EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

私が見た富士山・「行った・見た・撮った」その5 続・富士山須走から

2021年12月25日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

続・富士山須走移動です。

今回は松山から陸路車で移動した時の回顧録です。

平成12年10月9日、松山自動車道川内IC午前8時ジャストに出発、車3台5人が一路富士山目指し移動しました。

松山自動車道・瀬戸大橋・山陽自動車道・名神自動車道・東名自動車道経由で、途中小休止しながらこの日の宿舎である「静岡県沼津市、ウェルサンピア沼津」に辿り着いた。

翌早朝宿舎を出発、ふじあざみラインで須走2000mに到着した。

須走には、遠路松山から5局が移動して来るとの事で、関東各局大勢が出迎えてくれました。

この日は曇天で、富士山山頂を見る事が出来たが青空の富士山ではなかった。

松山から移動した局は、JA5MX徳永・JA5YL土居・JA5IDH高橋・JA5MFY久山・JR5EEKが移動、内2局は女性局、JA5YLとJA5MFYです。
全国でも女性局(YL局)がマイクロ波を運用するのは珍しく二人とも第二級アマチュア無線技士である。

今回の電波伝搬通信実験は、5GHz・10GHz・47GHzのFM波と5GHzのATVであった。

ATV運用は、JA1AKA荒川さんで筑波山に移動、5600MHz帯のATV(映像)

で電波伝搬通信実験をした。距離は、富士山須走から、筑波山まで157kmである。

特にJA5YL局が自作した5GHzのホーン型ANTで茨城県と福島県の県境にある、八溝山、1021mの展望台、距離223km間を59+で交信出来た。

帰りは、私一人単独行で行動で、黒部ダム、立山、上高地、乗鞍岳、高山を観光し帰松した。

その時の回顧録です。

愛媛県松山市から5人のアマチュア無線局、それもSHF帯を運用する無線局、その内女性が二人、車で移動して来るとの事で関東各地(東京都・神奈川県・千葉県・山梨県・静岡県)

の無線局が富士山2000m須走まで出迎えてくれました。

出迎えてくれた各局は、横浜市に拠点を置く、Yokohama  Amateuv  Microwave  Associationといい、略してYAMA会と呼んで、マイクロ波帯を愛好するメンバーである。

Yokohama  Amateuv  Microwave  Associationといい、略してYAMA会と呼んで、マイクロ波帯を愛好する同好会メンバーで、圧巻はワンボックスカーに6台の無線機を搭載しパラボラアンテナを6個で5600MHzから77GHzまで運用出来る仕様としている局長さんがおられました。画像左上がその装置のアンテナです。

アマチュア無線では、「YL」を女性のアマチュア無線局を、俗語として表現します。

JA5YL土居さんは、四国管内最初の女性のアマチュア無線局で、四国管区電波管理局(現在は、四国総合通信局)は特別な計らいで、土居さんに「JA5YL」のコールサインを送付した。資格は、第二級アマチュア無線技士である。

自作の5GHzホーン型ANTで茨城県と福島県の県境にある、八溝山、1021mの展望台、距離223km間で電波伝搬通信実験交信成功し喜びのJA5YL局。

富士山須走はガスで一時期須走が真っ白になりました。

JA5YL局、開局40周年記念のQSLに使われた富士山移動時運用の写真です。

後方は、富士山です。この時は富士山が見えていました。

5GHz帯で茨城県と福島県の県境にある、八溝山、1021mの展望台、距離223km間で電波伝搬通信実験交信するJA5MFY、久山さんMFY局も自作のホーン型で59+で交信出来ました。

この設備は、筑波山移動の5GHz帯のATV(テレビ映像通信装置)交信実験の設備で私(JR5EEK)の設備です。M5Cで映像交信出来ました。

筑波山移動局は、JA1AKA荒川さんでした。

47GHzのカセグレンアンテナで造りは精巧でプロ級のアンテナです。

富士山須走2000m地点で、ここまで車で来れます。

JA5MX・JH5IDH、各局自分の無線設備をセットし電波の送受信を確認する。

画像後方が富士山山頂でだいぶんガスが出てきました。

JA1ATI逸見さん自作の47GHz、TRV(トランスバター)です。

1200MHzの親機で、TRVで47GHz帯に変換して電波を送受信します。

明日、令和3年12月26日、京都で全国高校駅伝、令和4年1月1日、日本実業団駅伝、1月2日・3日は関東大学箱根駅伝が開催されますが、中継に使われる映像電波は5GHz帯か10GHz帯の電波で現場の映像を本局に送信し、本局で家庭のTVで受信できる周波数に変換し送信しています。

