EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

2017 東雲女子大学・東雲女子短期大学 クリスマスツリー 点灯式

2017年11月25日 | 伊予松山歴史散策

11月24日・金曜日、松山の風物詩である東雲女子大学・東雲女子短期大学のクリスマスツリー点灯式が行われた。

点灯式典は、午後6時30分から聖歌隊による賛美歌斉唱で始まり、宗教主事の招きの言葉、そして主の道を備えるために・・のお話があり、再び賛美歌を斉唱の中、クリスマスツリーに点灯された。クリスマスツリーは、大学の中庭にある高さ10mの大きな樹に、約7,000個のLEDイルミネーションが電飾され、松山で一番大きなクリスマスツリーとあって点灯式には、近郊の市民が参加した。点灯後は、大学から暖かい飲み物が振る舞われ、冷えた身体を温めながら大きなクリスマスツリー眺めていた。クリスマスツリーの点灯は、11月24日~4週間点灯されるそうです。

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教室に残る満蒙開拓の“現在(いま)

2017年11月16日 | 伊予松山歴史散策

11月16日(木)午前4時過ぎNHKラジオ深夜便を聞いていると、満蒙開拓民に付いて、長野市立篠ノ井西中学校の社会科教諭、飯島春光さんの話が流れていた。私が聞き始めたのは途中からであった。今日、ウェーブで検索してみると、番組名は「教室に残る満蒙開拓の『現在(いま)』」でした。それによると8月22日、NHKラジオ第一長野ローカルで放送された「信州平和インタビュー」が、9月3日に再放送されたラジオ番組で、それが11月16日午前4時台に時間・内容を拡大してラジオ深夜便で放送されたのをたまたま聴き感銘を受けたのでブログに掲載しました。私も満州とは関わりがある者ですから。多分内容が素晴らしく反響が大きく全国放送に至ったのでは無いかと推察します。

ブログに掲載したもう一つの理由は、素晴らしい教師が居られると言う事です。昨今、淫らな不祥事行為をする教師の出来事をTVニュースとして放映される度に、最近先生の質が下がったなーと感じているが、飯島教諭の様に立派な先生が居られる事で安心した。話の内容によると、満州の現地を訪れ取材し、20年近く、中国帰国者の孫やひ孫を教え、中国で生まれ、日本語が話せない状態で日本に来る子どもたちは、どのような環境で育ち、どんな困難を抱えてきたのか。彼らを迎え入れたクラスメイトたちはどのように接してきたのか。そして、社会科教師である飯島さんは、子どもたちにどのような言葉をかけ、どんな授業を展開してきたのか?その苦労は大変であったと推察される。飯島さんは、今期で定年退職されるそうです。そして「ひいばあちゃんは中国にお墓をつくった」の書籍を発行されており、早速購入する事にした。

終戦後72年が経った今も、中国から長野県へ帰ってくる人々がいるそうです。多分飯島さんは、退職後は、この事に付いてもっと詳細な活動をされるのではないでしょうか。お身体に気を付けてご活躍下さい。

講演される長野市立篠ノ井西中学校の社会科教諭、飯島春光先生。

国策「満蒙開拓」で、長野県は、全国最多となる、およそ3万3千人の開拓団員を送り出しました。その中には、およそ7千人の15歳から19歳の青少年義勇軍も含まれていました。終戦直後の混乱の中、多くの子供たちが家族と離ればなれになり、中国に取り残されました。戦後、帰国した人たちは「中国帰国者」と呼ばれ、慣れない日本の文化や制度の中、生きてき。 そして、終戦後72年が経った今も、中国から長野県へ帰ってくる人々がいるそうです。

