EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

魚沼市の好古揮毫石碑・新潟日報新聞・6月22日に載る

2011年06月25日 | 魚沼市の好古揮毫石碑・新潟日報新聞・6月
平成23年6月10日、新潟県魚沼市堀之内竜光、天満宮神社にある秋山好古揮毫石碑「戦役記念」の取材&写真撮影に新潟市江南区横越在住の「秋山好古と新潟の人びと」について研究されている郷土歴史研究家、神田勝郎氏と一緒に調査に伺った。
その時の事が新潟日報新聞、6月22日付けに掲載されたのでブログに載せました。

この地区は、平成16年10月23日発生した中越大震災で最も被害が大きかった地区の一つで、殆どの建造物は壊滅したそうです。完全復興したのは平成20年8月と自治会長さんは言われた。その時に好古揮毫石碑「戦役記念」も再建立したそうです。・・復興は、全国の皆さんのご支援の賜物ですと・・
今回の東北大震災にあたって、当時東北の皆様からも支援頂きましたので、その恩返しをしないと・と思っておりますとも付け加えられた。


6月22日の新潟日報社、新聞記事。


向かって一番左の方が新潟日報社の編集局報道部:鈴木記者、いい記事を書いて頂きありがとうございました。魚沼市に行った甲斐がありました。・・・取材に魚沼市まで来て頂き感謝してます・・鈴木さん。


魚沼市に行って一番最初に出迎えて頂いた元老人倶楽部会長さん。
よう来られたのう・・ご苦労さんと。・・笑顔でお出迎え頂いた。


お集まり頂いた皆さんのご要望で「秋山好古」について、超ミニ講演会開催し話をする神田氏。


中越大震災以前には石碑の見える所あたりに建立されていたが、震災復興の道路が建設され現在の地点に再建立されたと説明を受けた。


この地から日露戦争に出兵された26名の兵士、3名の方は残念に戦死されたが、無事生還された23名の有志が上官であった秋山好古に「戦役記念」を揮毫依頼、好古は、よくぞ元気で生還してくれた。・・涙を流しながら書き上げたと思う。
中越大地震で倒壊したが平成20年8月に現在の場所「念仏塔の横に整然と」に再建立されていた。
魚沼市は貴重な石碑なので近い内に説明版を設置するとの由。


書籍:「秋山好古と新潟の人びと」の著者の庭園で記念写真。
書籍は好評で新潟県立図書館は、9月に著者を講師に招き「秋山好古と新潟の人びと」を演題で講演会を開催するそうです。
松山市の私としては大変嬉しい事で、人間秋山好古が越後の方にも生き様を評価された証しである。・・と思います。近ければ拝聴に伺いたい。


書籍:「秋山好古と新潟の人びと」の著者。・・著者の秋山好古に関する研究は凄い。
国立国会図書館まで足を運び研究している。書籍は、虚構(フイクション)ではなく、事実に基ずく記録文学(ノンフィクション)である。


左のお二人の方はご夫婦で、松山市から取材に来ることを聞きお迎えに来て頂いた。
ご夫婦とも松山市のご出身だそうです。・・お出迎えありがとうございました。何時までもお元気でお幸せにお過ごし下さい。


神社階段入口の建立されていた「中越地震復興祈念塔」・・皆の気持ちを一つにしてそして全国の皆さんの支援を忘れることなく復興できた事を・・建立されたのではないでしょうか。
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第49回愛媛マラソン写真コンテスト入選作品展示 

2011年06月24日 | 第49回愛媛マラソン写真コンテスト入選作
平成23年2月6日開催の第49回愛媛マラソンの関連行事全般を対象にランナーの走っている表情、応援者の表情、ボランティアの方の姿、会場や沿道などの魅力など、撮影者の想いを写真に込めて、自由に表現、応募資格は、・プロ・アマチュアを問わず、どなたでもご応募頂けるとあった。
主催は南海放送・協賛伊予銀行で行われた。

