「いまさら解除と言われても」「もう少し早ければ」…最終局面入りの帰還の枠組み、住民の足取り重く(読売新聞オンライン)
率直にインタビューするのは仕事として当たり前なのでしょうけど、70過ぎの人にインタビューしたから遅いと言う話が返って来るのは自然でしょう。
見方として二つの見方があります。
一つはこの地域として少しでも帰還する人が増えて大熊町や双葉町が今後も継続していく事を望むであろう役場の見方です。
その役場の職員が望むのは時間が掛ろうと少しでも復興させたいのでしょうから。
もう一つの見方は元の住民の選択です。
記事で言えばいわき市から通うのかです。
それでも故郷との繋がりは有るのでしょう。
最終的にどちらかを選択する時が来れば、その時の判断なのかと思います。
つまり、今のところ、帰還困難区域が解除されてもそこに戻る事を希望する人は限られています。
理由は記事の通り移動した先での生活が10年を超えて長くなり、定着しているからでしょう。
だとすれば希望する方で暮らすのは本人の自由でしょう。
それが役場の都合だと帰還されないので町が停滞すると言うようなもどかしさのように見えます。
ですが、それを報道しても何も解決しません。
これって原発稼働中の時もそうでしたが、原発反対をしても何もできないし、住民が助かるのは避難訓練や原発の管理でした。
そう言う原点に立てないのが一番問題なのです。
誘致した時点でそれなりの理由があり、その後も恩恵を受けて来たのに避難先すら検討して来なかった。
そして実際に避難したら東京や埼玉まで集団避難して加須に落ち着いたのですよね。
更にその後に残る人も居て、戻る人も居ました。
確かに被災者に聞けば、この記事のような回答になるのでしょうけど世間は既に動いていますから問題の解消と共に次の課題へと移っていきます。
感傷的な記事を報道されている間にも町の再建計画は進めないといけないのでしょう。
そして必要な判断がし易いくらいの状況がなんだったのかを見出せないといけないのでしょう。
例え、それが物凄い額の防波堤でも、原発への海水投入でもやれるだけの話が出来ないなら不幸はまた起きます。
日本のジャーナリズムの酷いのは無責任な理想論だけ掲げて、責任はなすり付けてしまうだけでその責任への配慮、理解すらないのです。
被災者感情だけでなく、同時に町の復興や廃炉などの現実的な問題解決まで考えたシナリオにしないと結局、地元の為にもならないのでしょう。
廃炉までの長い時間がスケールと言うか基準な訳でそれからすれば人の一生では測れないような話なのが日本の報道には無理かもしれません。
歴史の正確な把握と言う事さえも韓国や中国が相手だと霞むのですから。
厳しいようですが、そう言う点まで頑張れないと単に批判するだけで被災者を守るとか、この地の将来を有望するとかもっと難しいのでしょう。
簡単なように見えても現実のその地域の問題はかなり重荷なのかと思いました。
問題は復興や支援ですから、遥かに難しいのでしょう。
インターネットの時代で双方性や記録が検索し易い以上それ相当の考えに基づかないと反応も複雑です。
だから、コメント欄を見ても感情的と言うよりはクールに今後を考えて決断の時かもしれないと言われます。
また、元のようになるのは難しいとか言われもします。
確かにコメント欄に有るような土地売却で避難先で生活を送っては?と言う話にもなりますよね。
朝日ですらこうなるんですよね。