最近TVで見たある学校の授業風景、生徒が騒ぎ授業が出来ず先生は生徒に虐められお手上げの状態、挙句の果てにノイローゼに陥り休職し退職する羽目になる。飯島春光先生は、中国から日本に帰ってくる4世・5世の子供は、片言の日本語しか分からず、クラスメイトから虐められその中で授業を進められた様ですが、強い指導理念と、強い精神力と子供に対する熱い思いの持ち主だから教育指導が出来た素晴らしい教師だと思いました。・・凄い事です。で済まされる事では無く、先生の大変なご苦労は計り知れないもので、難題を撥ね退け子供たちをあるべき姿に導く本当の教育者だと絶賛した。。

 信州長野は、教育の理想が高い地方で、その素地が有るが故に飯島春光先生の様な立派な先生が輩出されたのではないでしょか。

 

書籍「ひいばあちゃんは中国にお墓をつくった」を紹介する。

著者:飯島 春光  出版:かもがわ出版

澤地 久枝さんは、下記の推薦の辞を書かれている。

満蒙移民日本一の送出県での壮絶な体験記。
「中国では日本人と言われ、日本では中国人と言われる」・・・
聞き取りと授業の中で、中国残留日本人の三・四世へのいじめは克服されていった。
中国侵略の申し子満蒙開拓団員だった祖父母の聞き書き。遺言になった人もある。孫たちは我が家の歴史に直面した
推薦:澤地 久枝

 

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前立腺癌検査入院

2017年11月10日 | 伊予松山歴史散策

10月26日(木)愛媛大学医学部附属病院で標記の検査入院をした。

愛媛大学医学部は、昭和48年9月29日設置、昭和49年11月20日、現在地に新設移転、愛媛大学医学部附属病院は昭和51年5月10日に、15診療科を設けて開設された。徳島大学医学部から遅れる事33年の月日が経過していた。そしてこの日から遅まきながら愛媛県の地域医療の向上発展が始まった。

特記事項として:がん診療連携拠点病院、特定機能病院、エイズ治療拠点病院、愛媛県災害拠点病院と記載してある。

所在地は、東温市志津川にある。愛媛の医学部開設は遅く、その理由は、伊予松山藩は親藩であった上に、朝敵とされたその根源があったと一時期噂が流れた事がある。四国で一番最初に開設された医学部は、徳島大学医学部で、昭和18年2月、徳島県立徳島医学専門学校が基盤となっている。

さて、数年前から前立腺肥大により、泌尿器科で投薬治療を行いながら、前立腺癌の検査も受診している。現在の主治医は三人目で、二人目の主治医は、手術を勧められ手術を受ける事にしていたが、現在の主治医の勧めで手術は中止、投薬治療をしている。投薬治療と並行して血液検査による癌検査も行っている。

この検査は、6か月に一度血液を採取してPSA値のチェックしているが、最近数値が上がり、今年6月の検査では、今までよりも高い数値が検出された。8月10日、愛媛大学医学部付属病院放射線科(MRI)で検査をした。

8月15日、泌尿器科の主治医からの検査結果の説明があり、小さな細胞が判明したと告げられた。

主治医曰く、細胞が良性か悪性かの判明が必要で、悪性(癌)であればその治療方法を検討すると言われた。(手術か、抗ガン剤治療か、放射線治療か)

良性か悪性かの判明には、組織細胞の摘出(針生検診)をして検査をする必要ありとの事で、10月26日(木)に検査入院をした。入院は通常1日入院で翌日退院出来るが、人によると発熱、出血が多くある人がたまにあり、その場合は退院が延期になる事があると通告された。

10月26日(木)午前10時から総合受付で入院手続きを済ませ、指定された入院病棟に行き担当の看護師さんが病室に案内してくれた。

希望事項として、個室病室を希望していた。たまたま個室が空いていたのでお願いした。急患が入院した時は、大部屋に移る事が条件であった。

総合受付で入院手続きを済ませ、病棟に移動、午前11時過ぎに検査開始の為に検査室に入室、その前に点滴をしていた。組織摘出方法は、身体をエビの様に丸め、腰の部位に麻酔を注射する。局部麻酔注射は、私は痛く感じた。麻酔が効いた頃から(注射をして5分後位)肛門から機材を注入して前立腺の組織を採りだす。人によると麻酔が効かず耐えがたく痛いそうであるが幸いに私は麻酔が効いた。人によると麻酔が効いていても痛がる患者と、痛がらない患者がいると担当看護師は言った。・・少し不安を感じた。