応募作品厳選な審査の結果入選作品46点を伊予銀行愛媛県下の本支店ロビーにて展示されている。
巡回ロビー展示期間は、
伊予銀行宇和島支店 4月 1日(金)~4月22日(金)
      伊予銀行今治支店  4月25日(月)~5月20日(金)
      伊予銀行本店    6月 6日(月)~6月24日(金)
      伊予銀行新居浜支店 6月27日(月)~7月22日(金)
      伊予銀行八幡浜支店 7月25日(月)~8月19日(金)
今日、伊予銀行本店 ロビーで展示している写真を見に行った。
入選の内訳は、金賞1点 銀賞2点 銅賞3点 入選40点が展示してあった。
私も応募、入選40点の中にあった。


伊予銀行本店ロビーで第49回愛媛マラソン写真コンテスト入選46点が展示されている。












愛媛県第一地銀である伊予銀行本店で、左の本店ロビーで展示されている。


伊予銀行前にある松山市役所庁舎。右には日本銀行松山支店があり、この周辺は愛媛県政治経済の中心たる地点である。


伊予松山城三之丸外堀で、手前の建物がJA愛媛中央、後ろが愛媛県警本部、その後ろが伊予銀行、正面が松山市役所。


伊予松山城三之丸にあるNHK四国中央松山放送局の社屋で、建物は小さく増築したいのだが国指定史跡内のため増築が出来ない。ANTも史跡内だから目立たないようにと文化庁からの指示で塗装は緑色である。


ちょうど坊ちゃん列車が通りかかり思わずシャッターを押した。
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大阪富田林市の鐘馗さん

2011年06月21日 | 富田林の鐘馗さん
6月8日から秋山好古揮毫石碑調査取材で、新潟市、魚沼市、鎌ヶ谷市を訪れたが今回の旅最後の目的が、富田林の鐘馗さん散策とその撮影であった。

新装なったJR大阪から天王寺駅経由、近鉄南大阪線河内長野行(阿部野橋駅発)で富田林の鐘馗さんを撮りに行った。
天候は今にも雨が落ちて来そうな気配、阿部野橋駅に来るのは何十年か振りで、始めて来た感じがするほど様変わりしていた。

昨年11月に富田林観光協会に鐘馗さんについて照会をし揚がっている場所を明記してもらった観光地図を参考に、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている寺内町にある鐘馗さん散策した。
観光協会から頂いた資料には、四体の鐘馗さんを紹介してもらい三体の所在は判明したが、残り一体がどうしても見つからない、地元のお年寄りの方に聞くも鐘馗さんそのものを知らない。

そこに偶然通りかかった女性に伺うと、なんと鐘馗さんを御存知で、由来も知識として持っておられびっくりした。・・富田林の「じないまち交流館」でガイドをしている女性でした。
見つからない鐘馗さんも現地まで案内して頂き無事散策撮影完了。・・女性の博学多才に敬服した。・・ありがとございました。

※鐘馗:中国の疫病を防ぐ鬼神で、唐の玄宗皇帝の病床の夢に鐘馗と名乗り現れ病魔を祓ったので画工の呉道士にその像を描かせた事に始まったと言う。濃い髭を生やし、黒衣、巨眼の姿で剣を持っている。日本では、五月人形に作ったり、朱刷りして疱瘡除けの護符等にした。鐘馗大臣。日本独特の文化、風習であり魔除けとして家族を護っている。
(京都市一条通りには沢山の鐘馗さんが居られる。)
(3年前、奈良市に鐘馗さん散策に出掛け観光協会関係者に尋ねると鐘馗さんを知らなくびっくりした。薬師寺でガイドをしている人も鐘馗さんの事知らなかった。・・古都ならの人が)

※旧日本陸軍の二式単座戦闘機に命名し敵の弾丸を避け魔除けとしていた。

富田林について
「富田林は、古くは、紀伊国(和歌山県)へ続く街道の宿場町として栄え、戦国末期より、京都興正寺別院を中心とする寺内町として発展した。南河内地域の中心都市とされる。その他の新市街地は、主に近鉄と南海によって開発された、典型的なベッドタウンとなっている。人口120、673人・・と紹介してある。
またなかでも最も有名な寺内町は、石山本願寺を中心に作られた「大坂寺内町」であるが、織田信長との元亀元年(1570年)からの10年に及ぶ争いで、石山本願寺は信長との戦いに敗れ、徹底的に破壊され、いまでは全くその姿を見ることができない。

