Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

CRP依存症

2011-08-29 12:35:21 | 感染

すでに矢野晴美先生を始めとする多くの感染症専門家の方たちが何年も前から言い続けていることですので気が引けますが、


http://www.m3.com/sanpiRyouron/article/140578/?portalId=mailmag&mm=EA110824_111&scd=0000029807 (登録が必要?)


まあICU医の立場からと限定すればいいかな、と思ったのが一つと、朝のカンファレンスでディスカッションの話題になったから整理しておきたいと思ったのが一つと、「言い続けてもプラクティスが変わらない」なら「変わるまで手を変え品を変え言い続ける」しかない、と思ったことが一つ。


というわけでおつきあいください。


まず結論

 いきなり結論ですが、ルーチーンにCRPを測定することによるベネフィットは小さく、むしろ弊害が多い。そして、必要に応じて使う、という使い方が恐らく賢い。しかし、「いつ、どのように」使うべきかは、確定していない、としておきます。


そもそもCRPは何のために測定するのでしょうか。理論的にはどのような使い方が考えられるのでしょう。


一つ目は、感染症の有無の判定のため。これはすなわち抗菌薬の使用開始基準といっても良いでしょう。その判定にも2つの使い方が考えられる。一つは感染症の有無の「確定」、と有無の判定の「補助」という2つです。


感染症の有無の判定の「確定」のため

 さすがにCRPが高いことが感染症の診断確定に必要である(他に所見が出そろっていてもCRPの高値がないと感染症とは言いきれない、という意味)と言い切る人は少ないと思いますが、たとえばバイオプシー、血液培養のような検査にとって変わることができるのか、「CRPが高ければ必ず感染症あり」と言えるのか、という命題です。特異度が高くないことはみんな知っています。ただし、こういう文脈の話し方、たとえば「心不全にしてはCRPが高いので、感染があると思うので抗菌薬を使う」と語る先生がいるのは確か。これは後でも述べますが、ルーチーン化してしまったことによる弊害の一つでしょう。検査結果、推移が1人歩きして、それに踊らされてしまう、検査データ(実はその背後に潜む“自分自身の安心感”)を治療対象としてしまう「CRP依存症」の典型です。


感染症の有無の判定の「補助」のため

 ICUでは他に所見のはっきりしない感染症はたくさんあります。感染で、WBC、身体所見を含めて全身所見が出るか出ないかは、患者さんと菌の戦い方が激しければ出るし、うまく局所に抑え込めればはっきりしない。またステロイド、免疫抑制があればWBCも怪しい、そもそも身体所見もはっきりしない人はたくさんいる。


今のところ感染症は早期発見、早期治療開始が患者のベネフィットになる(本当は実はそうでないかもしれませんがね。コントロールド研究ができない案件の一つなので。むしろ遺伝子の多型が決める患者の感染症に対する反応の仕方の方がファクターとしては大きいと予想しています)。ある有望な若いICUドクターが以前にM&Mで示してくれた乳酸 vs ScvO2の研究のデータを使った二次的な解析で、ショックが成立してからではSSCG提唱の「1時間以内の抗菌薬投与」でもすでに遅いかもしれない、ショックの前から抗菌薬が開始されないと生存率が上がらない、という論旨の論文がありました(Puskarich MA. Association between timing of antibiotic administration and mortality from septic shock in patients treated with a quantitative resuscitation protocol. Crit Care Med 2011)。すると、そんなときにCRPは補助的に使えば有用である可能性が出てくる。そのためにはもしかしたら毎日測定することが正当化されるのかもしれない。これは熱が出たり、ショックになったりする以前に「軽微な早期の変化」をつかまえるという意味で有用かもしれない。


しかし、この有用性はCRPのルーチーン化により、マスとしてどの程度余分に患者を救命できるか、その分余分に費用はどの程度かかるか、必要のない抗菌薬治療がどの程度増えるか、という文脈で考える必要があります。ICU医師としてお預かりした患者は全員助けたいとは思うのは当然で、「軽微な早期の変化」を見つけることでもし救命率をあげることができるのなら、そうしたい。しかし、答えは直感的にNOだと予測します(もう少しおおらかに構えて、CRPの上昇だけでなくそのほかのもう1つ2つヒントが出現してから介入するぐらいで遅くないのではないか、と思うから。そのためにICU医がICUに常駐しているから。もちろんやってみなけりゃわからないですが)。


