象である。方形の基礎受座は低く、基礎側面までの奥行きがある。基礎は壇上積式で、西側の左右束部分に「文和5年(1356年)/三月日」の刻銘がある。各側面とも格狭間を入れ、中に開敷蓮花を配している。開敷蓮花はレリーフというよりもほとんど半肉彫で、側面の”ツラ”よりかなり張り出している。格狭間は脚部の立ち上がりが垂直に近く、肩が下がって、側線のカーブはふくらみ気味である。09地覆・葛から束、束から羽目、羽目から格狭間のそれぞれの彫りは深い。基礎上は抑揚のある反花式で隅を間弁としないのは反花座と同じ。左右の隅弁と主弁1枚、主弁左右の小花で構成され、主弁と隅弁の間を広くとり、大きめの小花を入れる意匠も反花座と同様であるが、台座のものよりも彫りにシャープさがある。反花上には方形の受座を刻み出し塔身を受ける。塔身は幅:高さが拮抗する直方体で、各側面に張り出しの大きい輪郭を施し、内を舟形背光を彫りくぼめて蓮華座上に坐す四仏を半肉彫している。川勝博士は薬師、弥勒、弥陀、釈迦の顕教四仏と推定されているが、田岡氏は単に四仏として尊格名には触れられていない。像容優れ、特に穏やかな表情が印象的である。笠は上6段下2段で、各段形は直角に近くかっちり彫成している。二弧輪郭付の隅飾は南東側が軒ごと破損し、南西隅飾も大半が欠損している。薄めの軒と区別し、かなり入って立ち上がり、直線的に外傾する。残る部分の隅飾内部には蓮華座上の月輪を平坦にレリーフしている。隅飾の輪郭は非常に狭い。田岡氏は33月輪内にアの種子があるとされるが、肉眼では摩滅のためかハッキリ確認できない。一方川勝博士は素面としている。相輪は下請花が複弁、上請花は副輪と小花付の単弁とし、九輪の凹凸のあるタイプだが彫りが浅く逓減も大きめである。伏鉢と下請花の間で折れたのをセメントで補修してあるほか、先端宝珠が上請花との間で折れ落ちて傍らに置いてある。さらに宝珠は縦方向に1/4程欠けている。宝珠は重心が高めで先端はやや尖り気味である。若干の欠損部分はあるものの、主要部分は概ね揃っている。軒や輪郭の幅が狭いためか、規模の割に迫力に欠けるが、よくまとまった優美で温雅な意匠表現と表面の風化の少ない白っぽい花崗岩の清らかな質感が、いつまでも立ち去り難い気分にさせてくれる優品である。反花座を持つ宝篋印塔は、近江では比較的珍しく、南北朝期の紀年銘も貴重。なお、拝殿の北側には、大きな水船がある。西側を除く三面の外縁部を2段に彫成し、下半は切り出し面のままで、下半を埋めていたものと思われる。内側底側面に貫通する水抜用の穴がある。銘はないが、風化の度合い、作風からみて中世に遡る古いものと見られる。石風呂の類かもしれない。

写真中:基礎上と台座の反花の様子、基壇上端の納入孔がわかりますでしょうか。束の紀年銘はちょっとわかりにくいですね。

※ 参考図書は(その2)に載せます。


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2 コメント

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台座がニ分割されているものは、管見(三重県内し... (太郎左衛門)
2008-05-11 07:16:57
台座がニ分割されているものは、管見(三重県内しかみておりませんが)では、亀山市勢武谷(ぜぶだに)遺跡出土の台座(三重県埋蔵文化財センターから発掘調査報告書が出ています)、亀山市加太梶ヶ坂にもあります。
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太郎左衛門様、コメントご投稿、誠にありがとうご... (猪野六郎)
2008-05-11 21:59:07
太郎左衛門様、コメントご投稿、誠にありがとうございます。
反花座については、塔本体とは別のものですが、塔本体と一体不可分の付属品です。とりわけ関東系の宝篋印塔などには不可欠なマストアイテムとなっていますよね。反花座の有無や形状なども、石塔の構造や形式、地域性などの属性を知る上でたいせつな手がかりになります。関西系では、反花座を伴わない場合も見受けられますが、案外、「適当」に扱われていることが少なくなく、「適当」にどけられたり、「適当」に積まれたり、別物を「適当」に宛がわれたり、世間一般に正しい認識で評価されてこなかったような気がします。逆に反花座しか残っていない場合には、本体の石塔のことを間接的に知ることが出来ますしね。放置されたり、別物に寄せ集められたりした反花座を見る時、もっと「適当」ではなく「適正」に取扱ってくれと我々に訴えかけているように感じてなりません。そういう意味から、反花座に限らず、たとえ残欠であってもないがしろにできないなと思うわけです。
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