EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市の染井吉野桜が開花、昨年より3日遅く開花した

2020年03月27日 | 伊予松山歴史散策

新型コロナウイルスが蔓延している中松山も春本番、今年は温暖で染井吉野桜の開花が例年よりも早く宣言されるのではないかと地元TV局(南海放送)の新人女子アナが毎日現況報告を特番で報じた。

一昨日(3月25日)松山地方気象台の職員二人が5輪開花している状況を確認した。

例年であれば道後公園にある「植物季節観測標本樹(桜)ソメイヨシノ」の前で報道関係者と、市民に対して口頭で開花宣言をするが、今年は新型コロナウイルスが蔓延している関係で、松山地方気象台が準備した文字表現で開花宣言をした。

この行為は初めての事である。

開花は、昨年よりも3日遅く、平年の25日開花である。

此れから7日か10日で満開になると言う。

松山は明日から雨天の予報である。

  • 呟き:染井吉野桜は、天狗巣病になりやすくこの病気に罹り枯れ、また樹齢も短く全国の染井吉野桜の寿命が近づき倒木危険防止のためにも伐採が始まった。染井吉野桜に変わって天狗巣病に強い桜として「神代曙桜」が植え変えられている。
  • 平成17年度から染井吉野桜の配布を中止し、平成21年度からは苗木の販売を中止、神代曙(ジンダイアケボノ)への植え替えを推奨している。
  • 伊予松山城太鼓門前の染井吉野桜も昨年(令和元年)6月11日伐採された。
  • 気象台の「植物季節観測標本樹(桜)」は現在、染井吉野桜であるが、次世代の植物季節観測標本樹(桜)は、神代曙桜に変わるのでしょうか?

     

国指定・史跡「湯築城跡」に松山地方気象台が観測用として管理している「植物季節観測標本樹(桜)ソメイヨシノ」がる。

観測用染井吉野桜には、画像の表示板が設置されている。

国指定・史跡「湯築城跡」に松山地方気象台が観測用として管理している「植物季節観測標本樹(桜)ソメイヨシノ」で、開花が近づくと松山地方気象台の季節観測官二人が、午前中1回、午後1回確認に来る。

一昨日(3月25日)松山地方の染井吉野桜が開花したと宣言された。

画像は、3月26日午後2時過ぎに撮影した観測用の染井吉野桜である。

昨年よりも3日遅く開花した。

此れから7日か10日で満開になると言う。

史跡・湯築城跡には「伊佐庭如矢」の記念碑がある。(揮毫は、安倍能成)

伊佐庭如矢の特筆事項は、
現在の道後温泉本館は伊佐庭如矢が計画し建築したもので、日本で初めて温泉施設が国指定の重要文化財として指定された。

また

「松山城天守存続に尽力した」

明治6年2月政府は、廃城令を出して旧権力の象徴である城郭を取り壊すと共に、売却による維持経費の削減を図ろうとした。

伊予松山藩は、親藩がゆえに幕末朝敵とされ松山城の売却取り壊しは免れぬ状態であった。

存続を願い伊佐庭如矢は、大蔵卿大久保利通に城郭を公園化する事で、庶民の観覧のためにと存続上申した。

維持費は地元で負担する事を条件で、内務卿木戸孝允は公園化を条件で認め存続を許す事になった。(全国に19の天守を政府は残した。その内大東亜戦争の戦火で7天守が焼失し12の天守が残った・・これが現存12天守である。

政府も各地の城の取り扱いに困っていたので、伊佐庭如矢の公園化計画は一つのヒントになり、その後各地の城は公園化が推進され存続した。

揮毫者、安倍能成の略歴

松山市出身の哲学者、教育者、政治家で法政大学教授・京城帝国大学教授・第一高等学校校長・貴族院勅選議員・文部大臣を歴任して、貴族院帝国憲法改正案特別委員会委員長・そして学習院大学長を務められた。学習院の校歌の作詞は、安倍能成である。

位階は、正三位である。

伊佐庭如矢が、愛媛県の吏員時代に愛媛県参事名(起案をしたのは伊佐庭如矢)で伊予松山城の存続の儀 内務卿大久保利通に送った申上候書。

 

伊予松山城の存続の儀 申上候書

伊予松山城の存続の指令書は愛媛県県立図書館に保管されている。

史跡・湯築城跡には「伊佐庭如矢」の記念碑がある。(揮毫は、安倍能成)