一方、もし仮に救命率を向上させたとしても、「はずれ」の症例に介入する資源が莫大になり、NNT的に考えてそれに見合うだけの救命率の向上は得られないと予測します。資源が莫大になるばかりでなく、かえって「CRP=感染症=カルバペネムの処方」という考え方を蔓延させ(すでに蔓延していますが)、かえってマスとして耐性菌を増やし、それが将来の患者に跳ね返ってくる。


初期抗菌薬の効果判定

 確かに初期抗菌薬が効けばCRPは下がってくる。しかし、多くの場合にはその他の所見からも抗菌薬の効き具合はわかる。患者が良くならないときに、CRPを提出すると有用でしょうか。確かに初期抗菌薬療法が不適切な場合、CRPは高いままあるいは上昇しつづけるかもしれないが、その可能性を考慮するのは、患者が良くならないからである。逆に患者が良くならないのにCRPだけ改善する。そのときCRPが良くなったから安心、とは思わない。その他の良くならないときに考えるべき鑑別診断をリストアップする、そのときにCRPの上昇という所見はあくまで補助的に使えるかもしれないが、かえって迷い道に入り込んでしまい、余分な介入を行うリスクもある。


患者が良くなっているときにCRPを見ると、明らかにやっかいな状況を作る可能性があります。患者が良くなっているのにCRPが改善しないと「CRP依存症」の先生は何かせずには自分のココロを落ち着けることができなくなる。だから、患者が良くなっているときには「出さない」に限ります。これは原則よくなっているときに確認の培養検査をしない方が良いのと同じ理屈(カテ抜去後のルーチーンのカテ先培養はさすがに見なくなりました)。やらない方がよい検査、見ない方がよい検査もあると思います。


というわけでCRPを抗菌薬治療の効果判定に使おうとすると、かえって混乱させるもとになる可能性もあるわけです。あくまでその他の所見とともに使いましょう。


抗菌薬の継続の適否の決定

 「CRPが陰性化するまで抗菌薬を使うべし」と述べる先生がいらっしゃいます。これには根拠がありません。ちなみに、「CRPが陰性化するまでICUにおいてくれ」とまでおっしゃる先生はさすがに見たことありませんが、「CRPが陰性化するまで退院はまかりならぬ」とおっしゃる先生はたくさんいらしゃるでしょうね。経験値としてこの感染症にはこのくらいの投与期間、という標準形があって、あとは臨床の現場で毎日継続の適否を判断する。そのときCRPの推移を見てもよいがあってもいいけれども、それはあくまで参考にする程度です。CRPがいくつ以上だからまだ継続、いくつ以下だからやめる、そのいくつはどこから出てきた数字なんでしょう、といつも思います。


確かに長期戦になる深部感染症で、他に指標が見当たらなくなったときに「いつまで継続するか」補助的にCRPを使用する、というエキスパートは多そうですが、我々ICUとは若干違うシチュエーションですが、ICUでもこの考え方は応用できます。たとえば感染症だと思って抗菌薬を始め、患者が良くなり培養から何も生えて来ない。そんなとき、培養が生えない感染症だった(もちろん培養は感度100%ではありませんからね)と考え予定の抗菌薬使用期間を薬を継続するか、やっぱり感染症ではなかったんだと考えるかは臨床的判断ですが、CRPが補助的に役に立つ場合があるかもしれませんね(おそらくプロカルシトニンがこのような使われ方が似合っていそう。豪州の林先生のレヴューClin Infect Dis 2011;52:1232-40がよくまとまっています)。


CRPの数値で侵襲の大きさ

 他には、CRPの数値で侵襲の大きさを語る先生がいて、それの亜型が「CRPが◯◯だから(あんまり他の所見がそろっていなくても)抗菌薬行っておいて」と語る先生がたです。CRPの数値が侵襲の大きさとある程度相関することは想像に難くありませんが、私はそれによって治療方針を変えません。治療や管理の方針は変えるのはその他の全身の所見です。


