cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

時間。*しめ鯖とドライトマトのマリネ ディル風味*

2010-06-10 | Weblog
こんばんは。
今日は快晴。
いつもならばもう梅雨に入っているような時期ですが、恨めしいぐらい空が青い…
朝起きて、驚いてしまいました。
でもいくら遅く感じても、時間は確実に過ぎていっているわけで。
まもなく梅雨に入るには違いなさそうです。
さて、“時間”が過ぎていく、と言いましたが、そんな今日、6月10日は時の記念日。
時間好き?!の私にはもってこいの記念日です(笑)
こんなに素敵な記念日なのにねぇ…どうして祝日化しないのかしら。
ちょうど6月なんてお休みも少ないし、このあたりであったらよさそうだと思いません??
…なんて。(^_^;)
平日も休日もほぼカンケーなしの私が言うことじゃなかったですね
ま、ともかく。
ちょっと最近忘れ去られぎみなのが悲しく感じてしまう、時の記念日です。

時間とは、時とは何なのか。

どう答えても答えきれない問いだと思いますが、だからこそ考えたくもなる。
さまざまそういうモノがあるなかで、時の概念は、私にとってはなかでもとくにおもしろいもののように感じられます。
アウグスティヌスは時間について、
「私はそれについて尋ねられないとき、時間がなにかを知っている。しかし、尋ねられるとき、それがなにかを知らない。」
と述べていますが、まさによく言ったもので、気にも留めなければ当たり前のもの、丸で周知のもののようだけれど、
いったん意識的に問われると、だれもそれを捕まえることができない、
私たちはなにもそれについて知らないことを思い知らされる、
時とはそういうもののように思います。

時計で測られる時間、
心のうちで感じる時間、
それらは必ず一致するというものでもなく、前者は一定に流れ、後者は伸び縮みする。
だけど、一定で不変的に流れているように思われる時計の時間、数的時間も、実は特殊環境まで考えれば相対的なものであって、絶対的なものではない。
あ、ここは理論物理的な話ですが。
宇宙と、世界と、人間と…。
それらがこのようにしてあってはじめて生まれてくる概念、
どの文化の人間も持っていて、まさにごく自然に起こったようでありながら、非常に特殊で不思議な概念。
つかみ切れていないのに当たり前、
う~~ん、不思議だらけです。

なぜ人間が時間というものを考えるようになったのか。
それはきっと人間がやがて死ぬことを知った存在として、一度きりの人生を生きているから、
終わりが来ることを知りながら、
でも、決してその終わりを直接体験することなく、
最も身近な完全なる他者として自分の死を感じながら、そこにしかない、巻き戻してやりなおすことのできない世界を生きているから、
このポイントが大きなポイントであるように感じます。
そしてそうして生きる人間が一人でそこにいるのではなく、同じように生きるたくさんの命とともに生きていること、
そのこともまた、自があり、他があり、
それでこその思いがけず作られる時、かけがえのない、その時だけの時を見出すことへつながっているように思います。
他とともに作業したり、行動したり、自分とは違うものへ思いをはせることがなければ、時間をこれほど気にすることは意味のないことですしね。
太陽が昇り沈む、月が照らす、星が輝く…繰り返される昼と夜、
この、世界に生きていて感じることのできる宇宙の周期的な運動も、円環的な時間の観念に大きく関与していると思います。
自然と無関係には時も暦もない、
それが当たり前の感覚ですよね。

こうして、手に取ることも、見ることもできない、時間、時という概念を自然と見出し、享受して生きているというのは、やはり高度に思考が発達した人間でこそ。
考えればとんでもなく難しいものを、便宜的には何不自由なく利用して、そのうえに社会をつくりあげているのだから、それもまたおもしろいところです。

不思議ですよね~、ほんっとに不思議。
「今」といえば、もうその発した瞬間にそれは過去になり、未来だったはずの地点が「今」になる。
ずぅっと「今」は続いていくようでつかむことができず、するすると逃げ続け…
どのくらいの幅をもって今だったり過去、未来だったりをとらえるかも微妙ですよね。
そのなかでの自分というもの、周りの物質、それらの同一性の維持も微妙。
数分前の自分と今の自分とがまったく異なる存在だ、とはまず誰も思わないだろうけれど、
10年前の自分と今の自分、10年前のものと今のものというと、まったく同じとは感じづらい。
そこに存在する、時間のなかにあるものが、時間とともにどのくらいの持続性をもって変化していくととらえているのか、
つながっているのか、切れているのか…
ぼんやりとした境界、境界とすら意識できない感覚上の部分が、きっとどこかにはあるはずなんですけど、
人それぞれのようでもあるし、でも自分のそれすらつき止めようもない感覚がする。。。
素晴らしくぐじゃぐじゃですね(笑)

ここまでつかみきれないと、そのこと自体、それ自体がもはや美しい、

…と思うのは私だけ?!

