「ふみの時」神野文子(じんのふみこ)のブログです。

朗読家・声優・ナレーター・朗読教室主宰・大学非常勤講師・パフォーマンスインストラクターの神野文子の最新情報など。

こんな人に会ったことがない

2014-07-01 | 音楽と朗読

6月16日、群馬マンドリン楽団主宰者の両角文則先生が73歳

で天に旅立ちました。

突然のことで、まだ信じられません。

 

もう20年近く、毎年のように前橋での定期演奏会では音楽と朗

読のコーナーに朗読でお招き頂きました。また東京公演も5回目

になり、今年も2月23日に飯田橋のトッパンホールで開催し大好

評でした。

その後も元気に指揮棒を振っているとばかり思っていたのですが。

 

美しいマンドリン楽団の演奏に乗せてたくさんの作品を朗読させ

ていただきました。思いだせるだけでも、

山村暮鳥の詩

萩原朔太郎の詩

与謝野晶子「みだれ髪の世界」

高橋元吉の詩

坂本都子さんの詩

  都子さんは共にオームの犠牲になった坂本弁護士の奥様で、

  素敵な詩を残していました。

芥川龍之介「蜘蛛の糸」

童謡と上州の民話

平田俊子さんの詩「朔太郎さんパリに行く」

星野富弘さんの世界

  この時は、作品を取り上げさせていただくご挨拶に先生と何人かで、

  富弘さんの自宅に伺いお話をさせて頂きました。

横田早紀江さんの「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」

「小栗賛歌」

  明治維新の礎を作った小栗上野介を讃える朗読とテノールと演奏の作品

「千羽鶴の願い」

  広島の原爆の子の像のモデルとなった禎子さんの物語

峠三吉の原爆詩

芥川龍之介が朔太郎の詩を絶賛した話

 

この中には何度か再演したものも多くあります。

今年の11月3日には「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」を

再演することが決まっていました。

また、両角先生からの依頼で、準備をしていたものも二つあります。

一つは、沖縄の当時中学2年の女子中学生が書いた詩。

もう一つは、相田みつをの作品と生涯。この準備のため先生と

東京フォーラム地下にある、相田みつを美術館に行ったのは5年以

上前でしょうか。その時点では来年やりたいとのことで、朗読台本を

作るために本も買って帰りました。資料を集め構想を考え七割くらい

出来上がっていました。が、先にやりたい作品がいくつも現れたよう

で、そのまま延び延びに。やると決まればすぐに仕上げるつもりが、

未完成のま、今も私の朗読本棚に。

 

また、両角先生はいろんな演奏家のコンサートを聴きに東京にもよく

いらしていました。そんなとき、何日に誰々さんのコンサートがありま

すが行かれますか?とお電話を下さりました。ご一緒して、美しい音

楽をたくさん聴きました。また、世田谷文学館で朔太郎展が開かれた

時は一緒に見に行きました。展示のし方が洗練された美しさで、パン

フレットのデザインも素敵で、とても印象に残る展覧会でした。朔太郎

の地元前橋の文学館では、そこまでできないので、「前橋でやるより、

よほどいいなー」とおっしゃっていました。

 

先生は、携帯を持たないので待ち合わせも大変でした。

ある時は、水道橋駅の後楽園方面の出口で待ち合わせたのですが、

西口にも東口にも黄色い案内板の中に後楽園と書かれていて、どっち

かなーと、不安に。で、西と東で何十分もお互いに待ちぼうけ、でもこ

の時はどうにか会えました。

お茶ノ水の先生の知り合いの喫茶店で待ち合わせたのは、1月の寒

い夕方でした。喫茶店はナントお休み。寒いし暗くなるし、まだかまだ

かと店の前を行ったり来たり。でも全然来ない。どうしたのだろう、事

故にでもあったか、忘れたか。他に喫茶店もなく、ウロウロと一時間以

上過ぎ、もう現れないだろうと、帰ってきました。あとで電話で話しまし

たが、すみませんでしたと謝られ、なぜ来られなかったか、理由を聞い

たか聞かなかったか、覚えていません。でも、まあいいやそんなこと、

と思えてしまうのです。

最後に話をしたのは今年の3月上旬だったか、「諸田広美さん出演の

オペラに行かれますか?」という電話でした。そのときはスケジュール

が合わず行けなかったのですが、それが先生の声を聴いた最後にな

ってしまいました。

 

澄んだ心と、優しい笑顔で、誰をも魅了してしまう両角先生。会った人

は皆、先生のことが好きになってしまう。そんな人でした。

私はこんな人に会ったことがありません。

 赤いネクタイがお似合いの両角先生と。昨秋の定演にて。

 


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