その説明。

現在の松山市の発展に尽くした最大の功労者「伊佐庭 如矢」。

伊佐庭 如矢の四大功績。

湯築城は、室町時代から安土桃山時代にかけて約250年間に渡り伊予国の守護であった河野氏の居城として存続した城跡である。
最後の城主は福島正則で、その後江戸時代となり、政治の中心は加藤嘉明が築城した松山城に移り、湯築城は廃城となる。

日本100名城第80番に指定されている。

国指定、史跡「湯築城跡」の模型で印の所に松山地方気象台が管理する染井吉野桜の標本樹がある。

国指定・史跡「湯築城跡」には沢山の種類の桜が植栽されており画像の様に満開の桜もある。

国指定・史跡「湯築城跡」の内堀に鷺がやって来た。

鷺も桜を鑑賞に来たのか!!

令和2年3月25日、松山地方気象台植物季節観測官二人が、染井吉野桜5輪開花したことを確認した。
(南海放送TV画像引用)

新型コロナウイルスが蔓延のため、松山地方気象台観測以来初めてとなる「文字表示」で松山地方の染井吉野桜の開花宣言をした。

 

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私が感じたパワースポット・新潟市江南区 北方文化博物館

2020年03月19日 | 伊予松山歴史散策

先日、午後11時05分から「NHKラジオ深夜便」で二夜に渡ってノンフィクション作家・高橋秀実さんの「パワースポットと日本人」と題した対談があった。
有名なパワースポットである明治神宮ですが、パワースポットは本殿ではなく、境内にある「清正井戸」であり、奈良の大神神社も御神体ではなく、参道の脇にある岩で「そこではなく・ここです」と話された。

パワースポットは、感じるものでなく、力・御蔭・御利益をお受けするものですとも話された。
受け取ったパワーを自力と会い合わせて自分にない力に変える事により活力となるのかなと私は感じながら話に聞き入った。

高橋秀実さん曰く「パワーがもらえるからパワースポットでなく・パワースポットだからパワーがもらえる」と語った。
さて

私がパワーをもらい受けた場所がある。

それは、新潟県新潟市江南区沢海にある「北方文化博物館の庭にある石」である。

私は数年前に味覚障害に陥り、愛媛大学医学部付属病院耳鼻咽喉科を受診した。
そして味覚障害担当医の診療を受け検査をして治療をした。

それから暫く治療をしたが担当医曰く、いろいろ治療をしたが完治に至らずこれ以上治療の方法がないので本日をもって治療を打ち切りますと通告された。

治療は、最初にMRIで脳の検査をしたが脳には異常なし、その後数種類の薬物投与治療をしたが容態は良くならなかった。

私は秋山好古が揮毫した石碑の調査を行っており、平成22年3月17日、新潟市江南区沢海日枝神社にある秋山好古揮毫の「忠魂碑」の写真取材で行った時、北方文化博物館・佐藤隆男副館長が博物館を隈無く案内をして頂いた。

案内の中、博物館の中庭にある大きな石があるが、「この石が何かわからないが計り知れない力が出ている。」と・・その道の研究をされている方から言われたそうです。

佐藤副館長は長らく博物館に勤務しているが、この石お陰か風邪も引いたことがなく元気で勤務しているし、博物館の学芸員達も元気ですと言われた事を思い出した。

平成22年9月5日、北方博物館で講演会が開催され、私も参加した「演題は:秋山好古と横越の人々」講師は北方博物館神田館長で、この時の新潟市移動は、愛媛県松山市の自宅から自家用車で行った。・・新潟県に入っていくら走っても新潟県なので嫌になった。

この時、佐藤副館長からの博物館中庭にある「計り知れないパワーの石」の事を思い出し石の前でしばらく座禅を組み「石のパワーの氣」を受けた。

その後、新潟県魚沼市堀之内竜光の天満神社に秋山好古が揮毫した石碑「戦役記念」が発見され、平成23年6月10日、写真取材に行き再び新潟市の北方文化博物館を訪れ、博物館の宿泊施設に泊まり「計り知れないパワーの石」氣を受けた。

その後再び、平成24年10月30日、秋山兄弟生誕地で奉仕活動でガイドをしている研究員7名を引率し北方文化博物館に研修として伺った。
この時も博物館に宿泊し「計り知れないパワーの石」の氣を受けた。
トータルで3回、「計り知れないパワーの石」の氣を受けたのである。

