くわんをんの いらか見やりつ 花の雲 はせを
松尾芭蕉の句です。浅草寺の一角に句碑がありました。
花の雲、美しい季語ですね。
四月二日、隅田川沿いは満開でとてもきれいでした。
人も多かったですが、この時期に合わせて着物で出かけようと
いうイベントがあるようで、和服の若い女性も結構いました。
また近くの公園では、和装の新郎新婦が3組も。結婚写真の撮
影をしていました。桜とともに撮れるのはこの時期だけ。
一生の記念になりますね。
桜の木は、寒い冬を耐えきれいな花を咲かせてくれる、その間
にも、次の準備を着々としているんですね。
つやつやな緑の葉も見えました。
入園、入学、入社、退職後の地域デビュー、いろんなスタートを
桜とともに祝いましょう。
今年もお雛様を飾りました。
これは娘が生まれたときに、娘の父方の祖母から宅配便で届きました。
三段飾りです。
時はさかのぼり、私の生まれた頃の話を先日母から聞きました。
私が生まれ育った地、神奈川県北西部では、初の女の子がうまれたら、
母方の実家からお雛様が届くのが習わしだそうです。しかし、母の実家、
茨城県の北西部では、生まれる前後に、産着や100日参り用の晴れ着な
どを子供用の箪笥がいっぱいになるくらい贈って祝う習わしがあり、そ
の代わり初節句には特に何もしない。しかし、母としては慣れない土地
で女の子が生がうまれ、でも実家からお雛様も届かないと、肩身が狭い
思いをしていたようです。
昔の田舎ですから、しきたりが大事で、ほかの地方のことも今ほど情報
はないし、偏見とか噂とか、いろんなものがあったことでしょう。
そのとき、母は都内にいた姉(私の叔母)に相談したそうです。
後日、叔母はケース入りの人形を買い、それを妹に届けてほしいと、旦那様
(叔母の夫)に託しました。頼まれた旦那様は、会社の帰りにわざわざ届けに
来てくれたそうです。電車とバス、バス停からは暗い夜道をそれも上り坂の
道を延々歩き、たどり着いたときはだいぶ遅い時間だったそうです。
母はどんなに嬉しかったことでしょう。その人形はその後毎年飾られていま
した。それからどうなったのか、何しろ私が生まれた頃の話ですから。
今の若いご夫婦は、お雛様はいらないとか、小さいのでいいとか、住宅事
情もありますから、勝手に立派な段飾りなど贈ると迷惑がられてしまうこと
もあるようです。やはり場所をとるし、保管も面倒ですからね。
今我が家にあるお雛様は、できる限り飾ってあげたいと思っています。
1月17日の朗読公演のあと、先送りしていた重要なことと雑事と、家族やプライベートのことなど、
やること満載の日々。
1月末には、非常勤講師をしている大学の学生の成績を出し、新年度のシラバスを提出し、二月は
仕事のかたわら様々な研修会等で勉強もし、旧正月で香港から帰国した友に会い、確定申告をし、
そして、いとことスパリゾートハワイアンズに。
プールと温泉に入り、造花の髪飾り買ってつけ、フラガールのステージ見て、体験コーナーでは
レイをかけてもらいステージへ。子どもたちなど100人くらいいましたか。楽しかったです。
震災後しばらくは、フラガールの皆さん東京や各地で出張公演していましたね。
ですから、ハワイアンズが再開したときは、一つ復興したとの思いがありました。現在とても賑
わっていて、それはそれでとても良かったなーと思います。
が、被災地全体を見渡せばまだまだです。
まる五年を前に、いろんな思いがあります。
毎年、この時期になるとブログに書いていますね。
今年も6,7日の土日、田園調布学園大学でやっている、ミニたまゆりのテレビ
局でお手伝いしてきました。
ミニたまゆりは子どもが作るまちです。学園の中に2日間だけ、ミニたまゆり市
が出現します。
ここには、職業紹介所も、銀行も、税務署も、ビューティサロンも、飲食店も、
紙すきも、ちぎり絵も、他にもたくさんの職場があり、体験できます。働いたら
記録され最後に、働きに応じてこの街の通貨ユリーをもらいます。そこから税金
を払い、かせいだユリーをこの街で使うことができます。
テレビ局で1時間働くと8ユリーです。アナウンサーやレポーター、カメラマンの
仕事をしてもらい番組を作ります。