周波数帯は、業務用無線とアマチュア無線との帯域が区別されており、アマチュア無線局は帯域を逸脱しないように気をつけて運用しなければならない。

参考までに

水戸市偕楽園に行った時、日本TV番組12時から13時までの放送番組で、偕楽園から映像を(カメラは送受信機の横にセットされていた)日本テレビ本局に送信していた。

近づき機器を見ようと近づくと、今本番放送用の画像を送信しているので近づかないでくださいと注意された。

画像は、10GHz帯の送信機です。

水戸市偕楽園から映像を日本テレビ本局に送信している10GHz帯の送信機。

水戸市偕楽園から直接東京の日本テレビ本局に送信は、一度中継局に送信して、日本テレビ本局に送信すると説明を受けました。

駅伝やマラソン中継も同じ方法です。

画像は黒部ダム。

松山の局4人と富士山須走で別れた。平成12年10月10日、甲府市で宿泊し、松本市に移動、松本周辺を観光、翌早朝11日、今回の目的地である黒部ダム、立山を観光した。
途中、道を間違え予定よりも少し遅れて信濃大町の扇沢駅に着いた。車を置き、関電トンネルトロリーバスで日本一の高さ186mを誇る黒部ダムを見学、黒部ケーブルカー、立山ロープウェイ、立山トンネルトロリーバスを乗り継いで室堂平に着いた。
現地のガイドさんが、いま時間がありますのでご案内しますと言って頂きお願いした。そしてやって来た逆ルートで信濃大町に帰り車で松本の宿舎に帰った。

翌朝、松本市から国道158号線で、沢渡駐車場に車を置き、シャトルバスで上高地に行った。

河童橋から明神池まで散策したが、後で思ったことは、大正池でバスを降り河童橋まで散策したほうが上高地らしい観光が楽しめたのではなかったかと後で後悔した。沢渡駐車場に帰り、次の目的地乗鞍岳に移動、この日は天候がよく乗鞍岳スカイラインから奥穂高、槍ヶ岳が綺麗に見えた。

私が行った当時は、乗鞍岳スカイラインは自家用車で通行出来たが、自然保護をするため、平成15年5月15日から通年マイカー規制となり、一般車両は走行する事ができなくなった。日本一の高度を走ることのできる雲上のスカイラインとして名高く、天気が良ければ眺望が素晴らしい。乗鞍岳を下山し高山の街並みを観光し、高山で宿泊。10月12日の朝、東海北陸道、名神高速、中国道、山陽道、瀬戸大橋、松山道経由で帰路に着いた。よく一人で走行したものだ。

画像は、黒部湖。

画像は、立山で黒部湖は曇天でしたが、立山は快晴でした。

向かって左の方が、立山のガイドさんで、記念撮影をしました。
後方は日本最古の山小屋(国指定重要文化財)です。

上高地の「河童橋」と「穂高連峰」この日も快晴でいい観光日よりでした。

乗鞍岳、スカイラインから見た槍ヶ岳と奥穂高、この日は好天で画像のようにアルプスの山々がよく観えた。

私が行った時は、乗鞍岳スカイラインは自家用車で通行出来たが、自然保護をするため、平成15年5月15日から通年マイカー規制となり、一般車両は走行する事ができなくなった。

事故もなく無事我が家に帰ることが出来ました。

平成13年10月、再度車で富士山行きました。最後の富士山移動です。

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私が見た富士山・「行った・見た・撮った」その4 富士山須走からと古希のお祝い