CRPを測定しないICU

Aという病院のICUではCRPのルーチーンに測定しません。ときどきお邪魔することがありますが、「CRPを毎日見る世界」から「存在しない世界」に行って回診すると違和感を覚えます。ああ、見ないと不安に思う「CRP依存症」に自分もにかかってしまったんだな。ルーチーンって恐ろしいな、と思います。しかし冷静に患者を見てみると、確かにほとんどの場合必要ない。ただ「存在しない世界」にどっぷりつかると逆にそれがルーチーン化してその存在を忘れる、という事態にもなる。逆に私から「ここは補助的にCRPを提出してみたら」と提案することもあります。


まとめると、CRPは毎日ルーチーンで提出する必然性はない。それによる代償は大きい。北米、豪州のように(欧州はどうなんだろう)なくてもやっていけるが、使うなら賢く使いましょう。結局ありきたりの結論になってしまい少しだけ残念。


以下脱線。

日本人は確率論的な考え方が極端に苦手ですね。またベネフィットを得るためにリスクをある程度背負い込むことを本能的に避ける国民なんでしょうか。低い確率の事象を拾うために全員に行う、という態度が正当化され、それに疑問を挟まない国民とも言えます(だから医療費がかさむ?)。わずかなリスク、少数意見のために、多くの人が利益を被ることができるはずなのに、あえてしない、ことを好むというお国柄なのか。

たとえば、どのみち標準予防策をするのに術前にルーチーンで肝炎ウイルスばかりかHIVまで測定する。輸血の可能性が少ない上に、輸血するときにどーせ調べるのに入院時に血液型を調べておかないと気がすまない(これはさすがに減りましたかね)。元気な小児の術前に「決まりだから」心電図、採血までする。たとえば最近改善されつつありますが日本のワクチン行政もこの範疇ですね。


ルーチーン、決まりは人間を何も考えなくする麻酔作用を持っています。気をつけたいものです。と同時に、我々は「ほうら◯◯をやってない」という指摘を後ろ向きに行い、やらなかった人をしばしば「反省」に追い込みます。これもルーチーン化に一役買うでしょう。これも気をつけたいものです。



手技の前、抜管の前にどのくらいNPOの時間をとる?

2011-08-25 16:47:11 | 腹部・栄養
SCCM(Society of Critical Care Medicine: 普通、米国集中治療医学会と私は訳しているのですが、みなさんどうされてますか?)からのアナウンスメント・メールが来ていました。

手技の前、抜管の前にどのくらいNPOの時間をとるか、というアンケート調査です。3分で終わりますので是非どうぞ。

リスクの小さい予定手術前は2時間前まで、というプラクティスが日本でもようやく広まりつつありますが、さてICUでは? と考えるとみなさんどうされているのでしょうか。以前メーリングリストでも話題になりましたが、盛り上がらなかった記憶があります。

https://www.surveymonkey.com/s/WDNR8S9

をブラウザーにコピペしていただければアンケート画面に飛びます。是非どうぞ。

確実な情報が何もないときに、この手の基礎データは貴重な情報になります。アンケート調査と言えども馬鹿にはできません。ちなみにJSEPTICのアンケートはもっと気軽なものですが。

以下、メールの文面です。

Dear Colleagues,

We are conducting a national survey of providers who care for critically ill patients in an ICU setting. We wish to better understand views and practices regarding the current enteric feeding within our nation.

Nil per os (NPO) practice in the United States is based on the 1998 American Society of Anesthesiology practice guidelines for outpatient surgery. These guidelines may not apply to critically ill patients. The purpose of this questionnaire is to interrogate our policies, so as to grasp the many complexities present in practice today better.

Please note that your responses are submitted, collected, and analyzed in a completely anonymous fashion. It will not be possible at any time to link individual responses to a specific person, group, computer, institution, or geographic area. You are under no obligation to take the survey; however, if you do, please answer all the questions. Your completion of this questionnaire will serve as your consent to be in this research study.

