「ふみの時」神野文子(じんのふみこ)のブログです。

朗読家・声優・ナレーター・朗読教室主宰・大学非常勤講師・パフォーマンスインストラクターの神野文子の最新情報など。

CD「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」復刻版

2014-09-29 | 音楽と朗読

2007年11月に、

横田早紀江さんが書かれた「めぐみ。お母さんがきっと助けてあげる」

を朗読させていただき、「救う会・群馬」からCDが出ました。それは

すぐに完売となってしまいましたが、今年、その復刻版が出ます。

私は、以前もそうでしたが、今回もまとめて買い、関わっている大学

や図書館に寄贈しています。

発売日を前に、注文した分が送られてきました。

「救う会・群馬」のリーダーは、大野敏雄さんと奥様のトシ江さん。

トシ江さんがひとつひとつ丁寧にプチプチに包んでくださっています。

早紀江さんとは長年親交がある方です。そもそも、横田ご夫妻は、

仕事の転勤で、新潟の次は東京、その次は前橋と移り住み、その

前橋時代にトシ江さんに出会ったそうです。大野さんご夫妻と周りの

お仲間とで「救う会・群馬」を立ち上げました。以来寸暇を惜しまず

真剣に活動しています。

 

もう7年前の録音ですが、その間に問題が解決していれば、

復刻版も出なかったことでしょう。

今度こそは解決を、そのためには世論の盛り上がりも必要です。

中学2年のめぐみさんは忽然といなくなり、拉致されたとわかった

のは10年経ってからです。そこからずっと「早くめぐみを帰しなさい」

と言い続けてきた早紀江さん、どんなにお辛いかと思います。

その気持ちが著書になり、抜粋ですがCDでお聞き頂けます。

CDはご連絡頂ければ、お分けできます。

「救う会・群馬」で検索して頂き、お問い合わせ頂いてもよいかと

思います。

「みんなで、横田ご夫妻を、幸せにしましょう!」

 

もちろん、めぐみさんだけでなく全員が、一刻も早く元気で帰って

くることを願っています。

 


クニゴの日

2014-09-25 | なにやかや

9月25日(クニゴ)はふみごの誕生日。

数日前から気分はハッピー。

夜景のきれいなフレンチレストランで

祝ってもらいました。

ケーキもかわいくて

 

 

そして24日は、一週間後に誕生日がくる女友達と前夜祭。

予約がなかなか取れないこの店。このマークはPとBを組み合わせてますね。

ポールボキューズの東京店で、4種類のワインとお料理でお祝い。

女友達はフランスに住んでいたこともあり、有名なフランスのリヨン本店にも

何度か行ってるフランス通。また一年充実させようね

 

そして25日は、本当に誕生日。

きょうはこれを開けよう!

先日、勝沼に買い付けに行った友人に頂いたもの

アルコール度数16-17度のデザートワイン。

食前や食後に合う甘めのワイン。

デザートのケーキと一緒に頂きましたが、驚きの美味!

   

娘からは、インナーや化粧品や有名店のハムやケーキ、

いろいろもらいました。

がこれが一番です。

私へのカード。ああ嬉しーい

 

追伸。タニタの体組成計は、体内推定年齢が出ますが、いつも

実年齢よりも15歳若く出るので、気を良くしています。

で、誕生日がくると、もしや実年齢よりも16歳若く表示されるのでは、

と期待して測ると、推定年齢も1歳プラスされていました。ガクツ。

昨日と同じ私なのに、そんな、事務的に誕生日だから1コ足すなんて、

冷たいというか、機械的というか、

アッ、機械か。

何カ月か前、ラジオで吉田照美さんも言ってました。

体内年齢15歳若いんだよ、って。やはり気を良くしていました。

知り合いのメタボっぽい中年男性も、俺も15歳若いんだって。

これ、消費者サービス?

まさかね。

また一年、元気で行こう

 

 


あっ、ここが柘榴坂でしたか。

2014-09-21 | アート

柘榴坂っていい名前ですね。

昔は柘榴の木があったのかな?

品川駅からグランドプリンスホテル新高輪に行くときに上って行く坂が

柘榴坂でした。知らなかった。

 

映画「柘榴坂の仇討」を見ました。

この映画のタイトルは、熟すと鮮烈で透明感のある赤い果肉を持つ柘榴が、

仇討の場を連想させるようにできているような気がして、美しい仇討の話だろ

うと勝手に想像していました。浅田次郎さんの原作です。

登場人物それぞれが魅力的で、幕末から明治の人々の様子も描かれてい

て、興味深かった。

 

それにしても、明治維新の頃の人々はどんなにか混乱したことでしょう。

外見も中身もお侍さんのままの人もいれば、洋服を着て、今までの考えは古

い古いと捨て去る人もいる。廃藩置県や何やで、いろんなことが変わる中、

仕事がなく、どうしていいかわからない人もたくさんいたことでしょう。

その頃の廃藩置県が今まで続いているわけですから、考えてみれば、驚き

でもあります。

 

 


君たちはなぜ、怒らないのか

2014-09-03 | アート

2013年1月15日に亡くなられた映画監督、大島渚さんの言葉です。

今年、そのご子息である武さんと新たさんとで、本を出されました。

大島渚の発した言葉の中から、50の言葉を選び、それぞれのお立

場からその言葉にまつわる思いを書かれています。その中の一つが

タイトルにもなったこの言葉です。

この本は、たんに「ウチでは、こんなパパでした」というだけの本には

したくありませんでした、と武氏が前書きで述べているとおり、お二人

ともご自身の立場から、素直な感性と分析力で、記述しています。

ますます大島渚監督に興味を持ち、作品をじっくり見なおしたいし、見

ていない作品も見てみたいと思いました。

それにしても、大島監督の映画って良くわからないと思う方もいると思

います。それについては、本書の中でこんな引用があります。

「とかく映画作家の魅力を○○ して語りたがるジャーナリストや観客に

とって、常に毅然と○○ を拒んできた大島の映画群とつきあうことは、

いささか過酷であったかもしれない」

(樋口尚文著「大島渚のすべて」キネマ旬報社2002年)

さて、○○ に入る言葉は何でしょうか? 二字熟語です。

私はこれを読み、そうだったのか、腑に落ちた、という気がしました。

もしよろしかったらご一読を。

「君たちは、なぜ、怒らないのか」日本経済新聞出版社(1500円+税)

 

そういえば、思い出したことがあります。

日本舞踊家の花柳幻舟さんのことです。彼女は家元制度はおかしいと、

家元傷害事件を起こしたり、いろいろお騒がせの人で、TVのワイドショー

や週刊誌ネタにされていました。その後、今から10年以上前でしょうか、

お会いする機会があり、当時のことを、正確な言葉は忘れましたが、概ね

次のように述べていました。

「家元制度はおかしいと思った、それに対する抗議から、あのような行動

に出た。今思えば、自分に教育がなかったから、あのような事件を起こし

てしまった。当時マスコミなど社会のどこからも批判され叩かれた。味方

になってくれたのは、大島渚監督ただ一人だった」

大島渚監督にタブーはないのだ。