2021年12月15日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

画像は、富士山須走5合目(2,000m)地点で、後方の山が富士山山頂です。

今回の記事は、平成11年10月10日、初めて富士山に行った時の画像で、登場される方々は、残念に志半ばにしてご逝去されました。

皆さん、アマチュア無線、特にマイクロ波帯を運用された局長さん達の追悼ブログです。
ご冥福をお祈りします。

それと、JH1UGF、マキ電機社長・槇岡寛幸さんの、帝国ホテルで開催された古希のお祝い記録です。

画像は、富士山須走5合目(2,000m)地点で、この地点まで車で行くことが可能なところです。最後の急登はエンジンフルパワーで登ります。

画像、右がJH1UGF(槇岡さん・マキ電機社長)左がJA1FS(小田原市の和田さん・元銀座松坂屋百貨店施設管理部長)です。

前日の10月9日・土曜日私は、東京都千代田区平河町の麹町会館に宿泊しておりました。

10月10日・日曜日、東京メトロ有楽町線の麹町駅から始発の地下鉄に乗り、有楽町駅で下車、JR有楽町駅から、JR京浜東北線JR鶴見駅で下車した。
JR鶴見駅にはJH1UGF、槇岡さんが車で私を迎えに来て頂き、一路富士山須走5合目(2,000m)地点に移動、途中、小田原市のJA1FS和田さんが合流された。

快晴の富士山、須走5合目からの富士山山頂です。

富士山須走5合目(2,000m)地点まで車で行けます。

JH1UGF、槇岡さんは、アマチュア無線トランスバーター等々制作する会社の社長です。
西日本で最初に開催された日本アマチュア無線連盟愛媛県支部主催が、2400MHz帯のトランスバーターの制作講習会を、愛媛大学農学部付属高等学校で開催した。
その後、毎年5600MHz、10GHz、24GHz、47GHz、75GHzと年次計画的に制作講習会を開催し、マイクロ波帯の普及と活性化に貢献してきた。

この、制作講習会の講師が、JH1UGF、槇岡さん(マキ電機社長)で、会場を提供していただいたのは、愛媛大学農学部付属高等学校副校長の、JA5JSU久山副校長でした。

そして制作講習会を企画されたのが、初代日本アマチュア無線連盟愛媛県支部長のJA5IH、松本純一さん(元南海放送技術部長)でした。

この日(10月10日・日曜日)は快晴無風で、JH1UGF槇岡さんや、JA1FS和田さん曰く、こんな快晴無風の富士山は滅多にないことですよ、良い時に来られましたね・・と労って頂きました。

遅い朝食を、須走5合目2000mで、JH1UGF槇岡さんの奥さんが作っていただいたお弁当を頂きました。
快晴無風の富士山須走2,000mでのお弁当は格別に美味しかった。

若いカップルが「すみません、富士山はどれですか?」と訪ねてきたので「貴方がいる所が富士山の一部で、山頂は後ろに見えるのが富士山山頂ですよ」と教えると「え、こんなに近くに見えるんですか」と感動していた。!!

さて、これから富士山須走に来た目的開始で、5600MHz帯の通信電波伝搬実験です。

画像が5600MHzの送受信機です。
通信電波伝搬実験は、

茨城県と福島県との県境にある八溝山に移動をした頂いた、JA7DPJ,藤田さんで、5600MHzの電波伝搬通信実験を行い信号強度は59+で実験に成功しました。通信距離は約200Kmでした。

愛媛県では、200km間の通信実験など到底不可能です。

直線距離200kmといえば、松山市から兵庫県明石市までの距離でその間には、西日本最高峰の石鎚山1982m等の山々あり、5600MHz帯の電波は山地に遮られ届きません。

※八溝山は、茨城県と福島県の県境にある標高1,021.8mの山で茨城県最高峰の山である。八溝山と富士山5合目須走2000m間は何の障害物もなく見通しの地点で、関東平野は広いなと感じた。

富士山須走5合目2000m地点で、後ろの山が富士山山頂です。

須走登山口5合目からの登山は

  • 出発地:須走口5合目(標高1970m)
  • 標高差:約1800m
  • 往復の距離:約13km
  • 所要時間:登り:6時間50分 下り:3時間20分
  • 剣ヶ峰往復:+1時間30分

