俗にこう言うプラカードの文字が汚いと言われています。
本気で反対ならせめて綺麗に書くのが、国葬反対へのエチケットかと思います。
選挙で動員を掛けているように多くの人達は誰かリーダーの指示に従っているだけなんでしょうね。
Twitterで国葬反対を見ていて、例のこんな人達と言う言葉がが出てました。
そう言われた人達と言うのは安倍さんの応援演説を騒音で塞ぐとても民主的とは言えない人達でした。
つまりは自分達が正しいと思うなら人話は聞かないのです。
テレビ朝日の玉川さんがそうなように議論以前で既におかしいんです。
新聞社、テレビ局の多くは国葬の定義すら出来ない筈です。
何故なら、自分達の社葬にしたところで明確な基準なんて出せないでしょう。
日本の社会の多くが葬儀等にコロナを配慮して家庭葬で済ませています。
そんな時に国葬、まして社葬をどうするかなんて理論ではなく、世間の動向な筈です。
こんなのが書かれた会社の文書があるなら、普通にそう言うのがあるから身内で行いますとなるんです。
マニュアルがあるようでないのです。
反対理由を相応しくないと言ってもそれは民主的な話にはなりません。
その前にせめて国会で話し合いを!と言うのが民主的なスタイルなのかと思います。
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