Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

Hospitalist【特集】「消化管疾患」刊行されました

2014-11-07 02:31:57 | その他

たびたびの宣伝になってしまいすいません。

Intensivistの姉妹雑誌 

Hospitalist【特集】「消化管疾患」が刊行になりました。

まだ目次だけしか見れていませんが、内視鏡科、放射線科、外科の先生がたが多角的なアプローチで執筆されていらっしゃるようで、トピックも「そこが知りたい」的なものがちりばめられていて、ICU的な内容もあり面白そうです。

是非手にとってお読みください。

さらについでに。。。。。

ただいま来年の第1号のIntensivist 特集 ARDS IIの編集作業が山場に向かい苦しい戦いが続いています。こちらもお楽しみに。

 

以下コンテンツ。

Hospitalist Vol.2 No.3
【特集】「消化管疾患」

はじめに:目指すべきは「患者の愁訴から出発する,バランスのとれた消化器病学」
 篠浦 丞 沖縄県病院事業局 県立中部病院兼県立病院課

1 “GI red flags”:器質的疾患を疑う愁訴リストを把握する
 山口 裕 沖縄県立中部病院 救急科

2 上部消化管愁訴:愁訴の組み合わせから疾患・病態を鑑別する
 篠浦 丞

コラム 過敏性腸症候群(IBS):その病因とマネジメントとしてのステップアップアプローチ
 篠浦 丞

3 慢性下痢,免疫不全者の下痢を中心に:性状からの鑑別,注意すべき免疫不全者の感染性下痢
 谷口 智宏 沖縄県立中部病院 感染症内科 
 篠浦 丞

4 腹痛:腹部臓器の解剖学的位置だけで鑑別を考えない
 座喜味 盛哉 沖縄県立中部病院 消化器内科
 石山 貴章 St. Mary's Health Center, Department of Hospital Medicine

コラム 腹部エコー:CT前にまずプローブ:
確実に評価すべき急性虫垂炎,急性胆囊炎,腸閉塞,尿管結石(水腎症)
 国崎 正造・窪田 忠夫 東京ベイ・浦安市川医療センター 外科

コラム 腹部CT:見逃してはならない所見を系統立てた評価法で確実に押さえる
 山口 裕

5 消化管出血:誰をいつ呼ぶか:思考過程を内視鏡医,放射線科医,外科医と共有する
 山口 裕

6 消化管腫瘍性疾患のスクリーニングとサーベイランス:
重要なのは適切な資料を適切な方法で利用して方針を決定すること
 諸見里 拓宏 沖縄県立北部病院 総合内科/腎臓内科

コラム 消化管癌治療後の愁訴:経過年数もふまえた手術の影響を考慮する
 岸田 明博 東京ベイ・浦安市川医療センター 外科

7 食道疾患:GERD,(逆流性)食道炎,食道潰瘍,Barrett食道:
欧米のガイドラインを鵜呑みにしてはいけない!
 星野 慎一 沖縄県立北部病院 消化器内科

8 胃・十二指腸潰瘍:原因の90%以上はNSAIDsとH. Pyroli感染
 山田 徹 東京ベイ・浦安市川医療センター 総合内科/消化器内科

コラム 消化管疾患で使用する薬物:prokineticsのエビデンス
 宮 岳大 飯塚病院 総合診療科

コラム 生検結果の解釈:病理医の立場から:特に悪性を疑う病変について
 金城 貴夫 琉球大学医学部 生体検査学講座 形態病理学

9 小腸,大腸疾患:腸管や血管の閉塞,塞栓:
①腸閉塞,ヘルニア
 西田 和広・窪田 忠夫 東京ベイ・浦安市川医療センター 外科
②血管原性疾患:身体所見と乖離した強い腹痛へのアプローチ
 坂本 貴志・窪田 忠夫 東京ベイ・浦安市川医療センター 外科

10 小腸,大腸疾患:炎症性腸疾患:疾患の背景を理解し治療ストラテジーを考える
 金城 徹 琉球大学医学部附属病院 光学医療診療部
 岸本 一人 琉球大学医学部 第一内科
 外間 昭 琉球大学医学部附属病院 光学医療診療部
 金城 福則 浦添総合病院 消化器病センター