それから不思議に味覚障害が少しずつ回復の兆候が出て来た。
現在は、完全に回復に至っていないが7割り位回復したと自分で感じている。
人の身体は時々病魔に侵され自己治癒力で治すことが出来るが、時には医学の助けを得て手術や投薬をして治す必要がある。

また他力(パワー)を受け治癒力を高める事も必要ではないのか?、病は気からと言う言葉がある。気は、必ず治る・もう大丈夫というような安心感を自分に言い聞かせ、治癒力を高め、病を克服する力(パワー)を与えてくれる。
7割り位障害が回復した兆候があるが、それは北方文化博物館の「計り知れないパワーの石」の御蔭であると私は思っている。

北方文化博物館に感謝しています。

病は気からであるが健康も気からである。

佐藤副館長に、北方文化博物館の「計り知れないパワーの石」周辺には小さな石が沢山ある、この石にもパワーがあるとの由、出来れば一つ石をお借受けして、就寝時身体の近くに置き常時パワーを受け味覚障害回復に役立てたいとお願いしたが、そのお気持ちはよくわかりますが、博物館の貴重な聖なるものなので館外に持ち出すことは出来ないと言われた。

画像は、北方文化博物館と「計り知れないパワーの石」である。

松山にも数カ所パワースポットがあるから折を見て行ってみたい。

北方文化博物館正面入口。

参考までに
昭和20年8月15日、終戦を迎え日本はGHQ指導で戦後処理が始まった。

新潟県にもGHQが侵攻してきて北方文化博物館(当時は、越後一番の豪農伊藤家であった。)

をGHQの新潟県司令本部の施設として使用する予定で伊藤家を担当司令部長が訪れ、この事を伊藤文吉当主に通訳を介し英語で説明した。

すると、伊藤文吉当主から素晴らしい綺麗な発音の英語で返答が返って来た。

GHQ担当官は、ライト中尉でまさか英語で返答があるとは思わず、ライト中尉は、ミスター伊藤、貴方は発音の綺麗な英語であるが何処で習得したのかを聞きただすと「私は、米国ペンシルバニア大学の卒業生で、この大学で学びましたと言った。」

すると、ライト中尉はビックリしたそうです・・何ですか貴方もペンシルバニア大学の卒業生ですか? 私も(ライト中尉)ペンシルバニア大学の卒業生だと言った。

ライト中尉は、教育者で日本の教育制度改革担当司令官として新潟県に来たそうです。ライト中尉の肩書は、新潟軍政部民間情報教育部長であった。

ライト中尉は、伊藤文吉がペンシルバニア大学の先輩となる事が判明、先輩の建物を接収する事は出来ないと判断し、この建物を何らかの形で存続させようと考え(流石教育者である)

ライト中尉は、文化財として残すことを提案し、新潟県知事からGHQ最高司令官マッカーサー元帥にたいして伊藤家を文化財として残すよう上申書提出させた。
マッカーサー元帥は、博物館として存続する事を了承した。

これが我が国、戦後初めてとなる博物館として設立されたのである。
それもマッカーサー元帥の指示で私立としてであった。(公立としての運用はそれどれ枠組みがり活動に制約があるので私立であれば自由な活動が出来るからとのマッカーサー元帥の粋な計らいであった。

なお、ライト中尉の最初の赴任先は、青森県であったがこれを辞退、次は埼玉県これも辞退、次が新潟県を打診され何故か新潟県を了承したのである。もしも新潟県以外に赴任していたならば、現在の北方文化博物館は設立しておらず、GHQ新潟司令本部として建物内部は洋風に改造されていただろう。

ライト中尉と伊藤文吉と出会が何かの力が働いたのである。それが「計り知れないパワーの石」にあるのかもしれない。

由緒ある北方文化博物館の中庭には、ライト中尉の記念碑が建立されている。

マッカーサー元帥とライト中尉の息のかかった博物館そこにある「計り知れないパワーの石」威力があると私は思った。

北方文化博物館の玄関。

平成24年10月30日、秋山兄弟生誕地で奉仕活動としてガイドをしている研究員7名を引率し北方文化博物館に研修として伺った時。

新潟県新潟市江南区沢海、北方文化博物館の中庭にある私がパワーをもらい受けた不思議な石。

「この石が何かわからないが計り知れない力が出ている。」とい言われるパワーの石である。

 

