本格的にJR全線完全乗車を目指したのは…この頃でしょうか?
もちろん当時はJRではなく。JNR「日本国有鉄道(国鉄)」でした。
昭和60年3月、15の春。釧路から根室、標津~網走~紋別~浜頓部~稚内。オホーツク海沿いのローカル線を旅しました。
今では、オホーツク海沿いには斜里~網走のわずか路線が残るだけで、ほぼ鉄道空白地帯になりました。
旧名寄本線が分岐する石北本線遠軽駅。
青函連絡船を受けて函館から札幌を通り過ぎはるばる網走を目指した特急おおとり。
当時在来線特急では貴重だった食堂車営業。廃車が間近に迫ったキハ80系(キハ82)での運行でした。
昭和30年代、ライト周りのデザインなどアメ車の影響があったとされる昭和の名車キハ82。
戦時中設計のDMH17機関(ディーゼル機関は8気筒排気量17Lで、出力わずかに180馬力)を2基搭載で性能的は前近代的でしたが、
デザインは昭和から平成、令和となった今でも古さを感じさせないというか、
むしろレトロヒューチャーというか秀逸なものでした。
さて旧名寄本線、本来の「本線」以外にわずか1駅区間、盲腸線の「支線」がありました。
中湧別~湧別の「湧別支線」です。わずかに朝夕各1往復だけの運転でした。
当時夕方の便に乗ったのですが、夕暮れ薄暮。
あまりきれいな写真は撮れませんでした。
昭和60年、乗り鉄にとっての古き良き時代がまさに終わろうとしていました。
もちろん当時はJRではなく。JNR「日本国有鉄道(国鉄)」でした。
昭和60年3月、15の春。釧路から根室、標津~網走~紋別~浜頓部~稚内。オホーツク海沿いのローカル線を旅しました。
今では、オホーツク海沿いには斜里~網走のわずか路線が残るだけで、ほぼ鉄道空白地帯になりました。
旧名寄本線が分岐する石北本線遠軽駅。
青函連絡船を受けて函館から札幌を通り過ぎはるばる網走を目指した特急おおとり。
当時在来線特急では貴重だった食堂車営業。廃車が間近に迫ったキハ80系(キハ82)での運行でした。
昭和30年代、ライト周りのデザインなどアメ車の影響があったとされる昭和の名車キハ82。
戦時中設計のDMH17機関(ディーゼル機関は8気筒排気量17Lで、出力わずかに180馬力)を2基搭載で性能的は前近代的でしたが、
デザインは昭和から平成、令和となった今でも古さを感じさせないというか、
むしろレトロヒューチャーというか秀逸なものでした。
さて旧名寄本線、本来の「本線」以外にわずか1駅区間、盲腸線の「支線」がありました。
中湧別~湧別の「湧別支線」です。わずかに朝夕各1往復だけの運転でした。
当時夕方の便に乗ったのですが、夕暮れ薄暮。
あまりきれいな写真は撮れませんでした。
昭和60年、乗り鉄にとっての古き良き時代がまさに終わろうとしていました。
懐かしのキハ82ですね!
私も好きな車両です。
東京在住のころ、大糸線や八高線、いすみ鉄道、小湊鐵道、北陸地方のキハ40、のと鉄道などの
影響で、気動車好きになりました!
うう!
また、禁断症状が・・・!
(プル、プル、プル、)"(-""-;)"
奈良線はキハ35にキハ45が混ざっていました。
国鉄型気動車も希少になりましたが、去年、鳥取でキハ47だけの5両編成に当たった時は感激しました。
それは、感激ものですね!!
(*⌒▽⌒*)