11 小腸,大腸疾患:憩室関連疾患:憩室出血と憩室炎
 山口 裕

コラム イレウス管long intestinal tubeに意味はあるのか?
 坂田 大三・窪田 忠夫 東京ベイ・浦安市川医療センター 外科

コラム いつから腸管を使うのか?:早期経腸栄養開始のメリットとそのタイミング
 鈴木 孝幸 University of Utah School of Medicine, Division of Gastroenterology, Hepatology and Nutrition

【連載】
米国のHealthcare Systems
5|米国のヘルスケアシステム内でのホスピタリストの活躍ー事例をもとにー
 反田 篤志 Preventive Medicine Fellow, Mayo Clinic, Rochester

ホスピタリストが日本の医療を変える
case4|市立福知山市民病院:総合内科医は地域基幹病院の,ひいては地域医療の要である
 川島 篤志 市立福知山市民病院 研究研修センター・総合内科

今日から使える「ベッドサイド5分間ティーチング」
⑤|気管支喘息の既往のある症例の呼吸困難 その後
 北野 夕佳 聖マリアンナ医科大学 横浜市西部病院 救命救急センター


12月になりました

2013-12-07 17:47:48 | その他

なんとなくせわしない感じがする12月になりました。

でも特に朝晩の身もココロもしゃきっとする寒さは嫌いではありません。もちろん唯一の友達の布団から出るのは大嫌いなので、一度起き上がってしまえば、の話ですが。。。。。

今年の宿題を残さないようラストスパートをかけたいと思います。

話はコロッと変わりますが、JSEPTICのHPをマイナーチェンジしました。HP見たときに、数年前のデータが載っていたり、数年前からunder constructionのままだったりして、なーんだがっかりと思うことありませんか? そういうことがないように、と事務局のみなさんが頑張ってくれました。わかるかなー。

自分の施設のHPのアップも懸案になっています。これも宿題の1つ。

では、よいクリスマス、年末を。


visiting professorとして教え学ぶ

2013-10-28 04:47:58 | その他

手稲渓仁会病院に1日お邪魔しました。

総合内科集中治療室麻酔科)の皆様には大変お世話になりました。

お邪魔した理由は、米国で言うところのvisiting professorとして一日、朝、昼、夕のレクチャーと午前、午後の症例検討+回診を行うためです。visiting professorとは要は外部講師のことですが、レクチャーをするだけでなく、回診やケースディスカッションにも参加するというものです。

日本でも米国でも若い人は複数の病院をローテーションして勉強しますが、ローテ先で常に良い指導者に巡り合うとは限りません。ならば外から誰か呼んで「一日指導医」として教えてもらってもいいんじゃない? という発想でお呼びするのがvisiting professorです。ちなみにグランドラウンドもそういう発想で米国ではごく一般的な教育機会ですね(注1)。

若い先生たちの目の輝きが、臨床に対する真摯さが凄くて圧倒されました。手稲渓仁会病院は有名な臨床研修病院ですからやる気のある若者が集まるからでしょう。自分としては、最近臨床以外に果たさなければならない仕事がどうしても増え、臨床の比重が減っています。「臨床医として、初心忘れるべからずやれよ」と諭されているようで、身が引き締まりました(北海道はすでに寒かったから?)。

ちなみに、母校(旭川医大)の関連者が多くて、自分を含めてみなさんの母校愛を少し感じ取ることができて嬉しかったです。またいろんなつながりを発見できてあらためてこの業界は狭いな、と感じました。

以下、visiting professorの効果や利点について思いつくままに。

visiting professorという制度は一種の異文化交流の機会で、自分たちのプラクティスがいかにローカルで凝り固まったものであることを指摘してもらう良い機会でもあります(注2)。逆に、ある程度年齢を重ねると医師は職場を変わることは少なくなるので、ただでさえアタマが固くなった指導医のアタマを異文化にさらし、少しでも柔らかくする効果があるでしょうね。