パワースポットの定義や役割については、千葉市立図書館参考業務資料として下記のような記載があった。

「霊的な力が満ちているとされる場所」『大辞泉 下巻 第2版』
「心身を癒してくれる自然のエネルギーに満ちた場所」『現代用語の基礎知識2016』
「魂に啓蒙の光をもたらしてくれるパワーの源」『聖なる土地の力』
「その土地、その場所が持つエネルギーを、その場所に行くことによって吸収して、運を上げる場所」『パワースポットめぐり』
「まるで大地からの気功治療を受けているかのように、心と身体と魂が何らかの変化やメリットを受けることができる場所」『日本全国このパワースポットがすごい!』
いつ頃から使われるようになったのか、については、下記のような記載があった。
「平成2年代ごろからのオカルトや超自然主義の流行に伴って使われだした。」『大辞泉 下巻 第2版』
「スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さん、手相占い芸人の島田秀平さんらが火付け役とされる。」(朝日新聞掲載「キーワード」の解説)

 

北方文化博物館の主屋で中庭にパワーの石がある。

北方文化博物館の大広間。

この博物館には、著名な方々が来られており、中でもイギリスの陶芸家バーナードリーチ、日本民藝館の創設者・柳宗悦、陶芸家人間国宝・浜田庄司、作家・司馬遼太郎、ライシャワー駐日米国大使、特に、司馬遼太郎は所蔵の美術品が素晴らしく博物館でなく美術館だと称した。

建造物全体が、登録有形文化財に登録されている。

北方文化博物館の宿泊施設「豪農の宿・大路菴」で私は二度宿泊した。

ラルフ・ライト・ピーターソン夫妻歓迎会が昭和60年6月23日(日曜日)午後5時から北方文化博物館で開催された時の写真。

GHQ新潟軍務時代の若きライトさんと7代目伊藤文吉館長、36年振りに再開したライトさんと8代目伊藤文吉館長。

北方文化博物館の庭にある、ラルフ・ライト 7代伊藤文吉との記念碑が建立されている。

ラルフ・ライトさんを偲ぶ記念碑。

8代伊藤文吉北方文化博物館長の念願が叶った日米友好の記念碑が建立された。

8代伊藤文吉館長の念願叶った「日米友情の記念碑」を建立。

念願叶ったと言うことは、北方文化博物館に多大な尽力と支援をされたライトさんは、昭和24年8月アメリカに帰国した。

帰国に際し、七代伊藤文吉館長は送別会を開催しお送りしたいと計画したが、行為は有難くお受けしますが送別会は行わないでくださいと断り帰国した。

8代伊藤文吉館長、一度お会いしてお礼を言いたいと思うもライトさんの消息は分からず、アメリカは戸籍法がなく個人情報が厳しく探すのは困難であった。

昭和59年、フレンドシップフォース新潟支部で会合が開催され会場が北方文化博物館であった。8代伊藤文吉館長と同席になった、ビル・パリッシュと北方文化博物館設立に付いて話をし、お世話になったラルフ・E・ライトさんに会いお礼を言いたいのだが消息が分からず困っていることを話すと「出来る限り手を尽くしお探ししますと」言ってくれた。

それから半年後、ビル・パリッシュからライトさんの消息が判明したと連絡があった。

ライトさんは帰国後ペンシルバニア大学大学院に入り博士号をとり現在はミネソタ州ロチェスター高校の校長をしていました。

8代伊藤文吉はライトさんと連絡を取り合い、昭和60年6月23日北方文化博物館で再開したのである。

ライトさんが軍務で初めて伊藤家を訪れた時、7代伊藤文吉と英語で会話をしていた時、8代伊藤文吉館長は中学生だったそうです。

伊藤家は、代々当主は文吉を名乗って来たそうです。

北方文化博物館初代館長が、7代伊藤文吉で2代目館長が8代伊藤文吉、平成28年10月25日逝去享年89歳、8代目に子供が無かったため、文吉という名は8代目で途絶える事となった。

