cogito ergo sum

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裁判員。*とろとろ長芋を使ったシェパードパイ風*

2009-05-21 | Weblog
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今日は5月21日。
だんだん天候は崩れ気味で、風も強くて…。
雨も降るといったらかなりの降り
なんだか台風?!かと思ってしまうような、荒れ模様な感じになってきた、変な天気の一日。
今日は昨日の体力的疲れと、気分的改善で、それをふまえて(笑)
一日、ほぼ家で本を読んだり、調べものをしたり…で過ごしました。

と、私としては、とくに大きな変わり映えはしない一日でしたが、社会としては大きな変化を迎えた一日。
今日からいよいよ裁判員制度がスタート、ですね。
実際に運用が始まると、これまでの予想では分からなかった困難や、改善しなければならないところ、問題点も出てくることと思いますが、
なにはともあれ、私としてはこの制度が始まったことは評価したい、
今後、成熟していってほしい制度だと思っています。

国家の主権は国民にあり、その国家の主要三権、分立された三権が司法、立法、行政。
この三権のなかで、最も一般に国民が関与しづらい、直接的関与の機会がなかった権利、
それが“司法”だと思います。
そこに直接的に関与すること、
国民感情から離れた位置づけとなってしまっている、
なにか放っておけば誰かがやってくれる、かのようなものになってしまっている裁判、
それを一般社会の中に組み込み、より民主主義を、成熟した民主主義を実現させる、
そのために、この制度が生かされることを願ってやみません。

裁判員制度が導入され、これから本格運用…
しかし、選らばれたくない、参加したくない、当たったらどうしよう、
そういう声がかなり多いと聞きます。
その理由は様々かと思いますが、よく報道で言われたりしているなかで耳にするのは、
“人を裁くことに抵抗がある、人を裁くことに耐えられない”
というもの。
でも、私はこの意見、この考えには、非常に違和感を覚えます。

本来、裁判とは何なのか。
そのとらえ方が、まず問題なのではないでしょうか。
裁判は何のためにあり、何をする場なのか。

私は、“人を裁き、人を罰する場”では決してない、と思います。
もし、裁判がそれを主眼としているのならば、それは報復、復讐とレベルが変わらない、
慣習のなかで明文化したものにしたがって、公的に醜い復讐行為を繰り返している、
もし前述のみが目的とされるのならば、極端に言って、そういうことになると思います。
そうではない。
裁判はあくまでも罪を裁き、被害者、加害者、それぞれを適切な形で社会ともう一度結び付ける、
そして、その間に起きた悲劇が、再び社会で繰り返されないように、これからのよりよい社会のに生かされるように、
そのためにある、
過去の報復ではなく、未来のために…
プロである裁判官でも、誰でも、同じ人間、同じ国民であって、“人”として裁くことができる人などはいない、
神ではない、
同じ視点で悩み、起きた事を見つめ、未来へとつなぐ、社会参加への道…
それが本来の主眼であり、民主的近代社会における裁判はそのように行われるべきだと思います。

ある事件が起きる、
その背後にはそれぞれの思い、それぞれの人間がいる、
その人間はみな同じ社会に生きるもの、
悲しみ、憎しみでいっぱいとなって、その思いに縛られる、ともすれば社会から疎外された存在となる被害者、
屈折した思い、何らかの思いを抱いて、過ちを犯してしまった加害者、
どちらも、これから先だって歩まなければならない、
最後まで…
もう一度、そうした人たちを社会と結び付ける、
ともに未来を作る作業をする、
そしてその悲劇は二度と繰り返さないように、まっすぐに見つめて過ちとして…
その場、
その場として、裁判は重要な場なのだと思います。

人間を裁くことなんて誰にもできない、
たとえできたとして、それは自然であったり、神であったり…つかむことなどできない超越した存在だけ。
そこは、しっかり考え認識すべきこと。

裁判員の役目は、専門家ではない立場であるからこそ言える、感じることのできる、
一般感情をもって、その未来づくり、作業に協力すること、
同じ社会の一員である人間を、再び社会に参加させる、結びつけて前へ歩む手助けをすること、
だと思います。
そして、誰かがやってくれているからいい、知らない、
そういう無関心をなくすこと、
裁判員も同じ社会の人間、
被害者も、加害者も、
のちの刑を執行する人も、みな同じ社会の人間、
自分もその社会の一員、
ともに歩む、そのリアルを見つめる、
そのことが必要とされているのであり、そこに大きな意義が存在するのではないでしょうか。

…うん。
私はそんなふうに思います。
だから、重荷とかなんとか、そういう問題じゃない。
それを重荷と言うのなら、それはもともと背負うべき重荷、あって当たり前の重荷、在るべき重荷…
ただ考えが及ばなかっただけ、見ないふりをしてきただけなのではないか。
そんな気がして。
“裁くことなんてできない”
という言い分には、非常に疑問を感じる、
裁判というものをどう考え、自分を、社会をどう見つめているのか、
どう考えていて、そういう言い分に至るのか、
問いただしたく思ってしまう。。。

もちろん、私の考えがすべて正しいわけではないし、それどころか思いいたっていないところばかりだと思います。
だけど、私としては裁判の社会における存在意義、そして、それぞれそこにたしかな命がある、人間が生きていると思うからこそ、
隠して切り離しておくのは違う、
見て見ぬふりをしているのは違う、
人任せじゃない、ともに作る場、機会ができること、
それはとてもうれしいことであり、歓迎すべきことなんじゃないかと思うわけで…

う~~ん、なんか言葉も足らない感じで、うまく伝えるのが難しいのですが、そんなふうに感じています。
少しでも考えていただける、感じていただけるところがあればうれしいです。
よかったらご意見もくださいね。


では終わりに。
今日のレシピです

・とろとろ長芋を使ったシェパードパイ風オーブン焼き …①
・レイヤードサラダ ビアグラス入り 2種ドレッシング …②


①の作り方



1 玉ねぎを薄切りにする
2 みじん切りにしたニンニクと1、パプリカを炒める
3 粗く刻んだトマトと、ひき肉、小麦粉を加えて炒める
4 タバスコ、赤ワインを加える
5 フォンドヴォーとトマトケチャップ、ソース、塩、胡椒を加え、軽く煮る
6 火をとめる
7 長芋と塩少々を袋に入れてたたきつぶす
8 6を耐熱皿に流し、そのうえに7を注ぐ
9 生クリームを回しかけ、チェダーチーズを散らす
10 パン粉をふって、オーブンでこんがりと焼き上げる


②の作り方



1 わさび菜は適宜刻む。千切りの人参と合わせる
2 1をビアグラスの底に詰める
3 角切りのきゅうり、大根、トマトを順に2の上に重ねていく
4 サニーレタスを適宜刻んだものをトップにのせ、天かすをのせる
5 イタリアンドレッシング、ミックスハーブ、ワインビネガー、レモン汁、塩、胡椒、オリーブオイルをよく混ぜ合わせる
6 サワークリームを別器に入れる
7 食べる直前にまず、5のドレッシングをグラスの上からかけ、全体を混ぜる
8 適宜好みでサワークリームをつけながら食べる


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