これに対して、摂津河内や富田林は信長に対して恭順の意を示し、和平を選択した。各地に残っている寺内町の町並みは、いずれも一向一揆の制圧を目指した織田信長との対立関係の中に融和策を模索して生き残り、後の世の繁栄を勝ち取ったものである。ただし、富田林が今日のような繁栄を獲得した背景には、一向一揆を形成した本願寺門徒を中心とした軍事力があったことは否めない。」・・とも紹介されている。
富田林市観光協会資料引用

註:松山市に日本で唯一、鐘馗さんをご本尊としているお寺がある。
それは、松山市木屋町の「鐘馗寺」で入口に花崗岩で造った大きな鐘馗さんが鎮座している。日本一大きな鐘馗さんでは??鐘馗寺の夏祭りは賑やかで、松山市の三大夏祭りの一つ、この夏祭りを境として松山人は夏の衣替えをする風習がある。

●:最近京都では、鐘馗さんは左手に八苦を持ち、人間八つの苦しみを持っている。生きる苦しみ・老いて行く苦しみ・人を愛する苦しみ等々、我々人びとからの苦しみを護ってくれる護り神様として家の玄関上に挙げているそうです。


富田林市寺内町の重要伝統的建造物群保存地区の街並み。
キチンと整備されゴミ一つ落ちてない、地域の皆さんの清掃と見学者のマナーのよさだ。・・見学に来る地元市民のお持て成しの心が伺える。


重要伝統的建造物群保存地区にある杉田家の鐘馗さん。
多くの鐘馗さんを見て来たが、非常にいい形の鐘馗さんである。




杉田家・田守家、両家の鬼瓦が路地を挟んで向かい合っている。・・鬼が発する意気を鐘馗さんが静止し家族を護っている。


重要伝統的建造物群保存地区にある田守家の鐘馗さん。


重要伝統的建造物群保存地区にある渋谷家の鐘馗さん。


中尾家の鐘馗さん。


重要伝統的建造物群保存地区にある中尾家の鐘馗さん。四体の鐘馗さんなかで一番古い感じがした。


松山市の鐘馗寺に掲示してある鐘馗さん由来の説明版。


松山市木屋町にある「鐘馗寺の鐘馗さん」・・日本で一番大きな鐘馗さんでは??


松山市の夏祭り、一番初めに開かれる鐘馗祭りには今でも夏の衣替えの時期で、画像の通り浴衣に着替え祭りに来る。毎年7月11・12日に開催される。

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JR大阪駅 梅田が凄い

2011年06月20日 | 新装なったJR大阪駅
上野のホテルを8時過ぎに出て東京駅発新大阪止まりのひかりに乗車した。
大阪止まりでそれもひかりなので比較的空いていた。
中年ご婦人グループが近くの座席に陣取った。・・凄いおしゃべり大きな声で耳障りであったので車両を変更した。・・自由席だったのでよかよかった。指定席であれば最悪。

前夜の睡眠不足で寝ていると短時間で新大阪に着いた感じだ。
少し話が古く幕末になるが、伊予松山藩は戊辰の役時代は、摂津国梅田村の警備をしていた。伊予松山藩主、松平定昭は江戸幕府老中に抜てきされたが辞任、会津・桑名両藩は老中辞任を不愉快として疎外され、鳥羽伏見の戦いにも参加させてもらえず定昭は藩士をつれ伊予松山に帰国した。

こんな経緯のある、梅田、JR大阪駅に降りてびっくりである。5月4日オープン、2100億円を投じ7年の工事を掛けて構築した。プラットホーム全部が大きな屋根に覆われ、JR大阪駅正面玄関もすっかり様変わり、北口には三越伊勢丹とルクアが開店、大きな連絡橋が造られ、一つの街が形成されていた。私が行った12日が日曜日だったため買い物客と、物見見物の人でごった返していた。