3代目館長は、神田勝郎氏が就任し現在に至っている。

昭和24年5月、今から70年前の越後一番の豪農伊藤家資料の一部。

アメリカ国立公文書館所蔵。

当時の住所は

新潟県中蒲原郡横越村大字澤海六九七0番地

現在は

新潟県新潟市江南区沢海二丁目15番25号

平成22年9月5日、北方博物館で講演会が開催された。

演題は「秋山好古と横越の人びと」

講師は、現3代目北方文化博物館、館長神田勝郎氏であった。

講演会会場に掲示された講演案内の見出し。

講演会 次第。

予定していた聴講者を大きく上回り盛大に行われた。

平成24年10月30日、秋山兄弟生誕地で奉仕活動としてガイドをしている研究員7名を引率し北方文化博物館に研修として伺った時の様子。

北方文化博物館に隣接する日枝神社境内にある「秋山好古揮毫の石碑・忠魂碑」につて説明する神田館長。

神田館長の尽力で「秋山好古揮毫の石碑・忠魂碑」が新潟市民文化遺産に認定登録された。

NHK松山放送局が取材に行き放映した。日本海側に初めて発見された秋山好古揮毫の石碑と言う事案で。

 

平成23年6月10日、新潟県魚沼市にも秋山好古揮毫の石碑発見と連絡を受け神田館長の案内で取材に行った時の新潟日報の記事。

 

新潟県魚沼市堀之内竜光の天満神社に秋山好古が揮毫した石碑「戦役記念」が建立されている。

最近の北方文化博物館情報。

北方文化博物館シンボル「フジの花」から採取した酵母による日本酒醸造に成功した。
その新聞記事。

ライトアップされた北方文化博物館のシンボル「フジの花」。

北方文化博物館は、越後の大地主・伊藤家七代の歴史と地方文化を当時の姿のままに伝える豪農の館です。8,800坪の敷地に、65の部屋を設けた1,200坪の母屋。敷地のまわりは土塁や塀、濠で囲まれ、土蔵づくりの門、総欅づくり唐破風の大玄関など、現存する新潟の豪農の屋敷の中でも最大規模を誇ります。
この北方文化博物館の中庭には、樹齢150年、幹まわり1m60cm以上、一本の木から広がる大藤があります。開花は5月初旬から中旬、甘い香りを放って藤色の花を房状に咲かせます。開花に合わせ、この大藤のライトアップを実施します。

北方文化博物館資料より引用

 

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令和に改元、私の散歩道にも春が来た

2020年03月08日 | 伊予松山歴史散策

令和になって初めて迎える春、しかし中国で発生した新型コロナウイルス、日本でも毎日の様に感染者が全国の自治体から発症している。

マスコミTVは、朝から晩まで新型コロナウイルス関係の報道ばかりである。

政府は形式ばかりに拘り、PCR検査がやっと保険医療対象となり検査が大掛かりに実施されるのかと思いきやそうではない。

韓国との検査数を比較すると格段の差がある。それは何故なのか??。

いまこのご時世、私は外出するのは極力避けて家で過ごしている。
政府は、学校まで休校にして集団感染を避けようとしここ3週間が山場であると呼びかけているが、その根拠は何をもって言っているのか私には理解できない。

そんな不穏なこの時期気晴らしに私の散歩道を散策してみた。

松山市天山町・東石町・星岡町・福音寺町の境界を流れる川付川と小野川の堤防には春を知らせる多くの花々が咲き誇っていた。

土筆も顔を出しており、鷺が飛来し餌をさがしていた。

その画像です。

川附川は、伊丹十三記念館の前で小野川と合流して石手川えと流れ、そして重信川にながれ瀬戸内海の伊予灘に流れる。

伊丹十三記念館左側が「川附川」で右側が「小野川」である。中世時代は縦淵川と言っていた。

私が散歩するのは、川附川でそれも左側の堤防で、それは車の走行が殆どなく安全だからである。

伊丹十三記念館の庭に咲いている「「雪柳・ユキヤナギ」で満開でした。

伊丹十三記念館正面左入口にある「土佐水木・トサミヅキ」。満開でした。

これからの草花は全て、川附川左側堤防に花を咲かせていた草花です。

画像は川付川。

話しをしながら散歩していると黄色の花を咲かせている菜の花は自然に目に付くが、菜の花の下周辺に咲く花々は目に付かない。花々は人々に見てもらおうと咲いているのではなく、一年を通して付近の人達が清掃をしているお礼として花を咲かしているかのようです。