そしてそんな時間を唯一絶対の相手とする音楽がやっぱり好き、
考えるときいつも鍵になる宇宙も、さらには人間も、好き。

こんなふうに時とくればつい語っちゃう私は、この時の記念日、
どこかでちっちゃく、さりげなく、
この世界に生を受けたのでした。


今日のレシピです

・しめ鯖とドライトマトのマリネ ディル風味 …①
・フレッシュレタスとシメジの炒めサラダ …②
(あとは市販品のため、省略)

①の作り方
1 鯖は塩、酢でしめる
2 ドライトマトは軽く戻して水分をしっかり切っておく
3 1をスライスする
4 2も適宜切って3と合わせ、ドライディルをふってオリーブオイルでマリネする
5 よく冷やして味をなじませ、皿に盛りつければ出来上がり

②の作り方
1 レタスは青い部分を使用し、ざく切りにする
2 シメジは適宜ほぐす
3 フライパンにバターを熱し、2を入れて炒める
4 1も加えて炒め合わせ、塩、胡椒、燻製塩、レモン汁少々で味をつける
5 器に盛って出来上がり


えぇ~~ん、体調も良くないしでぜんっぜんめでたくないっ
ま、もはやめでたい年でもないけどっ

…パーティーはまた後日の約束です(^_^ゞ


こちらクリックで応援いただけるとうれしいです

ブログランキング・にほんブログ村へ

ファイブスタイル ブログランキング


それでは。





クリームたっぷりシフォンチョコ☆

2010-06-10 | スイーツ
今回はローソンのUchi Cafe レギュラーシリーズから、クリームたっぷりシフォンのチョコです。
以前には紅茶フレーバーのほうをご紹介しましたね。
今回はそのチョコレートバージョン。
抹茶のタイプもあったかな?
そちらはスルーしちゃったけど
大きさ、かなり大きく、価格は295円です。
単価的には高いようですが、これだけサイズがあれば、ちょっとしたホールケーキ的に分けて食べられるので、かなり安いといえば安い(笑)
ま、シフォンだし。
あまり期待はありませんが、とりあえず味見です♪

シフォン生地が半分にカットされ、上半分部分をさらに4分の1にカット。
下部分生地との間に、クリームをのせて、上の生地が花弁のように開く感じで、サンドしてのせられています。
ココア生地のシフォンは甘みはまあまあしっかり。
ふわふわ、しっとりと。
パサパサでどうにもならんっ…というような、安っぽすぎる生地ではないので、その点はありがたい。
ただやっぱりシフォンだけに、これだけで食べてみるとかなり頼りない印象ではあります。
ま、でもこの価格でこれ以上を望むのも贅沢か。。。
なかのクリームはたしかにたっぷり。
これだけ入っていれば、『たっぷり』をうたって文句ありません。
チョコレートのクリームで、そこそこの濃厚さ。
ふわふわクリームほど軽くはなく、ガナッシュ、というほどの濃厚さではなく。
ミルクチョコレートのやわらかな甘さで、ほどよいホイップのコクがあり、それなりに美味しいクリームだと思います。
でもこのシフォン生地とマッチしているか、といわれると、ちょっと微妙かもなぁ…
なんとなく、それぞれが分離してしまっているような感じもします。

そしてやっぱり歯ごたえがとくにどこにもないし、風味にも変化がないので単調に感じるかも。
自分でアレンジを加えたくなります。

ブランデーやラム酒をしみ込ませてみたり、
アイスと合わせてパフェっぽくしてみたり、
カラメリゼしたナッツやチョコチップでアクセントを加えてみたり。。。

いろいろやってみましたが、
出来は…

う~ん、やっぱり“そこそこ”の域を超えられず、かな(笑)
ま、それもまた楽しかったです


こちらクリックで応援いただけるとうれしいです

ブログランキング・にほんブログ村へ

ファイブスタイル ブログランキング


それでは。