For each question, please select one answer that you feel is most accurate. If you close your browser before answering all the questions, your responses may be lost, so we recommend you complete the survey in one sitting. In pilot testing, we determined this will take five to 10 minutes to complete. If you have already responded to this questionnaire, please do not submit your responses a second time.

Click here for the survey or copy and past this link into your browser: https://www.surveymonkey.com/s/WDNR8S9.

Sincerely,

人工呼吸にweaningは存在しない

2011-08-22 04:39:55 | 呼吸

どっかで聞いたような表題でごめんなさい。ユタの田中竜馬先生が中心になって主催されている「若手医師のための人工呼吸器ワークショップ」のtwitterで紹介されていた論文のretweetです。

http://respiratoryworkshop.blogspot.com/

フリーアクセスの論文でないので申し訳ありません。以下読んでいただければ、少しは内容がお伝えできるかもしれません。

Hess DR, Macintyre NR. Ventilator discontinuation: why are we still weaning? Am J Respir Crit Care Med 2011;184:392-4

2714人の人工呼吸患者の離脱の困難に関わる臨床的因子を調べたコホート研究[1]のエディトリアルですが、著者がこの世界の大御所二人なのがすごい。

要は、人工呼吸器離脱を図る患者は大多数がSBTでdiscontinuationすればよく、weaningつまり徐々に減らしていくというプロセスは必要ない、という考えをHess先生、MacIntyre先生はお持ちであり、これに関しては多くのRCTで明らかにされ、ガイドライン[2]、SSCG 2008[3]でも推奨されているのに、なぜみんな使わないのだろう、SBTってこんなに良いのに、という嘆きのエディトリアルです。

ちなみにSBTとはある一定の条件を満たせば(端的に言えば患者さんが人工呼吸器が必要なさそう、と判断したら)、それまでの設定に関わらずいきなりT-pieceまたはCPAP(± 最低限のPS)にして人工呼吸器が必要かそうでないか判定することです。少なくとも7~8割はそれで成功し、PSVやSIMVに比べ人工呼吸器時間を短くできることが示されている[4]。

Hess & MacIntyreは、このエディトリアルの中で

・Weaning:the latter is the process of gradual reductions in the level of ventilator support as tolerated 耐えられれば徐々にサポートを減らしていくこと
・Discontinuation:termination of ventilation 中断、中止

と用語を区別すべきであると主張しています(議論の基本でしょうね、定義をきっちりしておくことは)。

分類上、

・最初の1回で成功すればsimple weaning、
・1週間未満に成功すればdifficult weaning、
・1週間以上かかるとprolonged weaning

と呼ぶグループもいて[5](慈恵医大 CE 奥田くんのスライド「ウィーニングプロトコール」でも言及されています。わかりやすい。JSEPTICホームページからダウンロードできます[6])、エディトリアルの対象となった研究[1]でもこの分類が使われた。

そもそも、この分類のようにweaningというコトバを使うこと自体がHess & MacIntyreは好かん(Unfortunately, this group used the term weaning interchangeably with the discontinuation process)。しかも1回目は失敗した患者で2回目以降の“discontinuation”プロセスでSBTが使用されたのが50%以下で、それ以外は"weaning"で離脱を図った、つまりは徐々に設定を下げたと嘆いておられる。ちなみに1回目SBTで失敗した患者の2回目のトライアルにおいてもSBTが最も早かったということも古典的研究で明らかにされています[4]。

なぜ私たちはweaningが好きなんでしょう。PCPS、IABP、血管作動薬、みんなそうです。個人的には、何でもいきなりやってみるのが好きなので痛い目に合い、しばしば看護師に「ほらー、先生、血圧が.....」って怒られますが、それって減量のモダリティーの選択やプロトコールが悪いのではなく、患者さんの準備ができていないから、という要素の方が強いはず(もちろん私も薬剤などweaningする場合はありますよ)。患者の準備ができていれば、やり方は関係ないかもしれません(ECMOのオン・オフテストもSBTに近い発想でしょう)。私たちはしばしば「こないだはちょっと早くやり過ぎて失敗したので、今度はちょっとゆっくり1週間かけてウィーニングしたいと思います」なんて平気で言ったり、「やっぱりそーですよねー」なんて平気でスルーする。私たちはreturn[後戻り]やfailure[失敗]という単語を屈辱ととらえがちで、「discontinueしてだめなら戻ればいいじゃないか」という発想をなかなか受け入れられないのかもしれません。