ちなみに、自分が人に何かを教える資格があるかどうかに関して言うと「まだまだ」と思いました。なぜなら「自分の知識は何が不確実か、どうすればうまく説明できるか」ということに関して、今回も非常に勉強になったからです。通常、質問を受けた場合、相手の質問に真っ向から答えているか、話をそらしていないかを常に気にしながら真摯に答えようとします(Am I answering your question?)。話をそらすのは簡単ですがディスカッションのルール違反なので、できるだけ避けたいからです。

しかし、実際はしばしば自分の勉強が足りず即答できません。ただ、「ごめんなさい、知りません」だけでは素っ気なさ過ぎるので、相手の何か役に立つものを提供しようと「根拠にサポートされていないけど自分のプラクティスはこうです」とか、「話はズレるけどこういう情報があります」とか、その場のお茶を濁して後で文献に当たって勉強し、(メールなどで)補足説明させてもらいます。

このようにして人に何かを伝え、やり取りをする中で自分自自身が勉強をさせていただいています。人前で話すこと、懇親会などの集まりは本来苦手なのですが、そのような場で話すこと、質問を受けることは自分の勉強のチャンスなので、機会があればお引き受けするようにしています。

「話す」センス、能力が不足する自分にとっては話すこと自体の練習にもなっています。ちなみに、ユーモアや笑いのセンスや人を惹きつける話ができるセンスはありませんが、せめて誠意のある話し方をしようと心がけています。結果はどうでしょうか。

 

注1:グランドラウンド(grand round)

ある領域のエキスパートを呼んでレクチャーしてもらうものです。当センター麻酔科ICUでも行っています。http://en.wikipedia.org/wiki/Grand_rounds

 

注2:外の血が混じらないと組織は硬直化します。近刊、M&Mで改善する! ICUの重症患者管理羊土社)p143の「一言:外部コメンテーターを最大限利用するためには」からの引用改変です。

 重大事例が起きてM&Mカンファレンスを開催しようと考えた場合に、特殊な病態が関与すると考えられ、自施設にふさわしい専門家がいない場合には、外部コメンテーターを招聘するとよいでしょう。専門家として優れたエキスパートオピニオンを提供してくれます。これが外部コメンテーターの効果の1つです。

 外部コメンテーターは、カンファレンス中に「なぜそのタイミングでその検査をしたのですか/しなかったのですか」「なぜその予防法を行ったのですか/行わなかったのですか」などの“自施設のプラクティスに関する純粋な疑問”を発してくれることがあります。そのとき、自施設の誰もが「なぜなんだろう、昔からの習慣としか答えようがない」と答えに困ることも少なくありません。外部コメンテーターによって自施設内で自分たちが意識せずに醸成したやり方、しきたり、文化があり、外部の人に言われて始めてそれが自分たちの独特なものであったことやその不合理さに気づかされることがあるのです。この気づきの効果が、外部コメンテーターのもう1つの効果です。

 しかし、外部コメンテーターを最大限利用するには、他科・他部門スタッフを呼ぶ場合と同様、外部コメンテーターにもあらかじめ症例を提示して準備をしてもらう必要がありますし、ときに、参加者が外部コメンテーターのエキスパートオピニオンを盲目的に追従してしまう場合や、逆に「所詮他施設(あるいは文献上)のプラクティスでしょ」と耳を閉ざしてしまう場合もあり、注意が必要です。

 


ICUを退室するということ

2013-06-09 17:03:44 | その他

病院退院時にICUに挨拶に来てくださる患者さんがいらっしゃいます。

かなり嬉しい一コマですが、同時にいろんな思いが交錯します。

ほぼ毎回「〇〇さんですよね、まったく別人だなあ」という第一印象を持ちます。退院間際に歩いて(または車椅子で)ICUにいらっしゃり、冗談も仰られるほどお元気になった患者さんが、ベッドに横になり、あの生死の境をさまよっていたあの患者さんと同一の方とは、にわかには信じられないことが多いのです。

思い出すのは、やっぱり「こりゃヤバい。何とかしなきゃ」という場面が多いですね。

また、いろいろ苦労して良くなって一般病棟へと退室された方がご挨拶にいらっしゃった時ほど、良くなってよかったですね、と思う反面、なんとも気恥ずかしい気になるものです。