川附川堤防は菜の花が満開で一面黄色一色だけど、よく菜の花の下を観察すると色んな草花が花を咲かせている。

川附川左側の堤防は、年に2回地区住民が出て清掃をし、隣接する天山病院の事務職員・看護師さん達が清掃をし、草刈もしている。

清掃活動の成果で草花は元気で、それぞれの時期が来ると休眠していた花々は、春の太陽の光が大地を温め草花は目を覚まし芽が吹き花を咲かせる。

速足で歩くと小さな花々を見過ごしてしまうが、心がけてゆっくり歩くと色んな草花が目に入って来る。

水仙は、堤防沿いの民家の主婦が植えたそうだ。

これは、小野川沿いの民家の庭にある柑橘で品種は不明。

これも、小野川沿いの民家の庭にある桃の花。

此れからは小野川の北側堤防の草花です。

小野川の北側堤防には椿も植えられていた。

小野川の北側堤防には桜も植えられており花が咲いていた。

桜の品種は不明、品種の名札を付けておけばいいなと感じた。

小野川の北側堤防で土筆を見つけた。

川附川左側の堤防一部分に、染井吉野桜が7本程植えられていて、満開になると素晴らしい風景になり、天山病院に入院している患者さんが介護士さんに連れられて散歩がてら花見を楽しむ。

川附川左側の堤防一部分に、染井吉野桜が7本程植えられていて、満開になると素晴らしい風景になり、天山病院に入院している患者さんが介護士さんに連れられて散歩がてら花見を楽しむ。

それが画像の風景である。

この染井吉野、今は未だ蕾、今年の松山地区の染井吉野桜の開花予定は、3月17日頃と予想されている。

小野川にある堰堤で、流れる水も何だか温もりを感じる。

小野川ですが、川の中央に長い時間を掛けて堆積され出来た小さな中洲、此処にも菜の花は元気に花を咲かしている。
人が種を蒔いたのではないが菜の花の生命力は凄い。

小野川に飛来したアオサギ。

着水し餌となる小魚を捕獲する態勢を身構えた。

 

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新型コロナウイルス「COVID(コビッド)-19」・日本の対策これでいいのか!!

2020年03月01日 | 伊予松山歴史散策

遠い異国、アフガンでは命がけの支援活動をして来た日本人が尊い命を亡くした。
いま、世界に新型コロナウイルスが蔓延しようとしている時、日本の国会議事堂で何をしているのか、会議中に居眠り・国会を欠席・国民の生活に繋がる大事な審議に欠席し自分の利益(選挙のため)になる事を重きに置き何を考えているのか。

世界中が大騒ぎになっている新型ウイルス事件、先進国だと言われ我々国民もその気で頑張ってきたが、今や後進国に脱落してしまっている。
隣国の韓国では、PCR検査をどんどん行い陽性者と陰性者を判明し処置をしている。

神戸からダイヤモンドプリンセス船に支援に来た大学教授が流した船内の様子これが世界に流れ日本の対応のずさんさが流れた。

日本の医療水準の低さが暴露された形になったが、そうでなく医療水準は高いのだが、事実を世界に発信する能力が低いのである。

外務省の能力のなさである。

ダイヤモンドプリンセス船の船籍はイギリスで、ツワーを企画した観光会社はアメリカ、そして横浜に着岸した。

日本は、アメリカ、イギリスと連絡を取り互いの国家と連携でもっといい処置が出来なかったのか疑問を感じる。

日本はクルーズ船着岸で予期せぬ新型コロナウイルス感染者が続出面食らったのか。

PCR検査をもっと早く出来なかったのは何故か?

2月27日公表された全国の新型コロナウイルス陽性者の数。

PCR検査が少ないからこんなに感染者数が少ない。

街のクリニックの医師たちは、もっと早くPCR検査をして重傷患者になる前に命を救うのが一番大切であると叫ばれているのに検査をしない。

PCR検査をしないのに、いきなり全国の小・中・高・特殊支援学校臨時休校支援を都道府県に要請した。

一斉休校要請に困惑と反発する自治体の首長。

臨時休校に戸惑う生徒たち。

卒業式も出来なくなった。

何時もの御仁「人を馬鹿にした発言」

上がダラダラしているから閣僚もいい加減で、おまけに官僚たちも締まりがない。

公文書を改ざんするし、廃棄する。

PCR検査をすると、新型コロナウイルス陽性者の数増える。

すると五輪開催に支障を来すかも?これをおそれているのか?

