ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

昭和60年、遠軽駅とジムニー

2009-09-25 06:20:19 | 鉄道
仕事が始まるといまいちネタが無いってわけで、もうひとつの私の趣味「鉄道」の古い写真でもアップするかと…

昭和60年3月、遠軽駅前

遠軽駅は旭川と北見、網走を結ぶ石北本線の中間地点。今はスイッチバック駅です。「今は」と書いたのには理由があります。現在行き止まりになっている先に向かって、以前は中湧別(湧別)、紋別、興部、名寄に向かう名寄本線が出てましたが、名寄本線の廃止によりスイッチバック駅になってしまいました。
国鉄末期、赤字ローカル線が次々廃止されますが名寄本線は唯一廃止された「本線」でした。その後平成5年10月から翌2月にかけて興部で過ごすことになるのですが、名寄本線の代替バスは全線約150kmを約4時間かけてこまめに停車する路線バスでした。確か整理券は120番近くまで発券され、全線乗ると3000円を超えたはずです。今は、興部、紋別で系統が分断され、遠軽~名寄直通便はないようですね。

ちなみに写真に古いジムニーが写ってます。たぶんLJ20-2型なので、写真の時点で約10年選手といったところでしょう。


遠軽駅の内部です。写真は、今はなきキハ82系特急おおとりです。「おおとり」は、函館~札幌~旭川~網走と北海道を横断する特急でした。元々は青函連絡船を介して東京と北海道東部を連絡する役割が与えられてましたが、すでに飛行機の時代、通し客は本当のもの好きといった状態でした。でも、国鉄お昼の特急で最後まで食堂を営業したのはこの列車でした。

左側ホームには名寄本線の普通列車が停車し、多くの乗り換え客がホームにも見られます。赤字といえ、名寄本線にも多くの客が乗ってます。JRになり経営の合理化が進み収支は改善しているでしょうが、乗客数だけでみると今の石北本線はもっと状況ではないでしょうか。
遠軽駅は名寄本線の分岐点で、石北本線にも前後に峠越えを擁する運転上の要衝でした。背後に扇形機関庫が見えます。もっともとっくに蒸気機関車は廃止され、主はDD51ディーゼル機関車でしたが。