なぜなんでしょうか。

実は僕たち医療スタッフがやった診療行為を、患者さんのカラダがすべて覚えているのではないか、という感覚に襲われるからです。患者さんはICUにいらっしゃった間の記憶がとぎれとぎれのことが多いと言われ(注1)、何があったか覚えてない方が多いのですが、患者さんのカラダが「おまえたちのヘボな治療はみんな知っているよ。治ったのは治る力がオレのカラダに備わっていたからだよ」と語られているような感覚を持つのです。

本来、患者さんご自身の治る力は大きく、臓器の予備力も大きなものです。ボクらの多少の見込みはずれを十分に吸収するほど大きい。ボクらはそのような治癒力に頼って少し力を貸し、余分な害を与えないようにしているに過ぎません。

その一方で、考えられるありとあらゆることをタイミングを逸せずに行った場合でも、不幸な結果に終わることもあります。それほどまでに原疾患が強力な場合か、患者さんが遺伝的に〇〇という病気に弱い場合でしょう(遺伝子多型と言われるものです)。

長年ICUで働いていると、このように助かる人とそうでない人の差はある程度まで予想がつきますが、最終的にはわかりません。予想外の方向に向かうことがある。

いずれにしても、ボクら医療者の貢献できる部分は小さいのではないでしょうか。しかし、小さいから何をしても一緒ではありません。小さいからこそ足を引っ張らないようにすることが重要な、ギリギリの患者さんがいらっしゃいます。「足を引っ張らない」ことこそ実践が難しいことでもあります。それがプロとしての専門医に求められていることでもあるのでしょう。

 

注1:ICU入室中の記憶の不確かさ、妄想的記憶と退室後のPTSD(外傷後ストレス障害)との関連ICUにおけるせん妄と長期の死亡率との関連が示され、ICUにおける急性期中枢神経系障害と長期の肉体的・精神的予後の関連が注目を集めるようになりました。現在その予防法は、ICUにおいてできるだけ覚醒状態を維持し認知機能を保ち、早期にリハビリを行うことしかないとされています。今後まだまだ研究が必要な分野です。


当直をする理由

2013-04-15 04:57:10 | その他

1. 年を取っても若い人に身も心も負けないぞ、と自分を奮い立たせたいから

若い人にはたくさんのことで負けていますので、せめて心意気だけでも負けたくないと思います。

 

2. 自分で手技をやる場面が減るので、こっそり遠慮なくやることができるから

嫌いではないので、そういう場面になると内心ワクワクしたりします。

 

3. 細かい病棟業務を忘れないため(ボケ防止)

よく言うじゃないですか。奥さんに頼って家事をやらないとできなくなる、計算機に頼って暗算をしないとできなくなる、コンピューターの検索機能に頼って暗記しないと物忘れが多くなる。若い人に頼って細かい病棟業務をやらないとできなくなる。

できなくなるとさらに面倒になって、さらにやらなくなる。

この悪循環(vicious cycle)の防止目的です。でも、なんでもすぐナースに聞くので、聞かれたナースは迷惑ですね。僕の当直の日には夜勤をしたくない、と思う人がうなぎのぼりに増えたりして。そのうち師長さんから「先生、当直するのやめてください」と言われるかもしれません。

今月は新人が多く7回当直が入っていますが、月に2~3回しか入っていないときのほうがかえって心身がきつい。これも同じ理由でしょうか。

 

4. 朝病院に出勤する手間が省ける

歩いて15分の距離のところに住んでおりますが(ビバ! さいたま)、それでも朝出てくるのは面倒です。このメリットは大きい。

 

5. 診療の細部をチェックできる

真面目に考えると実はこの理由が一番かもしれません。

患者診療の質や安全性は細部に宿ります。

細かい点をなあなあに済ませているとそこからほころび大きくなり、いつか悪い事態が招来される。そういう点から夜間のICUがどんな様子なのか、急患・急変の対応がスムーズにできるか、電子カルテやPIMS(ICU電子チャート)の機能性が維持されているか、無駄な検査・治療はないか、など、日中は忙しくてチェックできないことを夜間の空いた時間にすることができます。

