EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

伊豫松山城 年末大煤払い(大掃除)

2013年12月29日 | 伊予松山歴史散策
伊豫松山観光の宝物は、松山城天守と道後温泉本館で、見て、そして入浴を楽しみにお越しになる大切な観光施設である。道後温泉本館の煤払いは12月3日行い新年を迎える万端を整えた。
あとは伊豫松山城天守である。天守は、年中無休で開城しているが、毎年12月29日だけ本壇天守を終日臨時休業して一年の埃と煤払いを行い、床の間に注連飾りとお供え物を献上し神事を行い、新年を迎える準備をしている。(本壇以外は観光出来る。)
煤払いは、管理運営会社関係者、地元高校生を初め日頃から松山城を社会奉仕で支援活動をしている各種グループが松山城本丸に集まり清掃を行った。
松山城は、来年1月15日、412歳を迎える。
徳川家康の許可を得た加藤嘉明は、慶長7年(1602)1月15日に城郭創建に着手、完成までに26年の歳月を要した。この間築城に要する費用の捻出は年貢の取立てを高め藩民を苦しめた。また幕末から明治維新に掛けては親藩であるが故にある理由で幕府から疎外され、明治新政府からは朝敵とされ住民は苦しんだ。しかしこの苦難を乗り越えて現在の松山があり松山の観光の宝物松山城がある。
「降る雪や 明治は遠く なりにけり」・・松山の俳人、中村草田男、有名な句があるが、昭和の時代も遠くなり、平成25年も過ぎ去ろうとしている。
今日(29日)の松山は冷え込みが厳しかったが天候に恵まれ予定通りの煤払いが出来た。今年の年末年始の休暇は、9連休とあって早い県外からの観光者は松山城観光に来た方々は、天守が臨時休業、ちょっと残念がられて居たが滅多に見ることが出来ない大掃除を珍しそうに見ていた。・・これも観光の一つ。
地元マスコミも動画・静止カメラ持参で取材に来ていた。最近女性の記者が多くなった。


各観光会社は、12月29日は毎年年末大掃除のため天守は閉城して観光出来ない事を承知しているため団体の観光者はいなかった。しかし個人の観光者はこの事を知らずに観光に来ら残念がられていた。


本壇天守入口に、年に一度臨時休業して天守の大掃除のため閉城いたしますのお知らせ掲示板。


本壇一ノ門で閉門して本日の大掃除関係者とマスコミ記者以外は立ち入り禁止。


東側の登城口から地元中学生が大掃除のため登城。・・ご苦労さん。


日頃から松山城を奉仕活動で支援している各種団体が本丸大手門跡に集合。代表者から清掃についての注意事項等々通達。・・先ず怪我のないように!!
参加した各団体は、清掃の持ち場に三々五々移動。


午前9時50分、天守最上階では、天守管理事務所の職員が勢ぞろい、今日(12月29日)本壇のみ臨時休業して閉城、松山城管理事務所関係職員が一年の埃、煤払いをする作業初めの訓示をしていよいよ天守の煤払い開始。


画像の通り本日は快晴で大掃除日和。先ずは、天守最上階から外観の煤払いそして内部の清掃、松山市の観光の宝物しっかりと磨き上げる。


マスコミ特にTVにあっては絵になる松山年末の風物詩しっかりと画像を撮る。


天守最上階は標高160m普段は天守外の濡れ縁に上がれない場所で煤払い。カメラも年に一度しか上がれない所で撮影。


特に汚れの多いところは二人係で煤払い。


松山最大の年末行事TVカメラマンもしっかりと画像収録しないと編集係りが待っている。唐破風に揚がる鬼瓦には、親藩の証し徳川三つ葉葵の紋がある。徳川御三家、徳川御三卿以外の城に三つ葉葵の紋があるのは非常に珍しい事である。


地元中学生達は、引率の先生の指導で南側の県庁からの登城道路を清掃。清掃活動に参加することは、意義深い事である。


一般の奉仕団体が巽櫓下の清掃をした。最近観光に来られる皆さんは、社会道徳意識が高く塵は殆ど落とさない。日本人の美化意識は高い、観光に来る人たちも地元では奉仕活動をしている人が多いのではないかと感じる。よって清掃する対象物は殆ど落ち葉である。


