泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

梅が咲き始めた 「大宰府の西戒壇(さいかいだん)」 

2016年02月12日 18時29分41秒 | 歴史
「大宰府」にある「戒壇院」は、観世音寺が完成(746年)してから15年後の天平宝字5年(761年)に、日本三戒壇のひとつとして観世音寺の区域内に建立されました。
今回は、梅が咲き始めた大宰府の「西戒壇(さいかいだん)」を紹介したいと思います。
日本三戒壇とは、「中央階段(東大寺)」・「東戒壇(下野薬師寺)」「観世音寺の西戒壇(さいかいだん)」を言います。「戒壇」とは中央部に石で築いてある壇のことで、出家する者に対して、僧侶として守るべき戒律を授けるための儀式が行われる場所です。「観世音寺の戒壇院」は、花崗岩ができており、高さ約50cm・5m四方で中には、天竺(インド)・唐(中国)・大和(奈良)三国の土が納められています。
我が国の戒律は聖武天皇の招請によって唐から来た「鑑真和上」によって伝えられました。「鑑真和上」は754年、東大寺に戒壇を築き、同年4月に聖武天皇をはじめ430人に授戒を行ないました。これが最初の「戒壇」です。その後、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に「戒壇」をつくりました。
現在の寺は、江戸時代に観世音寺から独立して現在では博多聖福寺の末寺となっています。
「戒壇院」の本尊である「毘廬舎那仏」は、平安時代(12世紀)の作で漆の上に金箔をはっています。仏像の手の形を印というがこちらの形はお釈迦様が説法するときの形で、「説教印」といいめずらしい姿をしています。国の重要文化財です。脇侍は、向かって左は弥勒菩薩、右は文殊菩薩です。どちらも元禄時代の作で、太宰府市指定文化財です。右端には、「鑑真和上」像も見ることができます。
惣門・本堂があり、門前には、「不許葷酒肉入境」の石碑があります。意味は、肉や酒は修行の妨げと言うことです。
境内には、「鑑真和上」が唐から請来したものと伝えられる「菩提樹」や、江戸時代に作られた石造五重塔・鑑真の供養塔(五輪塔)・鐘楼等を見ることができます。
梅が咲き始めた「大宰府の西戒壇(さいかいだん)」。「菅原道真公」が愛した梅の香りを嗅ぎながら、のんびりと時を過ごすことが出来ました!
                               
 
 
 
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