ナースのみなさん、ご迷惑でしょうがよろしくお願いします。


こんな◯◯じゃ、駄目だ

2013-02-17 20:35:06 | その他

おお、このブログはできるだけ多くの人に読んでもらわないと、と思ったのと、元同僚U先生の相変わらず毎週月曜日にきっちりaround the clockで更新されるブログを見て「こういう才能は日本一だな、かないません」とあきらめるのではなく、「行き当たりばったり、出たとこ勝負」のせめて「さいたま市1位」を目指して昨日につづき当直の夜の間隙を使ってあえて「月曜」の前日の日曜日に二日連続でブログを更新することにしました。

それぐらい(ん、どのくらい?)に読んで価値のあるブログです。さすが、岩田健太郎先生。

http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2013/02/あんな慶応じゃ駄目だ.html

ただし、その読み方にはコツが必要か、とも思いました。

つまり、「慶応」の部分を自分の病院や自分のデパートメントに、自発的に置き換えて考えられる人にとっては、このブログは(かなり耳が痛いが)良質の教材になる可能性があるが、「ああ、やっぱり慶応は.....」とひとごとで終わらせてしまう人にとっては好奇の対象にしかならないのではないかと思ったからです。

実際に、自分で「こんな自分じゃ」「こんな集中治療部じゃ」「こんな自治医科大学附属さいたま医療センターじゃ」「こんな埼玉県じゃ」「こんなJSEPTICじゃ」「こんな日本じゃ」といろいろ置き換えて考えてみると「駄目な」部分がたくさん見つかります。

もちろん「こんな◯◯じゃ」と考えることができて「駄目な」部分に気づくこと自体よりも、気づいた駄目な部分を変えていくことの方がよっぽど難しいのですがね。ここまで気づいてそれでもめげずになんとかしてやろう、と思うことができれば、岩田先生の勇気ある発言も浮かばれるのではないでしょうか。

その証拠に、岩田先生は最後に

「さて、なんとかなるか。各人の受け止め方次第だな。」

と書かれていますね。脱帽です。

 


公式会議的会話

2013-02-16 20:42:48 | その他

とある、お固ーい会議で、出席者の会話をじっくり観察して(聞いて)気づいたこと。

みなさん、比較的定型的な文言(ことばは悪いが、差し障りのない表現)を使用し、淀みなく、かまずに、落ちついてしゃべれるのに感心しました。これぞ「公式会議的会話」見本版を観察できたような。

あー、えー、もほとんどなければ、文章にネジレもありません。聞いている人をぐぐっと魅きつける話し方ではないが、イイタイコトが確実に伝わります、少なくともボクには。

もちろん原稿を読んでいる方はいらっしゃいましたが、そうでない方の方が多数で、少なくとも考えながらボソボソしゃべる方は皆無でした。

こういう「公式会議的会話」の実態を観察できたことは大きな収穫でした。

で、思い出したこと。

米国で臨床研修を開始して(つまりは米国に住みはじめてすぐ、ということです)しばらくは電話で、家に水道を引いたり、電気を引いたり、カード会社のカスタマーサービスと話したり、翌日の麻酔症例を指導医とディスカッションするのに、全部原稿を書いてから、それを読み上げて会話を成立させていました。しかし、しばらくすると原稿なしでも頭の中の準備だけで会話が成立するようになり、さらにしばらくすると何の準備もせずに(日本で電話するように)電話できるようになりました。自分でも不思議でした。

と思い出しているうちに、さらにつらい思い出を思い出しました。

臨床研修では、入院患者の退院サマリーを作成しなければなりませんよね。退院サマリー作成は、病院の病歴室の専用電話番号に電話してテープに吹き込み、あとで病歴室のスタッフがそのテープを聴いて紙原稿にしてくれる(ディクテーションする、と言います)システムになっていました(注1)。

もちろん、最初は原稿を書いてそれを電話口に向かって読んでいました。最大限英語らしく読んでも病歴室が聞き取れずに作成してくれるサマリーの草稿が結局穴だらけになり、「これなら自分でワープロソフトで打って提出した方がよっぽど速いよ」とブツブツ言いながら修正して、病歴室に持っていっていってました。しかも入退院の数が日本に比べると圧倒的に多いので気を許すとみるみる未脱稿サマリーがたまっていきます(嫌な思い出です)(注2)。