希望して入室した個室。

組織の摘出は14カ所針行い、針で突き刺し採り出す。針を突き刺す時はプウット音がして、その後針が刺さる。この時痛みが少しある。針を突き刺す回数を、指を折りながら勘定して14回が早く終わる様ひたすら待った。その間約1時間程で終了午後1時過ぎであった。終わると車椅子で病室に帰り、約1時間安静にして過ごし、その後立ってふらつきがなければ自由に徒歩の許可が出る。

尿は2回検査を行い、OKが出ればその後の検査は無し。そして発熱が無ければ翌日に退院、私は、発熱も多量の出血もなく(少量の出血あり、現在も尿鮮血がある。)27日、午前11時過ぎに無事退院出来た。排尿時には、少量の出血が11月9日も続いている。

癌か癌でないかの説明は11月7日(火)に主治医からあり、説明を聞きに愛大学医学部付属病院泌尿器科で診察そして結果を家内と一緒に説明を受けた。

結果は、癌細胞は発見されなかった。・・でした。家内共々先ずは一安心した。

自由に利用できる食堂。

此れからは、今まで通り投薬で排尿調節し、血液検査で様子を見守る事とする。

現在、私の苦痛は一晩に3回~4回排尿があり熟睡出来ない事で、日中身体が怠いのが一番の悩みである。

現在の投薬は「ナフトピジルOD75mg・EE」を夕食後1錠服用している。

前立腺は、かなり肥大しており今後の症状によっては手術の必要が生じる。

 

愛媛大学医学部附属病院内の一部で、この廊下を挟んで郵便局、レストラン、理容・美容室、図書室、ATM等々が設置してある。

愛媛大学医学部附属病院棟に隣接して、愛媛大学医学部教棟がる。

医学部教棟で最新の医療技術を習得し、隣接する附属病院で研修医として研鑽し愛媛の医療の向上発展に寄与する拠点である。医大生の皆さん頑張って下さい。今回はお世話になりました。

 

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EEK紀行回顧・現存12天守 6 国宝姫路城天守

2017年11月07日 | 伊予松山歴史散策

姫路城には何度も伺っておりますが、最後に行ったのは、平成19年11月23日、松本城の帰りに訪れました。快晴で写真撮影には絶好の日和でした。

現在の姫路城は、平成の大修復が終わり真っ白の天守になっていますが、未だ行っておりません。

此処に掲載する画像は、大修復前のものです。

国宝姫路城は平成5年12月11日、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。

昭和6年1月、国宝指定(旧国宝保存法)、昭和26年6月9日、文化財保護法に基づき国宝再指定

昭和31年~39年、昭和の大修理、平成21年10月9日、平成の大修理が着工され、平成27年3月27日、5年半掛け、大天守の修理事業が完了した。

天守は、標高46mの姫山にあり、天守の高さは、現存12天守の中一番高く、31、5m(天守台を含めると約46mある。天守の形態は、望楼型で、平山城、日本三大連立式天守の一つである。

築かれたのは、1580年羽柴秀吉が西国攻略の根拠地として入城し、現在の大天守のある位置に三層の天守を構えたのが最初で、1601年から8年の歳月をかけて池田輝政(52万石)が天守を解体して姫山に五層六階地下一階の現存天守を築城した。

池田3代のあと本多忠政(15万石)は、長男忠刻とその室千姫(徳川秀忠の長女)のために、西の丸を整備して、1618年に今日に見る姫路城の全容を整えた。そのあとの城主は、松平氏、榊原氏と変わり、酒井氏が1749年に入封して明治維新を迎えた。