天守最上階の床の間にはお供え物が置かれた。


平成26年1月1日、松山城本丸で開催される行事の案内掲示板も設置され新年を迎える準備が整った。
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松山道後鷺谷墓地・秋山好古墓参

2013年12月24日 | 伊予松山歴史散策
平成25年も師走を迎え残すところ7日となりました。
今年の年末年始休暇は、9連休道後温泉にも多くの方々が観光にお越しになると思います。NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」は、平成24年第38回放送文化基金賞番組部門(テレビドラマ番組)本賞を受賞された輝かしい作品で現代日本人に勇気と元気を与えるものでありました。
坂の上の雲の主人公の一人である、秋山好古の墓所が道後温泉の一角にあります。
年末年始の休暇を利用して、道後温泉観光にお越しになる皆様の中には好古の墓参される方が多くおられます。本日(24日)秋山兄弟生誕地の関係者が墓の清掃と献花をして来ました。
なお、松山鷺谷墓地にある好古のお墓は、秋山宗家の了承を得て、東京の青山霊園にある好古の墓所から分骨をして昭和5年11月4日に北豫中学校・松山同郷会の関係者が建立したお墓であります。

参考までに
秋山兄弟生誕地では、坂の上の雲の名場面と感動を再び全国各地で呼び起こそうと、主人公であります、秋山好古・眞之兄弟と正岡子規の生誕地であります愛媛県松山市から再放送の陳情しようと12月19日から署名活動を開始しました。


市営「鷺谷墓地」にある表示板。


市が設置している秋山好古のお墓の説明板。


道後温泉本館で、右奥のビル後方に鷺谷墓地がある。


鷺谷墓地から見た伊予松山城、左の建物は「ホテル・道後舘」で設計は、女優、若尾文子の亡夫、黒川記章建築家が設計した建物。


先ずは、秋山好古の両親「久敬・貞子」のお墓掃除をし献花をする。


続いて、秋山好古のお墓も清掃をして献花、新年の準備も万端。




何時でもお墓参りをして頂いてもOK、綺麗なお花を生けて完了。


この墓地には、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句で有名な、中村草田男も眠っている。


伊佐庭如矢の墓所。
松山最大の観光資源松山の宝、明治6年、政府は廃城令を発布したため日本各地の城郭は取り壊しが行われた。伊佐庭如矢は、伊予松山城を市民の公園として存続を明治政府の大久保利通卿に陳情し、木戸孝允内務卿(桂小五郎)が存続を許可した。松山から存続請願が出た後、18の城郭存続願いがあり政府は19の城郭存続を認めた。そして先の大戦で7城が焼失、現在12城の天守が存続している。これを現存12天守と称している。(弘前・松本・犬山・丸岡・彦根・姫路・松江・備中松山・丸亀・高知・宇和島・伊予松山の各天守)
そして如矢は明治27年に当時の建設費13万5千円の巨額の予算を投じて建設した「道後温泉本館」生みの親であった道後町町長、伊佐庭如矢もこの墓地に眠っている。お墓は、道後温泉本館を向いて建っている。道後温泉本館は、来年築120周年を迎える。



日本最古の温泉と言われている道後温泉には、聖徳太子が来湯した時の石碑が椿の湯の南側に再建立されている。
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蔵元屋「愛媛県の地酒アンテナショップ」

2013年12月23日 | 伊予松山歴史散策
10数年振りに「愛媛の酒蔵元」に行ってみた。
「気軽に日本酒」をテーマに若者から、サラリーマン、お年寄りまで、男女を問わず散歩感覚で立ち寄りお気に入りの伊予の酒の飲み比べが出来る。
蔵元は、愛媛県酒造組合連合会が運営しているそうで日本酒愛好者は愛媛のお酒がここに来ると味わいが出来る。
店内には愛媛の酒、28蔵・150銘柄の酒が、ガラス張りの保管庫に展示保存してあり自分の好きなお酒を飲み比べが出来る。
また酒の肴も準備してある。
最近、新潟市にもJR新潟駅構内の一角に越後の酒を味わう所が開設されたとTV見た。