脱線しました。

というわけで何ごとも準備ですかね。行き当たりばったり、新鮮な驚き、出たとこ勝負の緊張感命の自分にとっては、考えさせられる会議でした。

 

以下、注。

注1:北米どこでもそうだと思います。オペ記録もこれ。慣れればワープロソフトで打つよりこっちの方が速いので、日本でも流行ればいいのにと思っているのですが、流行りませんね。米国生活が長かった慈恵医大血管外科のあの大木先生は、日本でもこのシステムを大いに利用していると聞きました。

注2:電話でなんとかしなくちゃいけない(ナースに指示を出さないと仕事が進まない、注文しないとピザが届かない、文句を言わないと家の電気が通らない、飛行機に乗れない、などの)状況は、日本では決して得られないドキドキ感、後がない感、切羽詰まった感があり、こういう体験をするだけのために海外で臨床研修をしたり、居住したりする意味はあると思います。

米国在住当時は、母国語の会話ならなんの苦労もなくイイタイコト言えて楽なんだろうな、と日本語でのディスカッションが憧憬の対象でした。しかし帰国後「母国語会話もそれほど気楽にできるわけではない」ことに気づかされ、ようやくある程度日本語会話もできるようになったかな、と思っても、今回のようにシチュエーションが異なれば会話の方法論も異なることに気づかされ....。

自分のように会話的コミュニケーションが苦手な方は、海外臨床留学は最も有効なショック療法で、しかも英語がある程度できるようになるし、本来の医学的、医療的部分で学ぶことは多数あり......。

 


とある人との会話から勉強になったこと

2013-01-19 13:52:38 | その他

唐突ですが、求められていることと自分の希望との間にどうもズレがありそうだ、と気づくことはありませんか。最終的にその溝を埋めないと物事が始まりません。どういう障壁があるのでしょうか。

◯◯から(世間から、病院から、友達から、家族から、何でも入ります)自分に求められていること、あるいはもっと広く“◯◯の意向、希望”は、“自分のやりたいこと”とはもちろん、“◯◯から求められているだろうなと自分が想像すること”と一致しないことがしばしばありますね。これに気づくかどうかが第一の障壁。

さらに、◯◯の希望と自分の希望との不一致、障壁に気づいても、その障壁は実は自ら作っていることが多いということ。これに自ら気づくかどうかが第二の障壁。

このような自ら作る障壁の存在に気づき、自分で「◯◯の求め」に沿うように頭を切り替え行動に移すのにさらに躊躇があるはずです。頭の切り替えと行動ができるかが第三の障壁。

このように◯◯の希望を叶えることには障壁が複数ありそうです。おそらく、これらの障壁を乗り越えられる人はいろいろなことに成功する確率が高いと想像します。

でも、自分の希望が叶えられたわけではないじゃん(注1)、と反論する方がいらっしゃるかもしれません。どういう希望を持つかにもよりますが(注2)、◯◯の希望を叶える過程で自分の希望を取り入れてくれるように交渉することができます。◯◯の希望が叶えば、交渉次第で自分の希望もある程度叶うでしょう。100%は所詮無理ですが、「どうせ自分と◯◯との溝は埋まらない」とあきらめて何も変えようとしなければ、自分の希望が叶う確率は0%。何%で満足するかも自分次第ですね。

障壁を乗り越えるためにできること、コツはあるのでしょうか。あれば教えて欲しいです。すぐ思いつくのは、◯◯からの希望の提示に対して「まず否定から入らない」「とりあえずYESと言う」こと、観察癖や想像癖をつけること、プライドを捨てること、ぐらいですかね(注3)。

忘れてました。もう一つイバラの道があります。◯◯の希望を完全無視して、何が何でも自分の希望を叶えるべく努力して◯◯側が変わるのをひたすら待つ、という作戦もあるでしょうね。敗者復活戦から勝ち上がるように最後に笑うことができるかもしれません。といっても、実は◯◯の希望を完全に無視したわけではなく、10年後、100年後の◯◯の希望を思い切り叶えるということなのかもしれません。そういう大義がないとイバラの道を進むのはツライ、やるせない。多くの先駆者、発明者はイバラの道を進むことができる人種なのだと想像します。あるいは、そういう将来の自分の大義のために当座の◯◯の希望をどんどん採用する方もいるでしょう。