似たようなことをHess & MacIntyreも述べています。

・呼吸器の中止プロセスでは、人工呼吸器の設定をいじることではなく患者が人工呼吸器を必要とする背景疾患を治療することにエネルギーを注ぐべき(The ventilator discontinuation process should focus on treatment of the underlying disease process rather than manipulation of the ventilator settings)だし、

・SBTが患者が人工呼吸を必要とするかしないかを見極める安全で最も適切な方法であり(SBTs are safe and they are the best way to determine when ventilation can be discontinued)

・discontinueしてだめなら元の快適な設定に戻ればいいじゃないか(Those who do not tolerate an SBT are returned to comfortable ventilator settings and the SBT is repeated after the reasons for failure are explored and corrected)

・SBTが患者が呼吸器が不要であるか否かを判定できるのだから、かえって徐々に下げていくのは、人工呼吸離脱プロセスを遅くするだけ(Indeed, if an SBT identifies ventilator discontinuation readiness, a gradual support reduction approach can only prolong the process.)、

などです。

ああ、そうか。SBTは離脱法のひとつと考えるのではなく、呼吸器が必要か否かを判断する検査、ストレステストと考えればいいのか。1週間以上かかるprolonged weaningの患者でさえ、「患者さんが行けそうな顔をしていたら」まずはSBTをやってみると、みなさんも意外に「行ける」ことを感じるはずです。

さらにHess & MacIntyreは、後半、この研究ではコホートの25%以上の患者でSIMVが使われた(More than 25% of patients received SIMV in the study)と述べ,SIMVが登場して40年以上、なぜこんな時代遅れかつ、ベネフィットがないモードがいまだに使われるのか、嘆いておられます。さらに過激に(いいですね!)、このモードで"weaning"するプラクティスを捨てる時がやって来たとも述べています(Perhaps it is time to abandon this mode for which evidence is lacking for benefit. It is time to stop weaning from the ventilator and to start weaning old-fashioned ideas)。

さて、以下反省。

個人的には、weaningという用語をdiscontinuationの意味も含めてずっと使ってきた気がします。おそらく、周囲のみんながウィーニング、ウィーニングって何の気なしに使い、人工呼吸離脱に相当する良い日本語が他に見当たらず、きっと「理解してくれている」と想像し、SBTもウィーニングというイメージ(≈ 離脱?)の中に含めて使ってきたのだと思います。

だから、実際、朝の回診でレジデントが「本日は呼吸器のウィーニングを行います」としゃべるのを自分の中で「きっと昼過ぎには抜管する予定なんだろうな」と解釈してうっかり突っ込み忘れると、朝 FiO20.4、PEEP8、PS12、PSVの設定で、4時間おきにPSが下げられ、夕方の回診時にもPSが8に下げられただけ、という場面に遭遇する。その場で、SBTがどういう行為で、SIMVやPSVよりも人工呼吸からの“ウィーニング”に相応しい方法であることを説明するはめになる(嫌だと言ってるわけじゃありまんよ。同じことを恐れずに手をかえ品をかえ言うのは、わかってもらうための基本ですよね)。レジデント君のアタマの中では“ウィーニング”はweaningとして正しく使われていたわけで、私の使い方がよくなかっただけです。

よーくわかりました。レジデントに「通常の人工呼吸患者にweaningという行為は存在しない」ということや、SBTという「いきなりdiscontinueする」発想を理解してもらうには、まずweaningというコトバ自体を捨ててしまえばいいんだ。この2つのことばを明確に使い分ければいいんだ、ということが。よくぞ言ってくれました、Hess先生、MacIntyre先生。

しかし、「じゃあ今日は“ディスコンティニュー”の日です」としゃべるのも何かピンときませんね。ウィーニングがもつ「徐々に」というイメージを完全に払拭する代わりの良い日本語はないのでしょうか。