それを市民が一番集まるところのスクリーンで放映します。
ドイツの、「ミニ・ミュンヘン子どものまち」を参考に、田園調布学園大学で始めた
そうです。
楽みながら社会の仕組みのさわりを、疑似体験できるようになっています。
とってもよくできていて、近隣の子供たちがたくさん集まってきます。
年々、たくさんの方が協力してくださっているようです。私も賛同して、
是非お役に立ちたいと思い、もう5年くらいになります。
アナウンサー役の子どもたち、とっても上手に、原稿を読んだり、
自分の好きなことをフリートークで話したりしてくれました。
この様子はマスコミが取材に来たり、自治体のいろんな方が視察にいらしたり
しています。
きょう2月8日(月)Jcomさんの18:00からのニュースでも取り上げられるそうです。
11日の日曜日、かすかに雨が降っていましたが、すぐやむだろうと
パフォーマンス学のお仲間と高尾山に。6号路から登りました。
雨はやみ、昼には青空も見えました。
山頂から富士山は見えませんでしたが、それもそのはず、
厚い雲の中で、富士山に雪を降らせていたのです。
初冠雪だったそうです。
久しぶりの高尾山、幼少のころ以来です。
そのとときは、サルがいて餌を買って、サルに餌やりができたと思う。
サルが何頭も寄ってきて、嬉しいような怖いような体験でした。
今はそれはないようです。
自然がいっぱいで、でも整備されていて、みんなの高尾山ですね。
楽しかった!!!
実家の裏の畑では、先月、初めてこんなものも採れました。
緑からやがて黄色くなっていくのですが、その変わっていく色あい
がなんか美しいのです。
みかんもそうです。
あの濃い緑から、甘そうなみかん色に、日々刻々のグラデーション。
やがてどこから見ても均一の一色になってしまうと、もう興が薄れ、
シゲシゲ見たりしなくなります。
変化があるから心ひかれるのでしょう。
これからは、山も、野も、植物も、街も、人も、秋の色に変わっていきまね。
変化の中に、はっとする美しさがあるかもしれない。
緑と赤の夏休み
田舎の夏は、本当に緑だらけ。その中に赤が映える。
戦後70年の総理談話を聞き、
終戦の日を迎え、
日本が、世界最古の国であることを思う。
日本神話では紀元前660年神武天皇元年2月11日に国が
できました。今から2675年前です!!
現実的には4世紀ごろに古代国家が形成されたようです。
二番目に古い国はデンマークで、8世紀の終わりごろ。
1974年9月までは、世界最古の国はエチオピアだった。
紀元前10世紀のソロモン王朝から3000年間連続した皇室
だったが無くなってしまい、以来、世界最古の国は日本とな
ったわけです。
もしかしたら違う説もあるかもしれません。
それにしても、よくここまで続いてきたものだと感動します。
以前、日本最古の書物である、古事記に書かれている、
国づりの章を、何人かで朗読したことがあります。
難しかったのですが、稽古しているうちに楽しくなってきて、
公演は大成功でした。
日本のよさ、日本人のよさは失わずに、よりよい世界を
みんなでつくっていかないとね。
花屋さんのラッピングを解いて花瓶にいけたら、
つぼみだったはずが、みるみるうちに花開きました。
梅雨時の明るいピンクは気持ちがいい。
先日、大学の授業中のこと、いつもの教室のプロジェクターが
私の言うことを聞かなくなりました。何をセレクトしても、スク
リーンには明るい光だけで、PowerPointの資料をスクリー
ンに映しだしてくれない。書画カメラをセレクトしても、映らない。
学内の頼もしい助っ人二人に来てもらいましたが、ダメ。
結局、業者の方が来ることに。
数時間後、業者の方が調べたら、すべてちゃんと映って
どこも悪くないとのこと。え~、そんなあ。あんなに何をし
ても、誰がやっても映らなかったのに。ストライキ?電気・
電子機器はときどきそんな話も聞きますが、私は初めて。
おかげで、この授業は全く予定がくるってしまい、来週以
降にかなりしわ寄せが。
まあ、そんなこともあるか。芍薬の、何にも動じない大輪の
花を愛で、気持ちにゆとりを持とう。余裕しゃくやく。
(オヤジギャグ以下か、スイマセン)