最後にもう一つ、完全に一度ぶちこわして新たな世界を構築するという方法もあります。小沢さん(政治家)がかつてそうだったように。

さて、全員が一致する正解はないが、自分の中に正解を見つけることができる疑問。みなさんならどうしますか。

 

注1:「.....じゃん」と語尾に付けるのは何弁になるのでしょうか。

注2:◯◯の希望を完全に叶えることが自分の希望である方がいらっしゃいます。そういうサービス精神旺盛でない方でも、場面によってはそういう希望を持つことがありますよね。

注3:根拠ゼロだし、漠然としてるし、すいません。


2013年(平成25年)になりました

2013-01-06 00:17:40 | その他

2013年(平成25年)になりました。

みなさま、2012年はどんな年でしたか? そして2013年はどのような年にしたいですか?

政権が代わり、米国の予算も決まり、円安になり、なんか幸先が良いなあ、と感じる(注1)人も多いのではないでしょうか。

私的には、昨年末までに仕上げなければならない仕事が押せ押せで佳境に入っているところなので、それが終わってから年始に頭を切り替えようと考えています(注2)。

それぐらいの自由は認められるはずです(注3)。

年末の「2012年評価表」、年始の「2013年目標リスト」作成は、それからにします(注4)。

2013年がみなさまにとって良い年になりますように。

 

注1:「感じる」でなく「騙される」が正しい表現でしょうか。また「痛み」が「先送り」されるだけにならないコトを祈ります。

注2:ですので、神社の近くに住んでいますが、初詣はまだ行っていません

注3:自分の父は年末に生まれたが、誕生日はなぜか1月です。父曰く、「昔はそれがフツーだった」。

注4:といっても、頭の中ではいろいろ考えています。今年の私的標語は「なりふり構わず」にしようかな、とか。


国際学会の楽しみ方

2012-10-15 15:25:56 | その他

米国麻酔科学会のためワシントンD.C.に滞在中です。

いくつかこぼれ話をしたいと思いますが、まず.....

とある米国留学中の先生と久々に再会して、最初の話題が、「先生のブログ楽しみにしているんです。もっと更新してくださいよ」でした。見てくれている人の直接の声をうかがえるのはとても嬉しいですが、なかなか難しい課題でもあります。「善処します」風な曖昧な答えでお茶を濁しました(で、さっそく更新)。心の中では「現代的な、ブログ的な短い文章、不得意なんだよねー。どうしても説教的な長いものになっちゃって。意外に大変だし」とつぶやきながら.....

 

さて、本題の学会の感想。

インターネットで世界中が同時に同じ領域の論文情報を得られる時代にあって、国際学会の利用価値もだんだん変わりつつあることを実感します(ということは以前にも述べたような気がしますが.....)。つまりは、新しい情報を求めに来ても、「おお、すげー」と感動することが少なくなったのではないかと.....

教育的なレクチャーを聴いても、自分の専門領域である集中治療に関しては、普段日本で回診、勉強会、JSEPTIC-CTGセミナーIntensivistの編集会議で考えて、勉強して、ディスカッションしていることは全く劣ってないという印象を持ちます。というか、むしろ聴衆の1人として「それは言い過ぎじゃない(自分の個人的なプラクティスを前面に出し過ぎでしょう)」とか、「それはもう古い話でしょう」とか、思うこともしばしばあります(注1)。

もちろん、そう思えるのはある程度最先端の専門的知識をフォローしてはじめてなせることなので、人によっては「知らなかった知識が満載だ、おもしろい」と思うかもしれません。実際に、自分でも、興味があるがご無沙汰しているようなこと、例えば経カテーテル大動脈弁留置術transcatheter aortic-valve implantation (TAVI)の周術期に関わる知識のレヴューをしてくれたワークショップは、知識が一気にわかってとてもよかったです。