標高差はありますが、須走ルートは4ルートの中でも距離が2番目に短いルートです。登山者の約1割しかこのルートを使わないため、静かな登山を楽しみたい方、お盆や週末に富士登山を計画している方におすすめです。また六合目近くまでは緑が多く高山植物を見ながらの登山を楽しめるのが須走ルートの特徴。下山時は砂礫の急斜面を下る砂走りを楽しめます。ルート上のほぼどこからでもご来光を見ることができます。・・上記のように資料があります。

平成11年10月10日、富士山に初めて行った。しかし登山ではなく車で行ける2000mの須走まで、目的は、アマチュア無線の電波伝搬通信実験であった。・・この後二度富士山に移動することになる。

二度目は、平成12年10月10日、三度目は、平成13年10月10日で松山市から車で移動した。

私(JR5EEK)は、茨城県と福島県との県境にある八溝山に移動の、JA7DPJ、藤田さんとの通信実験の後、神奈川県三浦郡葉山町(湘南国際村)移動のJS1UVH・大矢さん(元株式会社ケンウッド開発室長)と5600MHzで富士山移動記念交信を行い下山した。

同行していただいた、JA1FS、和田さんは24GHz帯での運用をされ、JH1UGF、槇岡さんは2400MHz帯で運用された。

富士山5合目須走2000mでのマイクロ波帯(5GHz・10GHz・24GHz)の無線機器。

ちなみに、家庭で使われている電子レンジは2400MHz帯、パソコンの無線LANの電波も2400MHz帯、高速道路で使われるETC車載器と料金所間の情報通信処理は5600MHz帯で行われている。

電波仕様区分は、業務用とアマチュア無線局用と周波数帯が区分されていて混信しないように使用されている。

アマチュア無線局が無線機を使って電波を発信するには、アマチュア無線従事者免許が必要で、そして開局申請を居住地区の総合通信局にアマチュア無線開局申請を行うと、コールサインが与えられる。

日本は全国を10にエリアが区分されている。

1エリア:
   東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県、山梨県
2エリア:
   愛知県、静岡県、岐阜県、三重県
3エリア:
   大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、滋賀県
4エリア:
   広島県、岡山県、山口県、鳥取県、島根県
5エリア:
   香川県、徳島県、高知県、愛媛県
6エリア:
   福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、鹿児島県、宮崎県、大分県、沖縄県
7エリア:
   青森県、秋田県、岩手県、宮城県、福島県、山形県
8エリア:
   北海道
9エリア:
   富山県、石川県、福井県
0エリア:
   新潟県、長野県

開局申請書には、使用する無線機の種類と、送信する電波の形式を申請し開局が許可されると、必ずコールサインが送付される。

アマチュア無線従事者免許は国家試験で資格が四階級に分かれている。

※ 第一級アマチュア無線技士:アマチュア無線局の無線設備の操作

※ 第二級アマチュア無線技士:アマチュア無線局の空中線電力200W以下の無線設備の操作

※ 第三級アマチュア無線技士:アマチュア無線局の空中線電力50W以下の無線設備で18MHz以上または8MHz以下の周波数の電波を使用するものの操作10MHz帯、14MHz帯の運用はできない。

※ 第四級アマチュア無線技士:アマチュア無線局の無線設備で空中線電力10W以下の無線設備で21MHzから30MHzまで又は8MHz以下の周波数を使用するもの、空中線電力20W以下の無線設備で30MHzを超える周波数の電波を使用するものの操作でモールス信号の通信操作は出来ない。

以上のようになっている。

国家試験は実施団体の無線従事者国家試験センター(現日本無線協会)が行い試験科目は、無線工学と法規である。詳細は各地方の総合通信局で照会されたし。

※ NHK松山放送局は、総合系統のコールサインがJOZKで、総合テレビは、JOZB-DTV である。

須走5合目2000mで、遅い朝食を取り下山、一路横浜市のランドマークタワーに向かい、展望台でグランドアイボールをした。
画像前列右、JH1UGF・槇岡寛幸さん、左がJG1QGF・種村陽亜さん
後列JS1UVH・大矢義昭さん、JG1QGF種村さんは東京文京区から駆けつけて頂きました。
世田谷区の秋山好古揮毫石碑について、種村さんは石碑取材には大変お世話になった方です。この日初めてお会いいたしました。

