EEKの紀行 春夏秋冬

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北方文化博物館 超豪華美術品TV 再放送された

2023年04月13日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

画像は、新潟市江南区にある、北方文化博物館が所蔵する「南蛮屏風」で世界に70点しか現存しない・・国宝級である。

番組史上最高額が評価され吃驚!!北方文化博物館 佐藤副館長も超驚きであった。

ライト・民間情報教育部門(CIE)の部長と伊藤家第7代当主伊藤文吉との熱き友情で開設された「北方文化博物館」正面。
画像は

GHQ極東軍最高司令官マッカーサー元帥が終戦後初めて我が国に於いて、私立の博物館として許可を下し開設した「北方文化博物館」の入口である。

北方文化博物館は、新潟県一番の大地主の伊藤家である。

昭和20年8月末に、日本に進駐してきた米軍第8軍第27師団は、同年9月24日、新潟軍政部を開設、その中に民間情報教育部門(CIE)の部長としてラルフ・E・ライト中尉が着任した。なおGHQ本部は、ライト中尉に当初の赴任先は、青森県であったそうですが、これを断り、次は埼玉県、これも辞退、そして、次に打診されたのが新潟県であった。
もしもライト中尉が新潟県に着任してなかったならば「北方文化博物館」の誕生はなかったのである。

新潟軍政部は、新潟県一番の大地主の伊藤家を接収解体し軍政部の一部として使用する計画でライト中尉がその調査に伊藤家にやってきた。

通訳を介して説明をしようとすると伊藤家第7代伊藤文吉から素晴らしい英語で返答があった。ライト中尉はびっくりして「ミスター伊藤」英語はどこで習得されたのかと・・問いただすと「私は、ペンシルベニア大学の卒業生で、修学しその時習いました。」と返事が帰ってきた。
驚いたライト中尉は、伊藤さん実は私もペンシルベニア大学の卒業生です。同窓生ですね・・奇遇な出会いであった。
それからライト中尉は、日本の農村文化を一般に開放することはアメリカの占領政策の一つとして、伊藤邸宅と収蔵美術品を含めて「史跡文化振興会・私立博物館」として昭和21年2月12日、GHQマッカーサー元帥から我が国戦後初めて認可された。これ全てライト中尉の尽力であった。

北方文化博物館誕生に多大な尽力をされたラルフ・Eライト新潟軍政部長と伊藤家第7代当主・初代北方文化博物館長と伊藤家第8代目当主・第2代目・北方文化博物館長。

注:伊藤家当主は代々文吉を称した。画像は北方文化博物館所蔵。

平成15年7月24日、御来館された皇太子殿下・雅子妃殿下(現・天皇陛下・皇后陛下)を第8代伊藤文吉館長が北方文化博物館をご案内された。

画像は、北方文化博物館所蔵。

上空から見た北方文化博物館で、画像左に石碑と記載がありますが、秋山好古が揮毫した忠魂碑がある。

秋山好古が揮毫した忠魂碑、日露戦争で、旧新潟県中蒲原郡横越村(現・新潟市江南区)から出征され戦士された方々の慰霊の碑で、秋山好古が大正2年1月15日に陸軍第13師団長として新潟県高田に着任その時、伊澤新潟県知事からの依頼で「忠魂碑」を揮毫した。

新潟市江南区沢海二丁目にある、秋山好古揮毫石碑「忠魂碑・新潟市市民文化遺産認定」に認定された。その認定証書。

「高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?~北方文化博物館」のTV収録に入るBS/TBS取材班。

北方文化博物館、佐藤副館長、伊藤家第8代伊藤文吉第2代北方文化博物館長に38年間仕えた。学芸員の有資格者である。

高島礼子さんをお迎えする、北方文化博物館佐藤副館長さん。

私に、佐藤副館長から、令和2年12月12日、TV放送の連絡が届きました。BS/TBSで「高島礼子が家宝捜索!蔵の中には何がある?~新潟編」放映時間は、午後7時から1時間54分でした。
北方文化博物館美術品所蔵庫(蔵)にTVカメラが入るのは初めての事だそうです。