厚労省は、重い腰をやっと腰を上げPCR検査が保険適用になるそうだ。

誠に遅い。

いきなり全国の小・中・高・特殊支援学校臨時休校支援を都道府県に要請した。

画像の様に報道された。

今日東京マラソンが開催され、東京オリンピックマラソン大会第3人目の枠を目指し力走した。

晴れて日本新記録を樹立、大迫選手自身が持つ日本記録を更新し3人目の代表に近づいた。

政府も必死で新型コロナウイルス撲滅に取り組みこれをのりこえて新生日本を作ってもらいたい。

大迫選手、おめでとう日本新記録!!

 

此れからは「私の呟き」です。

遠い異国では命がけの支援活動をして来た日本人が尊い命を亡くした。
今新型コロナウイルスが蔓延しようとしている時、日本の国会議事堂で何をしているのか、会議中に居眠り・国会を欠席・国民の生活に繋がる大事な審議に欠席何を考えているのか。

世界中が大騒ぎになっている新型ウイルス事件、先進国だと言われ我々国民もその気で頑張ってきたが、今や後進国に脱落してしまっている。

隣国の韓国では、PCR検査をどんどん行い陽性者と陰性者を判明し処置をしている。

日本では何故しないのか?それとも出来ないのか?しようとしないのか?・・国民には分からない。

そんな時に大きなクルーズ船「ダイヤモンドプリンセツ」が横浜に入港

新型ウイルス陽性が乗客に蔓延した。

日本政府はこの処置に戸惑い適切な処置が出来ず諸外国から批判された。

街の医師たちは早く検査をして患者を安心させてやりたいし、陽性者はそれなりの治療をして蔓延を防ぎ他人に感染させないよう努力をする行動がとれる。しかし厚労省は何故かPCR検査をしようとしない。

少々の発熱ぐらいでは病院に行くな! 今の政府は国民の命を守ろうとしない。

TVニュースで各社が毎日の様に取り上げ、専門家の医師や感染症研究専門家も初期症状時の検査をして命を守ろうと必死で発言されているのに、政府は他人事の様に驚かず全く危機感がない。

自分の身体は自分が守るしか手立てがない状況である。

国会議員は、国民の代表者でなく自分自身の為に国会議員になり、不倫をするや、賄賂を受け取るや、酒を飲んで暴れるや、中には大臣が答弁に困り官僚が慌てて資料を持って右往左往する有様は見苦しく観ていられない始末である。

官僚主導であったのが、官邸主導以降、昇格を人質にとられた官僚側が政治家の顔色をうかがう傾向が出てきて、公文書の隠蔽・改ざん・廃棄等々が平気で行われるようになった。

国会議員は「緩んでいる」与党も野党の国会議員は。
私たちの代議士である。
もっと心して働いてもらわなくては!!議員の定数を減らし、要らぬ政務費用もそぎ落として欲しい。

夫婦で代議士、欠席しても手当て貰える・・不倫はするは、都合が悪くなると直ぐ体調不良で入院し逃げてしまう誠に始末の悪い、地に落ちたものだ。

そして、官僚も本来の仕事をして貰いたい・・今は代議士の下働き情けないものだ。その内日本は沈没するのでは。

PCR検査はしない代わりに、今度は全国一斉公立小中高特殊支援学校を臨時休校とする事と要請した。

休校までの日にちがない唐突な行いに関係者は大いに戸惑っている

無能な政策である。

今回の新型コロナウイルス「COVID(コビッド)-19」に関連して、日本の経済「食・製造・日常生活」ついてこんなに多く中国製品に頼っているのかと驚いた。

今や中国がくしゃみをすると、日本は風邪を引く状態である。

情けない日本になったものだ。

初期段階では、東海大学の教授がTVによく出ており、大学の実習船を何時でも利用してくださいと申し出ておったが、最近一切その教授は出なくなった。
何か圧力がかかったのでしょか??

お金持ちの家庭で育ったお坊ちゃん育ちの国会議員は、下々の国民の苦しみは分からない。

 

神戸からダイヤモンドプリンセス船に支援に来た大学教授が流した船内の様子これが世界に流れ日本の対応のずさんさが流れた。
日本の医療水準の低さが暴露された形になったが、そうでなく医療水準は高いのだが、事実を世界に発信する能力が低いのである。

外務省の能力のなさである。

 

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