一歩下がって冷静に考えると、「ああ、学会って騙し、騙される場所なんだな」ということに気づきます。その最たる場が企業がスポンサーのランチョンセミナーでしょうね。EBMならぬLBM(Luncheon Seminar Based Medicine)と言われる所以です(注2)。

 

個人的に面白かったのはポスター会場でのラウンド。

全部で6~20題ぐらいの同系統の話題(たとえば集中治療システム)を集めて、司会進行(モデレーター)のもとに、一演題数分のプレゼンをしてその後に発表者および関連者10~20人くらいでディスカッションというやつです。要は、同じ穴のムジナなので、そのスジに詳しい輩が集っていて、鋭い指摘、批判をお互いに繰り広げ、「イヤーごもっともです」と口で答えながら、心の中では「わかっちゃいるけど、それはできない事情があったのよ」と愚痴ったり、「おお、鋭い!」(英語では回答に少し窮するような鋭い質問に対し、しばしば"good question"と言いますね)と答えながら、心の中では「いやいや参りました。気づきませんでした。ありがとうございます」と思うことも多いのですね。さらにこういうポスターディスカッションで、次の研究ネタのヒントを貰えることもしばしば。

今回参加したラウンドは、モデレーターの準備、運営が非常に優れており、ディスカッションの内容、指摘は、(残念ながら?)普段日本でやっていることよりも一段上で、非常に得した気分になりました。

以前は、ポスターには、こういうみんなでディスカッションするラウンドが付属しておらず、ポスター貼って終わり、とする学会が多かったのですが、そうすると、学会に出席する主目的が、観光、買い物になったりする。もちろん経済貢献は学会の重要な一側面です。

また、発表は発表で一つとしてカウントされますから、非医療者が聞けば「◯◯先生は国際学会の発表の経験も深く.....」は、英語でプレゼンできて、ディスカッションもできて凄いなあ、というイメージを持ってしまいがちですが、ポスター貼り逃げの経験がたくさんあるだけだったりして、ということも起こるわけです(なんかつい最近騙された某新聞社を思い起こしますが.....)。

ちなみに、最近はもうこの手の「貼り逃げゴメン」は少なくなり、若い日本の先生がたも一生懸命練習して素晴らしいプレゼンをしています。英語が苦手な方でも想定内の質問であればなんとか通じるお答えができる。

想定していない質問になんとか答えられるレベルとなると次のステップ。ただし、同じ穴のムジナなので、多少の間違いは全くOK。専門用語の羅列で、指摘し、指摘され、通じます。とりあえずしゃべる、これが重要です。

そのスジの専門家としてスムーズに意見の交換をできるか否か、となるとさらに次のステップ。

アドリブの話題を振られたときに、無理なくスーッと聞いてもらえる程度に流暢に話せ、聴衆を納得させるか否か、となるとさらに次のステップ。

どのレベルの英語会話力を求めるかによってハードルはどんどん上がっていき、終わりはありません。ちなみに日本に居ながらでも、動機づけと継続で、練習できないわけじゃありません。簡単でないのは確かですが。

 

注1 米国の集中治療は呼吸器内科医主導であり、麻酔科系の集中治療医は少数派であり、最先端で米国のこの業界を動かしている麻酔科医は非常に少ないという背景があるのかもしれません(余談ですが、日本の麻酔科業界もこのトレンドを確実に追っかけていると肌で感じます)。今回のモデレーターも「米国では、麻酔科系の集中治療医の活躍が、カナダ、欧州、豪州に比べると劣っている」とポロッと言っていました。

注2 ちなみにLBAなんてコトバありません。Googleで一件も引っかかんないし。私(の周囲の方?)の造語だと思いますが、局地的に、そう思っている方、すでにお使いの方はいらっしゃるでしょう。もちろん米国でもプレゼン前の利益相反の開示は行いますが、米国では額がデカイだけに、もちろん開示は必要ですけど、開示すりゃ−いいってもんでないんじゃない、単なる免罪符になっていませんか、という正直な感想も持ちます。その一方で、一流医学雑誌に載るような質の高い多施設介入研究は、今時、企業の資金援助がないものの方が少ない。我々はこの呪縛から逃れられない。以前にも増して我々の個人的なモラルが問われている側面でもあります。