泉飛鳥塾

「古(いにしえ)の都・飛鳥」の原風景と共に、小さな旅で出会った風景等を紹介したいと思います!

(続)世界遺産の国内暫定リストに追加された 「古市古墳群2」

2017年01月19日 19時47分11秒 | 歴史

大阪平野の南東部、現在の藤井寺市と羽曳野市にまたがる東西約4km、南北約4kmの範囲の中に、たくさんの古墳が集中して存在する場所があります。

この古墳の集まりを「古市古墳群」と呼んでいます。

前回は、「古市古墳群」の三分の一位しか歴史散策することが出来ませんでした。

(前回の行程) 

 近鉄土師ノ里駅ー栗塚古墳ー市ノ山古墳(伝允恭陵)ー国府遺跡ー仲津山古墳(伝仲津姫陵)ー道明寺・道明寺天満宮ー古室山古墳ー誉田御廟山古墳(伝応神陵) 

誉田八幡宮ー野中古墳ー墓山古墳ー向墓山古墳ー前ノ山古墳(白鳥陵)ー近鉄古市駅

今回は、(続)世界遺産の国内暫定リストに追加された「古市古墳群2」ということで、残りの古墳群等を紹介したいと思います。

(今回の行程)

近鉄高鷲駅ー長尾街道(重要文化財の吉村家住宅)ー雄略天皇陵古墳ー津堂城山古墳ー善光寺ー葛井寺ー鉢塚古墳ー仲哀天皇陵古墳ー番所山古墳ー野中宮古墳ーはざみ山古墳ー近鉄古市駅

このコースは、案内板が少なく地図を見ながらの歴史散策でしたが、一つ一つの古墳に特徴があり、楽しく歴史散策をすることが出来ました。又、古墳の近くに神社やお寺が近くにあって、興味深く歴史散策できました。

今回、特に印象に残る古墳は「津堂城山古墳」・「番所山古墳」でした。

「古市古墳群」で最初に築造された古墳で、墳丘長210mの前方後円墳です。室町時代に城を築くために墳丘の一部が大きく削られて、現在地域住民の方の公園みたいになっていました。ここで発見された3体の水鳥形埴輪は、重要文化財に指定されています。また、近くにある「ガイダンス棟まほらしろやま」の建物の前には、後円部頂で見つかった竪穴式石槨の立派な天井石を見ることが出来ました。

又、どういうわけか住宅地の真中に残された、小さな円墳の「番所山古墳」がとても印象に残りました。

                                          

お寺では、「葛井寺(ふじいでら)」と「善光寺」です。また、古代の「長尾街道」を、歴史散策することも出来ました。 

「葛井寺(ふじいでら)」は古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳期に建立されました。 西国三十三箇所観音霊場の第五番札所として信仰を集め、多くの参詣者が訪れます。 本尊の国宝乾漆千手観音坐像は、大阪府下唯一の天平仏で、1043本もの手を持つ珍しい仏像です。また、 四脚門は、桃山様式をよく伝える建造物として、国指定の重要文化財となっていて、み見応えがありました。 

「善光寺」は、浄土宗知恩院派に属する寺で、織田信長の河内攻めの時に一旦焼失、慶長年間(1596~1614)になって現在の位置に再建されました。 ここには有名な「本田善光の伝説」が伝わっています。推古天皇の御代、本田善光が信州への帰途に拾った阿弥陀如来像を背負って小山の里の小さな堂に宿泊した際、住職がその仏像を所望しましたが聞き入れられませんでした。そこで、三日三晩念仏を唱えたところ二体になり、その一体が善光寺、もう一体が長野の善光寺の本尊となったと語り伝えられ、「元善光寺」「日本最初の善光寺」として知られています。予備知識がありませんでしたので、道の途中に「日本最初の善光寺」があることに大変驚きました。 

「長尾街道」は、堺市から柏原市を経て奈良県葛城市長尾へ至る街道で、江戸時代には和泉、河内、大和を結ぶ重要な街道でした。また、その道筋は、日本書紀の壬申の乱の記述にみられる「大津道」と推定されています。現在は、車一台が通る位の細い道でした。

            

今回、残りの「古市古墳群」を歴史散策するつもりでしたが、残念ながら全部を歴史散策(前回は、約12km、今回は、約14kmの散策することが出来ませんでした。

次回は、残りの「古市古墳群」を歴史散策したいと思っています!

 

 

 

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