続・富士山須走移動です。
今回は松山から陸路車で移動した時の回顧録です。
平成12年10月9日、松山自動車道川内IC午前8時ジャストに出発、車3台5人が一路富士山目指し移動しました。
松山自動車道・瀬戸大橋・山陽自動車道・名神自動車道・東名自動車道経由で、途中小休止しながらこの日の宿舎である「静岡県沼津市、ウェルサンピア沼津」に辿り着いた。
翌早朝宿舎を出発、ふじあざみラインで須走2000mに到着した。
須走には、遠路松山から5局が移動して来るとの事で、関東各局大勢が出迎えてくれました。
この日は曇天で、富士山山頂を見る事が出来たが青空の富士山ではなかった。
松山から移動した局は、JA5MX徳永・JA5YL土居・JA5IDH高橋・JA5MFY久山・JR5EEKが移動、内2局は女性局、JA5YLとJA5MFYです。
全国でも女性局(YL局)がマイクロ波を運用するのは珍しく二人とも第二級アマチュア無線技士である。
今回の電波伝搬通信実験は、5GHz・10GHz・47GHzのFM波と5GHzのATVであった。
ATV運用は、JA1AKA荒川さんで筑波山に移動、5600MHz帯のATV(映像)
で電波伝搬通信実験をした。距離は、富士山須走から、筑波山まで157kmである。
特にJA5YL局が自作した5GHzのホーン型ANTで茨城県と福島県の県境にある、八溝山、1021mの展望台、距離223km間を59+で交信出来た。
帰りは、私一人単独行で行動で、黒部ダム、立山、上高地、乗鞍岳、高山を観光し帰松した。
その時の回顧録です。
愛媛県松山市から5人のアマチュア無線局、それもSHF帯を運用する無線局、その内女性が二人、車で移動して来るとの事で関東各地(東京都・神奈川県・千葉県・山梨県・静岡県)
の無線局が富士山2000m須走まで出迎えてくれました。
出迎えてくれた各局は、横浜市に拠点を置く、Yokohama Amateuv Microwave Associationといい、略してYAMA会と呼んで、マイクロ波帯を愛好するメンバーである。
Yokohama Amateuv Microwave Associationといい、略してYAMA会と呼んで、マイクロ波帯を愛好する同好会メンバーで、圧巻はワンボックスカーに6台の無線機を搭載しパラボラアンテナを6個で5600MHzから77GHzまで運用出来る仕様としている局長さんがおられました。画像左上がその装置のアンテナです。
アマチュア無線では、「YL」を女性のアマチュア無線局を、俗語として表現します。
JA5YL土居さんは、四国管内最初の女性のアマチュア無線局で、四国管区電波管理局(現在は、四国総合通信局)は特別な計らいで、土居さんに「JA5YL」のコールサインを送付した。資格は、第二級アマチュア無線技士である。
自作の5GHzホーン型ANTで茨城県と福島県の県境にある、八溝山、1021mの展望台、距離223km間で電波伝搬通信実験交信成功し喜びのJA5YL局。
富士山須走はガスで一時期須走が真っ白になりました。
JA5YL局、開局40周年記念のQSLに使われた富士山移動時運用の写真です。
後方は、富士山です。この時は富士山が見えていました。
5GHz帯で茨城県と福島県の県境にある、八溝山、1021mの展望台、距離223km間で電波伝搬通信実験交信するJA5MFY、久山さんMFY局も自作のホーン型で59+で交信出来ました。
この設備は、筑波山移動の5GHz帯のATV(テレビ映像通信装置)交信実験の設備で私(JR5EEK)の設備です。M5Cで映像交信出来ました。
筑波山移動局は、JA1AKA荒川さんでした。
47GHzのカセグレンアンテナで造りは精巧でプロ級のアンテナです。
富士山須走2000m地点で、ここまで車で来れます。