現在、大天守と三つの小天守を結ぶ渡櫓が国宝で、あとの建造物は重要文化財となっている。中濠以内は国の特別史跡に指定されている。

地階から東西の二本の心柱で建物の主軸となって支えているのは見事である。

平成5年には日本を代表する城として世界遺産に登録された。

城郭の形式は、平山城、天守の形態は、望楼型の連立式である。

日本三代連立式天守「姫路城・和歌山城・伊予松山城」、日本三代平山城「姫路城・津山城・伊予松山城」の一つである。

 平成19年11月22日に訪れた時は快晴で写真撮影には絶好の日和でした。

 参考事項

廃藩置県後財政困難に陥り、全国各地の城は解体され売りに出された。姫路城も競売に掛けられ、23円50銭で姫路市内の金物商神戸清一郎氏が落札したが解体に膨大な費用がかかるので権利を放棄したそうだ。その後陸軍省第四局長代理の中村重遠大佐が陸軍卿山県有朋に存続を申し出て存続が決定されたとある。本丸入り口に中村重遠大佐の顕彰碑が建立されている。

姫路城の前の内濠に架かる橋桜門橋で、幅7m、長さ22mあり平成19年2月に完成したそうで、私が訪れたのは平成19年11月23日なので、ピカピカでした。

参考に、国宝に付いて資料を見てみると、昭和25年5月30日文化財保護法の施行により旧法制化で指定された「国宝」は、そのまま「重要文化財」に指定され、その中で特に歴史上意義深いものが新たに国宝に指定された。法的には国宝も重要文化財の一種で、混同を避けるために、旧国宝を「旧国宝」と通称する事があると説明されている。国宝から、戦後の新法制で重要文化財に格下げされたとの理解が多く見られるが、旧国宝と重要文化財は同等のもので、格下げではなく単なる名称の変化に過ぎないと文科省の資料には書かれているが、我々凡人は格下げと感じる。

現在国宝の建造物は216件で城郭が5城、国宝のメリットは修復等多額の費用が必要な場合、国が一部負担(補助)をする事であろうか。と記載がある。

備前丸(本丸)からの見上げたアングルで、姫路城の大きさを一番感じられるスポットです。
見上げたアングルの幾重に重なった屋根の美しさも見ものです。

備前丸(本丸)西側からの見上げたアングルで、他の天守には無い風格を感じる。

備前丸(本丸)東側からの見上げたアングルで、他の天守には無い光景。

何時もどれにでも出て来る姫路城天守群。

右に大天守、中央手前に西小天守、左が乾小天守。

画像は、連立天守群の中心部で此処に中庭がある。

日本三代連立式天守の一つ姫路城の中庭がる場所で、画像の下側が中庭、此処は一般公開していない場所なので、気を付けて見学しないと見逃がしてしまう。

日本三代連立式天守「姫路城・和歌山城・伊予松山城」で、和歌山城・伊予松山城は中庭を通らないと天守に行けないので否が応でも中庭を見る事になる。

大天守最上階から見た、備前丸(手前の広場・本丸)と三之丸。

天守は、5層6階地階1階の構造で、2本の太い通し柱が地階から支えている。その西大柱。

天守内の展示物。

天守最上階にある長壁(刑部)神社(おさかべじんじゃ)と言うそうです。
姫路城がある姫山にあった神社で、地主神が祀られています。

大天守の骨格模型。現存12天守の中で、唯一流し台が設置してある。

平成の大修復された大天守。私の知人がガイドをしており、画像を頂いた。

平成の大修復された大天守。

 

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第17回全国障害者スポーツ大会~愛顔(えがお)つなぐえひめ大会終了

