http://news.livedoor.com/lite/topics_detail/12883393/
前例主義の崩壊と個別的な判決も可能というだけで、控訴するような流れが下級審で個性的な判決を容認させる状況でしょう。
と言うも原発の差し止め裁判で地裁で差し止め、高裁で差し止め却下という捻れは数ありますから。
具体的に個々のケースで問題な場合もありますが、多くは裁判官自身の心象に近い、
将来への影響をどう考えるかですから。
それと同じく、津波の問題を予見できるとするのかは過去のデータからすればいつかは来るし、その大きさまで考察出来ないなら防御を優先するとなれば幾つかのポイントは改善されたかもしれません。
この防災対策の経営判断や国の保安が努力が足りないとする事は下級審の意見として述べるのは適当か否かでなく、表現の幅が広いからで上級審で否定されない、またはその国の賠償責任の一部を司法も責任を持つのなら違う判決になるおそれがあります。
一度しか出せない判決の重さとか、司法判決で司法も賠償責任の一端を負うのなら無責任な事は出来ません。
国の賠償責任の費用等は既に決まっている範囲内でおさまるようにしていたのに司法でそれを広げてしまうのは三権分立とは言え国家破綻級の問題すら含まれます。
そうなると賠償責任の費用の一部を司法も負わなければ意識しないで国家破綻させる状況になります。
三審制の在り方や司法が行政の決済の範疇を超えて被害者救済するなどについて真剣に考えないと世間の厳しさとズレた感覚は否めません。
ただ、女性の声が大きくなった社会でこう言う判決が出てそれは生命や子育て、いたわりなどの感性の違いも考慮するなどの価値観が多様化への検討も前例で済まなくなるのかもしれません。