神奈川県三浦郡葉山町(湘南国際村)に移動していた、JS1UVH・大矢さん(元株式会社ケンウッド開発室長)も無線機器を撤収して、横浜市のランドマークタワーに合流しました。

JS1UVH・大矢義昭さんは松山地区SHF研究会が設置した5600MHz帯のレピータ開局には通信機器の開発に多大なご支援を頂いた方です。残念にご逝去されました。

東京都世田谷区池尻にある、私が秋山好古揮毫の石碑取材に当たり、お世話になった方がJG1QGF種村さんでした。世田谷区役所、関東財務局にも行った頂き詳細な下調査をして頂きました。残念にご逝去されました。

JG1QGF・種村陽亜さんは、

元NHK広島放送局に勤務され、その後TBSTV局に転職し技術者として活躍された「種村陽亜さん」です。
一時期は、ニッサン・プリンス・スカイラインのテストドライバーとして活躍された方です。

また、アマチュア無線特にSHF帯(マイクロ波)について深い知識のある方で、アマチュア無線月刊専門誌「CQ ham radio」のマイクロ波帯のコラム担当もされ、情報社会で生きて来られたマルチ人間の方で大変お世話になりましたアマチュア無線の知人でした。

ここからは、JH1UGF・マキ電機社長、槇岡寛幸氏の古希のお祝いの回顧録です。

JH1UGF・マキ電機社長、槇岡寛幸氏は生前、人生の一区切りである、古希のお祝いを帝国ホテルで行うと計画されていた。

その日は、平成18年2月25日であった。

東京都千代田区内幸町一丁目1番1号、帝国ホテルには、全国のアマチュア無線局・特にマイクロ波帯を主として運用している局長が帝国ホテルに集まり、槇岡寛幸氏(JH1UGF)の古希のお祝い会を開催した。

画像は、古希のお祝いの花束をご夫婦で掲げて喜ばれる、JH1UGF・槇岡寛幸夫妻。

帝国ホテルに集まり、槇岡寛幸氏(JH1UGF)の古希のお祝い会を開催し、お祝いの言葉を述べる、JG1QGF、種村陽亜さん(元TBS技師)。

帝国ホテルに集まり、槇岡寛幸氏(JH1UGF)の古希のお祝い会で、祝辞を述べる、JN1AYV,岡本嗣男さん(東京大学農学部教授)。

帝国ホテルに集まり、槇岡寛幸氏(JH1UGF)の古希のお祝い会を開催し、お祝いの言葉を述べる、JA7JJN、NHK解説委員、柳澤秀夫さん。

JA7JJN、柳澤は平成26年11月に77GHz帯で通信距離225Kmの記録保持者です。

現在は、大下容子ワイド!スクランブル水・金曜日コメンテーターとして活躍されておられ、一般財団法人日本アマチュア無線振興協会評議員としても活躍されています。

コロナが蔓延していた時は、テレワークで自宅からコメンテーターとして出演されていましたが、画像の背景に無線機が於かれていました。

 

中四国地区を代表して、私(JR5EEK)も一言お祝いの言葉を述べさせて頂きました。

僭越ですが、四国管内で75GHz帯の免許を申請し下ろしたのは私が第1号です。

当時免許の審査は、四国通信総合局では免許が下りず、本庁決済でした。

参加者からお祝いとして贈られた「ブレーザー」を着用するJH1UGF、槇岡さん、そのお手伝いをする、JN1AYV,岡本嗣男(東京大学農学部教授)さんです。

お祝いに参加したアマチュア無線局長は、主としてマイクロ波帯を運用する局長がお祝いに参列しました。

JH1UGF、槇岡さんは日本のアマチュア無線のマイクロ波帯の活性化に貢献された方でした。

愛媛県での制作講習会には、測定器や制作に必要な機器、デバイス等々を車に積んで横浜市の会社から陸路松山市に来れていました。お元気でした!!