私は、2年6ヶ月前から味覚障害になり愛媛大学医学部附属病院で治療を続けているが味覚の専門医曰く、味覚障害は完治する患者も居るが、完治しない人も居る。最初の投薬も効果なく、投薬の種類を変更したが効果なく、また最初の投薬に切り替えた。すると今年11月から味覚が少し改善、ビールも美味しく感じなかったのが美味しく感じだし、今はいろんな食べ物を食して味覚を確かめている。
今回の愛媛の酒蔵元を訪れたのも日本酒を通して味覚改善の確認も試みて行ってみた。


場所は、松山市一番町一丁目11番地7で市内電車通り沿いにある。


店内の酒ダル。


愛媛の酒が、菰掛けされた樽がカウンターに置かれている。


愛媛の地酒、蔵元所在一覧が額に入れて展示。


店内では、28蔵・約150銘柄の愛媛の地酒を取り揃えており、小売販売もしておるそうだ。日本酒が好きな方に、観光のお土産に、お祝い事の贈り物などにも利用出来るし、地方発送も行っているとの由。 


店内は、椅子は無く立ち飲みスタイルで画像のメニューが置いてあった。




昨日私が飲み比べと味覚確認をした酒で、日本酒の味は確認できたが、各銘柄の違いは確認出来なかった。私にはそこまでの味覚感覚の持ち合わせはない。
真ん中の「石鎚」は最近人気の酒で大阪でも人気が上向きとか!!城川郷は甘口 石鎚は辛口 小富士は超辛口。
左の「小富士」は辛口の酒として松山では人気の酒、高松市からも買いに来る愛好者がいるとか!!


飲み比べに注文した肴「じゃこ天」これは美々だった。・・という事は少しずつであるが味覚は改善していると感じた。


蔵元の店内。


店内には、杉玉の下に札があった。「平成25年新酒の入荷紹介」・・と。


賞状も展示してあった。


店内には多くの人たちの名札が掲げてあった。どんな人たちの名札か??利き酒で優秀な成績を挙げた人達か?


蔵元を出て帰りに松山三越に寄ってみると、大街道側入口の特設舞台で季節はずれのフラダンスの実演が行われていた。・・思わず一枚撮ってみた。地階食品売り場は大勢の人が年末の買い物をしていた。

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秋山兄弟生誕地大掃除

2013年12月16日 | 伊予松山歴史散策
今年も師走を迎え残り少なくりました。
本日(12月16日)秋山兄弟生誕地では、年末恒例の大掃除を研究員総出で行いました。
今年一年秋山兄弟生誕地に来て頂いた方々のお礼と、新しい年にお越し頂き気持ちよく生誕地を観覧して頂くために隅々まで綺麗に清掃をいたしました。
後は、25日に毎年素晴らしい注連飾りを作って頂く篤志家の特製注連飾りを取り付け新年を迎えます。今年も年末年始開館してお持ちいたしております。


秋山兄弟生誕地武道場で、橘事務局長から大掃除前の挨拶。


武道場の煤払い。


平成17年1月18日再建が完成した秋山兄弟生家座敷も大掃除。


武道場についた一年間の煤払い。


眞之の胸像も綺麗に埃をふき取る。眞之の胸像は、松山のパワースポットの一つとなっており、観光にお越しになった皆さんが像に触れて帰られるので両手がピカピカに光っています。


秋山好古騎馬像も念入りに清掃。好古曰く、毎年大掃除ご苦労さん。・・と
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義士祭松山市で開催