JR大阪駅・・7年を掛けて改装築した。


JR大阪駅中央改札口3F部。




JR大阪駅中央改札口もすっかり様変わり。


連絡通路2Fからの大阪駅ホーム、大きな屋根で覆われている。


連絡通路2Fからの大阪駅ホーム。


JR大阪駅駅舎(大丸)と三越伊勢丹を結ぶ連絡橋の大屋根。


JR大阪駅を中心に関連施設で働く人びと。
コメント (10)
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世界一の電波塔「東京スカイツリー」周辺を散策

2011年06月19日 | 東京スカイツリー散策
浅草寺から東京スカイツリーは近くに見えるので、徒歩で言問橋を渡り墨田区押上に建設中の電波塔を見に行った。・・思ったよりも遠かった。
ツリーに隣接する関連商業施設・オフィスビルの開発も行われており、ツリーを含めたこれらの開発街区を東京スカイツリータウンと称し、平成24年5月22日に開業予定だそうだ。

スカイツリーの高さは、武蔵国に因んで、634m、真下から見上げてみたが、634mよりも低く感じた。東京タワーの方が高く感じた。
造りが細いからだろうか??
電波塔は、付近の方に聞くと既に試験電波が出ていて、ANTなしでTVが見えますよと言っていた。

さて地下施設が凄いそうで、なぞの地下施設、エコ巨大施設、東京スカイタウン・世界一の電波塔、太陽光のラインに乗っている、パワースポット・霊ライン「鹿島神社・富士山・吉野山・剣山・高千穂のライン上に位置すると言われている。・・偶然か??
いろいろと騒がれている。・・吉たる事はいい事だ。

散策の帰りは、歩くのは疲れたので業平駅から浅草まで電車で、吾妻橋からスカイツリー撮り、浅草に行くと何時も立ち寄る、大黒屋で天丼とビールで喉を潤しホテルに帰った。・・深夜各種車両の音で熟睡出来なかった。

もっと東京散策をしたい箇所があるのだが疲労困憊、明日は早めに大阪に移動しよう・・と決めた。
電波塔から発射される地上デジタルテレビジョン放送送は
NHK東京総合:JOAK―DTV 
NHK東京教育:JOAB―DTV 
日本テレビ:JOAX―DTV 
テレビ朝日:JOEX-DTV 
TBSテレビ:JORX-DTV 
テレビ東京:JOTX-DTV 
フジテレビ:JOCX-DTV 
TYOKYO MX:JOMX-DTV ・・で
電波塔からはFMの電波も発射されるFMラジオ放送送は
J-WAVE:81,3MHz JOAV-FM
NHK東京FM:82,5MHz JOAK-FM・・の電波が発射されるそうだ。
画像を見て下さい。


業平駅横に掲示してある掲示板。


業平駅、ツリーの下部・・大勢の皆さんがカメラ片手に盛んに撮っていた。・・この橋は何橋ですか??


第一展望台350m、420mmで撮った。


東京スカイツリータウンとなる地上部。以前と様子が変わったのでは、新しい建物が出来ていた。


川沿いに多くの観光者が、あるお店ではビールを飲みながら悠々と眺められるよう工夫されていた。・・完成後は付近の住民は慌ただしくなるのでは、そして騒々しく。


午後の撮影逆光、大横川の川面に映るスカイツリー、高くなりすぎて全部撮る事が出来ない。
広角レンズをホテルに置いてきた・・持ってくれば撮れたのに残念。28mmでは撮れない。


最上部ANT部が634m、第二展望台が450m、第一展望台が350m、3月11日、東日本大地震では揺れが凄かったそうだ。・・耐震性確認のいい試験が出来たのでは??


この日は曇天であった急に雲が来た。時々太陽が顔をのぞかせた。


墨田区業平5丁目12、下町筋からのスカイツリー


634m付近は雲に隠れて見えない。・・吾妻橋から


雷門通り、吾妻橋交差点から


有名な、デンキブラン・神谷バーの前から・・今回はデンキブランを飲む時間がなかった。
残念!!


最上階展望台:450mだそうだ。撮影:420mmで。


最上部ANT部分、作業用工具、その他落下物防止のネットが張ってある。
よく歩いた・・この日は、21、758歩、歩いていた。・・我が足君よご苦労様でした。
疲れました。
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