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私が見た富士山・「行った・見た・撮った」その3 田貫湖から

2021年12月05日 | 新たに発見好古揮毫石碑 魚沼市で

平成19年5月16日、静岡県静岡市葵区羽鳥にある「曹洞宗の寺院・洞慶院」の境内に、秋山好古揮毫の石碑「愛馬哀悼碑」があり、その取材に行き、その帰りに富士山を一周したときの画像です。

天候は曇天で、石碑取材中雨は降ってなかったが、夕方より小雨が降り出した。
山中湖畔で一泊し、翌日青木ヶ原樹海・精進湖・朝霧高原・白糸の滝と移動するも雨の中で富士山は雨雲を被り姿は見えずじまいでした。

次の日の朝、雨が上がり富士山は姿を表しました。

その時の画像です。

午前4時52分、長距離運転で疲れているのに何故か朝早く目覚めた。

何気なくカーテンを開けるとなんと雲一つない富士山が見える・・鳥肌が立った。

カメラを取り出し、シャッターを切った。

午前5時20分富士山の中腹に朝日が出てきた。

場所は、静岡県富士宮市にある田貫湖畔、休暇村・富士から撮影した。

山頂にダイヤモンド富士と逆さ富士となって湖面に映し出される観測時季は4月20~23日の数日と、8月20日前後の数日だそうです。

画像は、5月18日撮影です。

ダイヤモンド富士が逆さ富士となって湖面に映し出される富士山を一度撮ってみたい。

静岡県富士宮市にある田貫湖は、ダイヤモンド富士の聖地とも呼ばれる場所である。

午前6時15分朝日は上に登り逆光の富士山となった。

午前8時48分少し霞がかかってきた。

富士宮市にある田貫湖は、ダイヤモンド富士の聖地とも呼ばれる場所で、多くの人達が撮影出来るよう階段状のデッキが整備されていた。

前日はこのような状態で富士山は雨雲の中であったが、翌日は姿を見せてくれました。

富士山を望む絶好のロケーションが魅力の宿、田貫湖湖畔にある「休暇村・富士」です。

宿泊した「休暇村・富士」のベランダに鳥が飛んできて「おはよう、富士山を撮影できよかったね!!」と挨拶に来てくれました。

午前10時25分、東名高速道路富士ICで、下り名古屋方面に入り長い帰路に付いた。

静岡県訪問の本当の目的は、秋山好古揮毫石碑取材の旅であった。

石碑は、静岡市葵区鳥羽にある洞慶院の参道に建立されていまして、揮毫は、二人が行っており、一人は秋山好古で、もう一人は豊邉新作です。

篆 書「忠魂」を好古が揮毫し、題書「愛馬追悼碑」を新作が揮毫しています。

建立者は、陸軍騎兵大尉従六位勲五等功五級、三浦金蔵、静岡市の出身で実家は薬局を営み金蔵自身も自宅で馬を飼い可愛がったそうです。

篆 書「忠魂」を好古が揮毫した。

豊邉新作は、最後の「サムライ」と呼ばれた長岡藩筆頭家老「河井継之助」の甥であり、秋山好古が最も信頼をおいていた副官であった。

軍人は、皇国から与えられた機器と自分の健康管理に気を付け、いざ有事に備えて日頃の訓練をしていれば良かったが、騎兵隊員は、その上に軍馬の飼育と管理が大変な役割があった。軍馬なくて騎兵隊員は陸に上がったカッパでありました。

よって騎兵隊員は大変馬を可愛がったと言われています。

秋山好古も自宅で馬を可愛がり飼っていた。

静岡市葵区羽鳥にある「曹洞宗の寺院・洞慶院」の本堂。

洞慶院の記念石碑の取材を終え、富士山一周に入った東富士五湖道路からの富士山。

精進湖も雨の中。

天下の名瀑としてその名を轟かす白糸ノ滝を見学、ここも雨であった。

静岡市には、明石大橋を渡り本州に渡りひたすら走った。静岡県に入ってからは幾ら走っても静岡県で東西に長い地域である。

途中、国宝彦根城を見学。

国宝彦根城のボランティアガイドさんと暫しの間懇談、そして静岡に向かった。

 

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