世界中の集中治療医、ナース、呼吸療法士の慣れ親しんだ用語、習慣、文化を変えるのは難しいですが(そのくせ私たちは企業のランチョンセミナーで推奨される謎の多い薬を気軽に使います。恐いですね)[7]、とりあえず「同じことを恐れずに手を替え品を替え言いつづけよう」と思います。

Hess先生、MacIntyre先生ありがとう。田中竜馬先生ありがとう。

参考
1. Penuelas O. Characteristics and Outcomes of Ventilated Patients According to Time to Liberation from Mechanical Ventilation. Am J Respir Crit Care Med 2011[Epub ahead of print]
2. MacIntyre NR. Chest 2001;120:375S–395S
3. Dellinger RP. Crit Care Med 2008;36:296-327
4. Esteban A. N Engl J Med 1995;332:345–350
5. Boles J-M. Eur Respir J 2007;29:1033–1056
6. Clinical Q&A 2011/06/27. ウィーニングプロトコール. http://www.jseptic.com/journal/clinical.html
7. http://blog.goo.ne.jp/jseptic/e/f004c5f5b91abd842e6e32daabdbcbcf


ICUにおける体重測定は意味があるのか?

2011-08-14 16:24:18 | 腎・泌尿器・電解質
普段ICUで何の気なしにやっていることで、その有効性、安全性が確認されていないものはたくさんあります。

常識だから、誰も疑問をもたないから、もう誰からも文句がつけられないから、なんとなくやっている、が、よーく考えてみると実はそのプラクティスの妥当性は確認されていない、そんな類いのものです。そのようないつの間にか常識化してしまったプラクティスの一つに「体重測定」があるのかもしれません。

たしかに患者管理上、体重は必要な情報です。しかし、毎日正確な値を知って薬剤投与量などを微調整する必要があるのでしょうか。看護師さんがきっちりインアウトを計算してくれるのに、そのうえさらに毎日体重を測定する必要があるのでしょうか。体重測定をしていないICUのスタッフは「そうだ、そうだ、必要ない」と思うかもしれませんし、体重測定を毎日行っているICUのスタッフは「えー、体重測定なしではとってもやっていけない」と思うかもしれません。

今月のJSEPTICアンケート調査は、みなさんこの体重測定をどう思っているんだろうか、どうしてるんだろうか、という単純な疑問から作成してみました。

http://www.jseptic.com/rinsho/questionnaire.html

です。医師、看護師、CE、薬剤師、理学療法士、誰でも参加可能です。よろしくお願いします。

ちなみに、とある若手先生にやっていただいたら1分10秒で終了しました。

5年間の進化

2011-08-08 15:08:14 | 腹部・栄養
Intensivist 特集「栄養」お読みになったでしょうか。

今回は筑波大学外科の寺島秀夫先生を責任編集にお迎えし、重症患者の栄養に関するご見識を、編集、執筆を通じて如何なく発揮していただき、全編を通じて“寺島イズム”を感じさせる内容になったのではないか、と思います。

思えば寺島先生に始めてお会いしたのも、私が米国での研修を終えて帰国後間もない確か2006年の、毎年夏に行われる「周術期・代謝・侵襲研究会」(大塚製薬工場主催)でした。そのときすでに今回Intensivistに披露されているのとほぼ同様なご見識、すなわち「侵襲期には内因性エネルギー供給があるので、我々がずっと信じて投与してきたエネルギー投与量では過剰になり害になる」という理論をお持ちで、私はそれに完全に魅せられました。

その一方で、「食道癌の周術期にステロイドの投与が侵襲を抑える」という自説も紹介され、私はフロアーから「臨床的に重要なアウトカムに影響を与えるデータがあるのかどうか」を皮切りに「TPNの必要性」「血糖管理」についてくどく何度も質問させていただきました。先生は不躾な私の質問に嫌な顔一つ見せずに対応してくださり、懇親会でもさらに丁寧に解説してくださいました。

その後何度か研究会などでご一緒し、非常に真摯に栄養に取り組み続けて来られた姿は畏敬の念さえ抱かせるものでした。今回のIntensivistの冒頭の「侵襲下の栄養療法は未完である」における“寺島節”は圧巻です。急性期栄養の歴史にまで触れられており、急性期に関わる者なら一度は触れるべき逸文といってもよい価値があります。よく読むと5年前からその思想が進化し、深まっていることにも気づきます。