博物館に常設展示されている美術品は勿論、蔵に保存されている美術品は重要文化財級の美術骨董品が沢山ありました。

中でも、南蛮屏風はビックリする程の評価額が示され高島礼子さん、佐藤副館長もビックリされました。

注:鑑定士は、全国に店舗8店舗を構え、5月から愛媛県松山市に出店する山岡真実司さんでした。

北方文化博物館入口に掲示されている「北方文化博物舘」の揮毫は、会津 八一です。

高島礼子が「家宝捜索・蔵の中には何がある?」北方文化博物館の美術品が所蔵されている蔵の中に初めてTVカメラが捜索に入った。

この時の視聴率が高くTV再放送が下された。その再放送の連絡が、佐藤副館長から私に連絡があった。

再放送は、令和5年2月5日(日)午後9:00から10時54分 BS-TBSでとの連絡でした。

画像は、柳宗悦氏。

博物館には、錚々たる方々(柳宗悦・バーナード・リーチ・濱田庄司・司馬遼太郎各氏)が北方文化博物館を訪れております。

奥土蔵(所蔵庫)は絶対部外者を入れてならぬ、というのが代々受け継がれている家訓の様なものだそうです。
佐藤副館長さんさえ、学芸員として職に付いてから10年程は、中に入ったことはなかったそうです。

私が思うには!!

その内文部科学省に設置されている「文化審議会」から重要文化財指定、もしかすると国宝としての打診があるかもです?

案内される、佐藤副館長(左)高島礼子さん(中)鑑定士の山岡真司さん(左)

常設展示されている「色鍋島の大皿」

江戸時代に佐賀鍋島藩の藩窯で焼かれた製品を“鍋島”と呼び、その最大の特徴は将軍家への献上や、大名・公家などへ贈答するための焼き物だったということ。そのため、技術の粋を集めてつくり上げた品々は藩の威光の象徴であり、独創的な美が追求された。斬新なデザインと極めて洗練された技巧は今なお人々を魅了し続けている。・・これ一枚でマンション一戸購入できる凄い古美術品である。

古伊万里染付の大徳利と大盃。

画像のような古美術品が常設展示されている。

現在では、このような大徳利と大盃は制作困難だそうです。

北方文化博物館主屋の大広間からの庭園、素晴らしい眺めです。

番組史上最高額が評価された「南蛮屏風」で世界に70点しか現存しない・・国宝級である。

法隆寺の百萬塔で、中にお経が入っている。

明治41年5月29日、伊藤家の何代目かの伊藤文吉さんが法隆寺に寄付をした時の返礼として百萬塔が贈られた。大変貴重なものである。

百萬塔の中には、陀羅尼(だらに)経(きょう)と言うお経が入っており、年代が明らかなもので現存する世界最古の印刷物とされている。

北方文化博物館所蔵館の中には、凄い古美術品が沢山ありました。今後、企画展示を行い来館された皆さんにご覧になって頂きたいと佐藤副館長さんは言っておられた。

北方文化博物館に常設展示されている美術品でも「色鍋島大皿」は、マンション1戸が購入出来る程の高価な古美術品が平然と展示してある。

平成25年10月30日、秋山兄弟生誕地で奉仕活動として活躍している研究員8名を引率して北方文化博物館に研修として伺った時の画像で、第8代伊藤家の当主で第2代目北方文化博物館館長さん直々に館内を案内して頂きました。

普段は入れない伊藤家の仏間にもご案内して頂きました。

後列真ん中の方が、第8代伊藤家の当主で第2代目北方文化博物館館長さんです。

残念に、第8代伊藤家の当主で第2代目北方文化博物館館長・伊藤文吉さんは、平成28年10月25日、ご逝去されました。享年89歳でした。

8代目には嫡男が無かったため、文吉の名は8代目で途絶えることとなりました。

なお、8代目文吉の本名は「吉彦」であった。

明治36年7月6日、六代目文吉の次男淳夫が七代目文吉となった。

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