奈良県平群町の観光ボランティアガイドさんの案内のもと、平群町の古墳を中心とした歴史散策をしてきました。前回は、竜田川駅ー鳥土塚古墳ー旧石床神社ー西宮古墳ー中央公園(昼食)までを紹介しました。
後半は、ツボリ山古墳ー吉備内親王・長屋王墓ー三里古墳ー元山上口駅までです。
(行程)
竜田川駅ー鳥土塚古墳ー旧石床神社ー西宮古墳ー中央公園(昼食)-ツボリ山古墳ー三里古墳ー吉備内親王・長屋王墓ー元山上口駅
今回は、奈良県「平群谷の歴史散策」(後)の様子を紹介したいと思います。
〇「ツボリ山古墳」は、主体部は南に開口する両袖式の横穴式石室で,奥壁上段の石を内傾させています。玄室長4.25m,玄室幅2.2~2.55m,玄室高さ2.45m,羨道長4.65m,羨道幅1.7~1.82m,羨道高さ1.7mを測ります。 玄室と羡道奥よりに二上山(牡丹洞東方)白色凝灰岩製の刳抜式家形石棺が納められています。住宅地のなかにある古墳で、よくも残してくれたとおもいます。二つの石棺が残り、大変興味をそそられました。どなたが、眠っておられるのでしょうね・・・
〇「三里古墳」は、墳丘は大きく削られ墳形がはっきりしませんが,直径22mの円墳か全長35m程の前方後円墳とみられています。主体部は横穴式石室ですが,天井石と側壁石の上部がありません。玄室長4.9m,玄室幅2.4m,羨道長7m,羨道幅1.3~1.4mを測ります。玄室内部に組合式家形石棺,羡道に組合式箱型石棺,玄室東側と羡道前部に木棺,石棚上下にも木棺が安置されていたということです。
特色のある石室内には、数体葬られていたようです。ここに眠っておられる方々は、どういう関係の人達だったのでしょうね・・・
〇「長屋王墓と 吉備内親王墓」は、「長屋王墓」が径15m,「吉備内親王墓」が径20mの円墳です。長屋王墓の直下には全長約45m,後円部径約30mの前方後円墳(梨本南2号墳)の存在が確認されています。
729年に、天武天皇の孫である左大臣長屋王は,密かに「左道」を学び国家を傾けようと謀っていると密告され結果,自害に追い込まれます。「長屋王の変(長屋王事件)」です。吉備内親王とその子どもたちも,王に従って自害します。夫婦は生駒山に葬られますが,その後疑いが晴れ,現在の地に移されたということになっています。以前から見たかった「長屋王墓」は、思ったより小規模な古墳でした。
今回、平群町の観光ボランティアガイドさんの詳しい案内のもと、平群町の古墳を中心とした歴史散策をしてきました。約10キロの歴史散策でしたが、色々な古墳や石棺が見れて大変勉強になりました。
飛鳥とは違う平群町の歴史散策を、またいつかしたいと思っています!
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