JA5MX・JH5IDH、各局自分の無線設備をセットし電波の送受信を確認する。
画像後方が富士山山頂でだいぶんガスが出てきました。
JA1ATI逸見さん自作の47GHz、TRV(トランスバター)です。
1200MHzの親機で、TRVで47GHz帯に変換して電波を送受信します。
明日、令和3年12月26日、京都で全国高校駅伝、令和4年1月1日、日本実業団駅伝、1月2日・3日は関東大学箱根駅伝が開催されますが、中継に使われる映像電波は5GHz帯か10GHz帯の電波で現場の映像を本局に送信し、本局で家庭のTVで受信できる周波数に変換し送信しています。
周波数帯は、業務用無線とアマチュア無線との帯域が区別されており、アマチュア無線局は帯域を逸脱しないように気をつけて運用しなければならない。
参考までに
水戸市偕楽園に行った時、日本TV番組12時から13時までの放送番組で、偕楽園から映像を(カメラは送受信機の横にセットされていた)日本テレビ本局に送信していた。
近づき機器を見ようと近づくと、今本番放送用の画像を送信しているので近づかないでくださいと注意された。
画像は、10GHz帯の送信機です。
水戸市偕楽園から映像を日本テレビ本局に送信している10GHz帯の送信機。
水戸市偕楽園から直接東京の日本テレビ本局に送信は、一度中継局に送信して、日本テレビ本局に送信すると説明を受けました。
駅伝やマラソン中継も同じ方法です。
画像は黒部ダム。
松山の局4人と富士山須走で別れた。平成12年10月10日、甲府市で宿泊し、松本市に移動、松本周辺を観光、翌早朝11日、今回の目的地である黒部ダム、立山を観光した。
途中、道を間違え予定よりも少し遅れて信濃大町の扇沢駅に着いた。車を置き、関電トンネルトロリーバスで日本一の高さ186mを誇る黒部ダムを見学、黒部ケーブルカー、立山ロープウェイ、立山トンネルトロリーバスを乗り継いで室堂平に着いた。
現地のガイドさんが、いま時間がありますのでご案内しますと言って頂きお願いした。そしてやって来た逆ルートで信濃大町に帰り車で松本の宿舎に帰った。
翌朝、松本市から国道158号線で、沢渡駐車場に車を置き、シャトルバスで上高地に行った。
河童橋から明神池まで散策したが、後で思ったことは、大正池でバスを降り河童橋まで散策したほうが上高地らしい観光が楽しめたのではなかったかと後で後悔した。沢渡駐車場に帰り、次の目的地乗鞍岳に移動、この日は天候がよく乗鞍岳スカイラインから奥穂高、槍ヶ岳が綺麗に見えた。
私が行った当時は、乗鞍岳スカイラインは自家用車で通行出来たが、自然保護をするため、平成15年5月15日から通年マイカー規制となり、一般車両は走行する事ができなくなった。日本一の高度を走ることのできる雲上のスカイラインとして名高く、天気が良ければ眺望が素晴らしい。乗鞍岳を下山し高山の街並みを観光し、高山で宿泊。10月12日の朝、東海北陸道、名神高速、中国道、山陽道、瀬戸大橋、松山道経由で帰路に着いた。よく一人で走行したものだ。
画像は、黒部湖。
画像は、立山で黒部湖は曇天でしたが、立山は快晴でした。
向かって左の方が、立山のガイドさんで、記念撮影をしました。
後方は日本最古の山小屋(国指定重要文化財)です。
上高地の「河童橋」と「穂高連峰」この日も快晴でいい観光日よりでした。
乗鞍岳、スカイラインから見た槍ヶ岳と奥穂高、この日は好天で画像のようにアルプスの山々がよく観えた。
私が行った時は、乗鞍岳スカイラインは自家用車で通行出来たが、自然保護をするため、平成15年5月15日から通年マイカー規制となり、一般車両は走行する事ができなくなった。
事故もなく無事我が家に帰ることが出来ました。
平成13年10月、再度車で富士山行きました。最後の富士山移動です。