2013年12月14日 | 伊予松山歴史散策


今年も、12月14日松山市で「松山義士祭」が行われた。
年末の日本最大の関心事、312年前の出来事、元禄14年、浅野内匠頭の江戸城松の廊下の刃傷から、同15年、大石内蔵助良雄が率いる赤穂浪士の吉良邸討ち入り、同16年、浪士の切腹に至るまでの一連の事件は、今日まで歴史上のみならず、寛永元年に歌舞伎で、仮名手本忠臣蔵として開かれその後、書籍、映画、演劇、講談、多岐にわたる分野に取り上げられ、最近では外国からも多くの人々が泉岳寺の浪士の墓参りに来ている。
今年も12月14日、赤穂浪士との関係がある地区で義士祭が開催されるが松山でも第50回の義士祭が松山市長も供養に訪れしめやかに行われた。
伊豫松山藩と赤穂浪士の関係は下記の通りで、浪士の内10名を幕府からの指示で伊予松山藩が預かった。
討ち入りした47名は、泉岳寺で内匠頭の墓前に上野介の首級を供えた後、幕府大目付けへ自首し、細川、水野、毛利、伊予松山藩に預けられ、伊予松山藩では、大石主税ら10名を江戸中屋敷に収容し、切腹まで面倒をみた。
この内大高源吾、木村岡右衛門の切腹の介錯をした藩士宮原久太夫は両名の遺髪を藩主の許しを得て、松山にある宮原家の菩提寺、興聖寺(こうしょうじ)へ二人の墓を建立し納め供養した。その墓は今も毎年義士祭を開催して供養をしている。宮原は、この介錯の後、俳諧で著名であった人でも殺さねばならない武士というものに嫌気がさし、武士を捨てて松山で酒屋に転じている。
昭和39年、両名と宮原の供養と地元の発展を願って、興聖寺史跡顕彰会が発足し、同年12月14日第1回松山義士祭が挙行された。その後主催は末広町商工会を経て同町会へ移行し現在まで松山の師走の風物詩として今年第50回を迎えた。

文献によると、元禄16年2月4日、幕府より浪士に対する奉書が届いたのは未の刻(午後2時)、検使として御目付、杉田五左衛門と御使番駒木根長三郎以下御徒歩目付が到着、浪士らを長屋から駕籠で迎え大書院玄関の次の間に控えさせた。そこで杉田五左衛門は罪状を申し渡し切腹を命じた。主税はじめ10名はこれを有難くお請けして支度にかかった。切腹の場所は、三方を花色無地の幕で張り囲らせ、畳二枚を敷き、その上に他家とは異なり、浅黄木綿の蒲団を置いた。浪士控えの間から切腹の場所まで薄縁が敷いてあった。松平隠岐守も三田屋敷に居て、別の座から一同の切腹を終始見届けていた。「波賀清太夫覚書」に詳細に記されている。切腹が始まったのは申の中刻(午後5時)で、この様子を終始見分して隠岐守が上屋敷へ帰ったのが茜刻過ぎ、午後6時過ぎであったというから約1時間前後で10名が切腹し終えたということである。最後に切腹した大高源吾は、呼び出される前に鼻紙に次のように走り書きした辞世を残している。「梅で飲む茶屋もあるへし死出の山」
また、他の文献には、伊予松山藩は親藩であるためその待遇は、幕府の意向を気にしつつ丁重に扱ったようで、食事は伊予松山藩が一番良かった(一汁二采)と当時の記録がある。
切腹後の遺体は布団に包み、泉岳寺へ移送し埋葬されている。また切腹の介錯は細川、水野家では、浪士一人につき一人としたが、伊予松山、毛利家では二人につき一人の介錯であった。
宮原久太夫は20人扶持と軽輩ではあったが、武士道に厚く剣の腕もあり、義士受け取りの徒歩頭の中にもその名前が伝えられている。ご子孫は現在も健在で神奈川県に居られる。
なお、播州赤穂から、手厚くお持て成しをした御礼にと櫨の木が送られており松山道後にある湯築城外堀土塁に植え道後地区土地改良区が大切に保存して現在も健在である。

