明日香村にある中世の城郭のなかで、「八釣城」だけが位置等がわかりませんでした。この城は、残念ながら資料等もなく実際に行かれた方の情報もありませんでしたので、以前教えていただいた奈良県遺跡地図をたよりに「八釣城」を探してみました。ようやく、場所だけは見つけることができましたので、改訂版として「岡城・祝戸城」(この2つの城は、実際に行かれた方の資料を参考にさせていただきました。)と共に、紹介したいと思います。
今回は、明日香村にある中世の城郭4「八釣城・岡城・祝戸城」(改訂版)を紹介したいと思います。
〇「八釣城」は、明日香村八釣の里を通り過ぎ、桜井市高家(たいえ)方面に向かって南に位置する山手にありました。立地条件的には、南東には多武峰の連なる山々があり、北西方面から敵を想定しているようなような場所でした。ここからの眺めは素晴らしく、眼下には八釣の里・小原の里や中世の飛鳥城・雷城等が見えるような所にある城でした。縄張り等を見たかったのですが柵がしてあり、容易に入ることができず人工的な物や縄張り等についてはわかりませんでした。
〇「岡城」は、岡寺の参道の途中にある常谷寺の南側の山稜先端部に築かれています。岡寺に連なる丘陵に先端部にあり、石舞台から北正面に見える竹藪の丘に築かれた城のようです。丘陵の先端部を堀切で独立させ、三方を空堀で囲む様式と同様な縄張りとなっているようです。東側の大土塁は、本来は東の丘陵に連なる尾根であった部分が、県道の建設により大部分が削り取られた名残でしょうか、堀切の外側の城塁を削るようにして道路が付けられているようです。西側に入り込んでいくとすぐに大堀切が見えてきます。県道沿いから入り、堀を通りすぎて主郭によじ登って行ったのですが、急斜面なのでなかなか大変でした。郭内部は、30mほどの単郭のようです。東側の一部に土塁が見られ、郭の周囲には腰曲輪が巡らされており、一部は横堀構造になっているようです。とても、わかりやすい縄張りとなっていました。
いつも、石舞台に行くときに通る道ですが、まさかこの場所が中世の城跡とは思いもしませんでした。
〇「祝戸城」は、今は国営飛鳥歴史公園祝戸地区にあるミハ山頂部に築かれた城です。飛鳥宮跡の南に位置するミハ山(ミワ山、フグリ山とも言われています。)は、飛鳥の神奈備の有力な候補のひとつです。神奈備とは、神霊の鎮まる領域のことです。
ミハ山は、尾根筋に遊歩道が整備され東展望台と西展望台が設けられていて城跡は、東展望台から西展望台へと進む間にあるピークに築かれています。城の縄張りは、ピークを三段に削平した曲輪を設け、北側の遊歩道に沿って畝状竪堀、西側の南斜面に竪堀が設けられているようです。人口的な物が見てわかる構造となっています。
他の城跡と違うところは、国営飛鳥歴史公園内にある城跡なので草木が切られていました。
この城はあきらかに、吉野から峠越えで飛鳥へ入る街道を押さえる重要な城であったと思われます。残念ながら説明板もなく、遊歩道の道沿いにあるため誰も気付かないと思われます。ただ、ここからは北から西に広がる飛鳥の里や南側の稲渕の棚田を一望できる景色の良い場所です。
明日香村にある中世の城跡を歴史散策していて感じたことは、その立地条件です。この地域は、中世から戦国時代にかけて寺社や豪族の争いが多かった所です。そのため、当然のことながらどこから敵が来るかを想定した場所を考えて、自然の地形を利用し人工的に堀等をつくっていることです。縄張りも、そのようになっているようです。残念ながら、どこの城跡も整備されておらず木々に覆われていて、縄張り等についてはよほど中世の城郭に精通した方でないとなかなかわからないのが現状です。唯一、説明板があったのは「小山城」のみでした。
飛鳥は古代の遺跡が多く残っていますが、中世の城探しの歴史散策もとても楽しいですよ!
八釣城の場所については、「奈良県遺跡Web」の
「明日香村」を見れば、地図に「364」番で掲載されて
おります。ヤフーの地図と照らし合わせましたが、圃場
整備で半分ぐらいは丘がなくなっている様に見受けられ
ます。
都道府県や市によっては、埋蔵文化財の地図がネット上
で見られるところがあるので是非活用してみてください。
コメントありがとうございました。
早速、教えていただいた地図で八釣城を探してみました。予想していた場所とは全く違っていました。今度、歩いて確かめてみたいと思います。とても、助かりました。ありがとうございました。