栄養の世界全般に言えることですが、臨床家として気をつけなければならないのは、まだまだ栄養の世界は臨床的データの蓄積が足りないということです。今回のIntensivistを読めば読むほどに、ガイドラインの記載の多くがエキスパートオピニオンであることに気づきます。

寺島先生の理論も同様ではないか、と若干ニヒリスティックに眺めていたところ、奇しくも今回のIntensivistの編集作業の終了にギリギリ間に合う形でEPaNIC trial( http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1102662 )の結果が発表されました。寺島先生の理論に合致した結果、つまり、ESPENガイドライン通りに早期から十分量投与すると(内因性エネルギー供給を無視して過剰エネルギー投与になって)悪ではないか、というものでした。それに早期からフルダイエットを目指す補助的PNは「高血糖をきたすから悪」ではなく、「血糖が(厳格に)コントロールされてもやっぱり悪」ということもわかりました。

思い返せば、寺島先生に不躾な質問を浴びせた私は、当時、学会という学会、発表という発表で質問に立ち、空気の読めない“いやなやつ”でした(今もそうなのは認めます)。それから5年が経ちました。普段の職場のレクチャーなどは双方向式だし、学会ではさすがに双方向式は少ないものの質問する人が並んで列ができる、そのような環境の合理性に一度慣れてしまうと、日本の学会はとても奇異に映りました。

しかし、時は過ぎ、いくら空気の読めない私でも「日本には聞いてはいけない質問がある」ことも知り(今でも衝動を抑えられず、つい質問してしまうこともあります)、反論されること自体を好まない方がたくさんいらっしゃること、真剣に討論・議論した結果より、意思決定にはしばしばはたらく別な外力の方が大きいことも学びました。

5年経ちました。寺島先生ははどう思っていらっしゃるのでしょうか。Intensivist出版後、ご本人にうかがっていませんが、自分の主張は変わらないのに「自分の理論を世界(EPaNIC)が勝手に証明してくれた」とほくそ笑んでいるかもしれませんね。いやいや、「5年前に比べると私も進化しているからね」、とおっしゃるかもしれません。

一方の私は5年間何をしてきたのだろう、と振り返ると、あんまり何もしてない、ドタバタしてきただけなような気もします。

「スタンスを変えずに、さらに進化する」にはどうしたらよいのでしょうか。少し想像しただけでもいろいろな資質が要求されそうですね。いずれにしても真の専門家だけがこのワザを身につけていると言えそうです。

極論で語る循環器内科

2011-08-01 11:50:13 | 循環
本の紹介です。

みなさんすでにご存知の方もいらっしゃると思いますが、慶應の循環器の香坂 俊先生の編著の

極論で語る循環器内科

http://amzn.to/r3YHCs

が刊行されました。若いドクター、パラメディカル、医学生の方たちに良い内容に見えます。

「極論」とは、つまるところ記憶しやすい「臨床的格言」のことらしい。こういう「臨床的格言」は、全部が全部主として経験にもとづくclinical pearlsではないが、「短く言い切る」ことの効用は共通です。

たとえば、

極論1:脈がデタラメに打っていたら心房細動
極論2:長生きすればみんな心房細動になる
極論3:脈がバラバラ なら 症状もバラバラ
極論4:心房細動は脳を守るために治療する

経験、見識ともに備わったドクターでないと、なかなかこういうふうに「短く言い切れません」よね。

自分自身も、毎日のベッドサイド回診でできるだけ「短く言い切る」ように心がけていますが、まだまだ修行が足りません。いくら多数経験し、たとえそれが臨床的センスに裏打ちされていても、それらのみに端を発する「極論」は聞いている人たちに必ずと言ってよいほど違和感を引き起こしますし、逆に「文献的知識」のみに端を発する「極論」も聞いている人は苦しい。臨床医として毎日のように悩みながら、調べながら、いえ、悩んで調べるから、ずばっと言い切ることができるようになるのでしょうね。

見習いたいところです。