註1:興聖寺の資料より
参考:伊予松山藩がお預かりの赤穂十士氏名は下記の通り
大石 主税良金     部屋住(大石内蔵助良雄長男)  15歳
堀部 安兵衛武庸    二百石馬廻           33歳
中村 勘助正辰     百石祐筆            44歳
木村 岡右衛門貞行   百五十石代官          45歳
岡野 金右衛門包秀   部屋住(亡父二百石物頭)    23歳
不破 数右衛門正種   先知百石普請奉行        23歳
菅谷 半之丞政利    百石代官            43歳
千馬 三郎兵衛光忠   三十石宗門改          50歳
貝賀 弥左衛門友信   十両三人扶持蔵奉行       53歳
大高 源吾忠雄     二十石五人扶持近習       31歳

註2:伊豫松山藩が預かった江戸中屋敷は、現在イタリア大使館となっており、庭園には赤穂浪士の事柄を石碑に記録として記して建立し保存されている。
註3:藩士達の教育係り、山鹿素行(儒学者・兵法学者)は、大石内蔵助良雄が8歳の時1千石で取り立てられ10年間赤穂藩で教育した。「主君に事があったとき命を捨ててそれに当たる。臣道、家来の道、君臣義あり。」・・とある。
私見:師走になると必ずTVで赤穂義士の事が報じられる。忠義立てに命を捧げた46名、この時代だから出来た事だろうが!!現在人、私を含めてこの様な気持ちの持ち合わせがあるのか??人間何を大切にして生きて行くのか・・今は家族を大切にだろうか?忠義・武士道という言葉は、現在の世にはヅレを感じ不似合いだが何故かその境地に嵌ってしまう。

開催日:平成25年12月14日(土)
開催場所:興聖寺
開催地住所:愛媛県松山市末広町14番地1


午前11時、興聖禅寺を出発する義士行列。
行列は、愛媛県立病院・県立松山南高等学校・愛媛銀行末広支店・松山地下商店街・いよてつ高島屋百貨店前・末広町商店街・興聖禅寺、約2kmを県立松山南高校の吹奏楽部が音楽を奏でながら義士行列をした。


末広町商店街を義士行列。


松山市地下商店街を歩く義士隊。


いよてつ高島屋百貨店前で記念の集合写真。


興聖禅寺に帰り一同勝ち鬨を挙げる義士行列隊。


義士行列が終わり、境内で行われる剣舞隊員。


特設舞台で、木村岡右衛門、大高源吾に扮した剣舞を披露。


木村岡右衛門、大高源吾のお墓にはお供え物と献花がされ、右に介錯人、宮原久太夫家のお墓がありお花が生けられた。


大高源吾は、宝井其角に俳諧を学び、俳号を「子葉」と号し元禄16年2月4日伊予松山藩邸で切腹を命ぜられ、その死に臨んで次の句を遺して清く自刃した。
「梅てのむ  茶屋も有りへし死出の山」・・その句碑


興聖寺住職の読経が始まり野志松山市長も義士際に参列、木村岡衛門・大高源吾のお墓参りをした。


野志松山市長に続き地元末広町会代表者もお墓参りする。


お墓参りが終わり本堂で義士供養。


境内に設営された討ち入りそばを食しつつ義士の忠義心を改めて感銘する義士祭りに参加した人々。


港区高輪、曹洞宗萬松山「泉岳寺」にある、浅野内匠頭長矩のお墓。
平成20年にお参り時に撮影。


港区高輪、曹洞宗萬松山泉岳寺にある大石内蔵助良雄のお墓。


港区高輪、曹洞宗萬松山泉岳寺にある赤穂義士のお墓。11月某TV局がスペインとイタリアから泉岳寺に観光に来られた人にインタビユーをした時の会話、「本や映画でこの話に接して魅了されてしまった。とても感性に触れる物語です。本で読みました 好きですね。とても悲しいけれど彼らの誇りと運命を感じます。心に強く訴えるものがあり日本人の魂がよく分かります・・と」話された。


道後湯築城跡外堀に赤穂から贈られて来た「櫨の木」が保存されている・・赤穂から何故櫨の木を贈ったのか質問を赤穂市役所に照会するも不明と回答、判明したら連絡しますとあったが・・4年が経過するも何の音沙汰もなし。
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