2017年11月01日 | 伊予松山歴史散策

10月28日(土)、~3日間開催された第17回全国障害者スポーツ大会~愛顔(えがお)つなぐえひめ大会は雨天の中、皇太子殿下をお迎えして日本国内最大の障害者スポーツ大会が愛媛県総合運動公園で開会式が行われた。台風22号の影響でグランド競技が一部中止となったが、ほぼ予定通りの競技は行われ10月30日快晴の下閉会式が行われ大会旗は来年開催地の福井県に引き継がれた。

日本国内最大の障害者スポーツ大会をスムーズに運営するには関係役員だけでは難しく、大会を陰から支えるボランティアが無くてはならない。愛媛大会でも老若男女問わず大勢のボランティアの支援があって大会が開催出来た。全国47都道府県と20の政令都市から参加した役員・選手の皆さん方は、10月31日、開催地愛媛県を離れそれぞれの故郷に帰って行った。

県内各地の駅や空港、港には開催期間中共に過ごしたボランティアとの別れを惜しんだ。

迎える時も笑顔で、見送る時の笑顔は難しく、見送る側も、見送られる方もお互い涙が止まらない、それだけ3日間と言う短い時間であったが中身の濃い介助・応援をした、選手団サポートボランティアのお持て成しの気持ちが通じた証拠であった。

地元新聞記事によると「駅のホームで互いに挨拶を交わし、一緒に記念撮影を撮り、ユニホームや、ベストに記念の言葉を書き合い、列車がホームを出るまで手を振り、涙が止まらない、思い出を心に刻んで別れを惜しんだ。」と書かれていた。

また、四国愛媛と九州を結ぶ八幡浜港では、10月26日愛媛県入りした九州選手団をお迎えしたが、帰りも気持ちよく帰ってもらおうと、急遽地元民が集まり、見送る側も、見送られる方もお互いの声が聞こえなくなるまで「有難うございました。」の絶叫し合い、熱い心の交流が出来た。・・と記事が書かれてある。

 ここでNHKに一言物申す。

日本最大の全国障害者スポーツ大会は、私は地元であるから、愛媛県で大会が開催されて居る事は分かっているが、他県の人達は知らないと思う、NHKには地上波・BSと4CNの放送枠がある。

何故全国にTV放映をしてもらえないのか?しないのか?出来ないのか不思議である。全国障害者スポーツ大会開催中に、アメリカ大リーグ野球中継やドラマ放映をしており、これらを中止して全国障害者スポーツ大会の様子を日本国民に対して放映して欲しかった。・・来年は是非お願いしたいものです。

アメリカ大リーグ野球中継やドラマ放映等々に付いては、映像を中継して、ドラマは局内での操作で楽に放映作業が出来るでしょう。現地での競技を生放送するとなると、機器の持ち込み、機器を操作する技師の配置等々大変だと思いますが、そこは国営放送でしょうお願いします。

大会初日台風22号の影響で日頃鍛錬した良い技の披露が出来なかったが、無事大会は終了した。

清々しい表情で喜び合う選手。

健常者よりも、大きなハンディを持ちながらスポーツに取り組む姿、日頃の鍛錬それも故郷の代表になるためにと日夜努力・努力・努力で、自分との闘い並大抵の精神では乗り越えられない強い気持ちの持ち主、そして支える家族、周囲の支援者、気持ちの弱い人だと押しつぶされてしまう。そんな選手が年に一度相集いその成果を披露するのが全国障害者スポーツ大会、この様子を「NHKは全国放送をしないのである。」

選手以外にも大会を盛り上げたのは、選手団サポートボランティアの支援であった。故郷に帰る選手の皆さんを笑顔でお見送りするJR松山駅ホームでの光景。

九州に帰る選手の皆さんは、八幡浜市にある八幡浜港で地元市民がお見送り、見送る側も、見送られる方もお互いの声が聞こえなくなるまで「有難うございました。」の絶叫し合い、熱い心の交流が出来た。・・と地元新聞記事に書かれてある。

こんな光景の記事を読むだけでも目が熱くなる。九州の皆さんまた愛媛にお越しください。ご苦労様でした。

 

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