とある北米在住日本人心臓麻酔科医との会話から考えたこと。
彼の病院では、要は、心臓手術において、麻酔科の術中水分管理がとてもドライ、かつ術後ICU管理は逆に水をガンガン入れるという管理だ、と。麻酔科は、しばしば単回投与のフェニレフリン、エフェドリンなどを投与しながら、ICU到着時の見た目だけ良くするような管理でhypovolemiaでもってくる。ICU到着後、これらの薬が切れればすぐに見る見る血圧は下がるので、とりあえず大量輸液が開始される。術後はカテコラミンをできるだ避け、輸液で対処しようとするので、どうしても水浸し(2日で水分バランスが10L以上オーバーになることも)になる。
私が研修したマイアミでも、心臓外科はやっぱり術中hypoの傾向、術後水をどんどん入れてむくみ、回復が遅い(POD3でもむくみがひどい)人が多かった。クスリはなし。日本のとある病院では、術中から翌朝までヒタヒタに入れてクスリはなし。翌日(POD1)夜から積極的に引く。そのうえ、必要ないと判断すると人工呼吸、IABP、PCPS、輸液、クスリ、ドレーン、なんでもかんでも積極的に抜去するので、POD2の朝の時点で通常患者は末梢点滴のへパロックだけになっている。一方、日本のとある病院では術中hypoの傾向、術後もhypoの管理でクスリがわんさかついている。きわめて慎重な術後管理(日本の多くの心外はこんな感じ?)。
それぞれの言い分があり、好みがある。世界中の麻酔科医、心臓外科医、集中治療医が自分のやってきたやり方を信じていてそのやり方を変えようとしない。
8割の症例に対しては、「自分のやってきたやり方」で問題ないと思う。なぜなら8割の症例は患者の予備能が我々の多少のぶれ、ヘマをカバーするから(例えば、同じ患者、データを見て、あるドクターは血管内容量は適正と言い、別なある人はhypoと言い、また別なある人はもう十分過ぎるという)。なんとなくうまくいく。結果としていつまでもみんなレジデントの頃に習った管理を変えようとしない。
が、残りの2割はいつもと違った発想を持ってやれば、もう少しうまくいく困難な症例。発想の柔軟性、複数の師匠から習った、複数の施設を経験したかどうかの経験値、臨床のセンスの問題が大きい。しかし、このような困難症例でさえも、いままで自分が慣れ親しんできた同じ態度でやっても、回復が遅くなり余分にICUにいなければならないが、それでも回復することがほとんど。本当に(因果関係の明らかな)被害を被る患者はほんのわずか。
術中、術後の輸液管理に関して詳細なプロトコールを組んで臨床研究をおこなえば、死亡率の差は出せないと思いますが、ICU滞在、NIV必要度、などに差がでる研究ができるのではないか(巷にもあります。たとえばかの有名なFACCTとか N Engl J Med 2006;354:2564-75)。
研究結果が出たら臨床医は態度を変えるか。
おそらくすぐには変えられない。自分の実体験で感じられない差は、よっぽど新しもの好きでない限り、たとえ研究結果がでようと見ないようにしてしまう、難癖をつけて(死亡率に差がないだろう、とかなんとか研究を批判して)無視してしまう人間の性がある。同様な研究結果が蓄積されて10年ぐらいして世界中がそのような動きになって始めて重い腰を上げることになる。しかし、ここにきてさえ、実際にやり方を見たわけではないペーパーの上の話なので、またどうしてもズレが生じる。個人の育った背景、バイアスが入る。伝言ゲームなんです、結局(ちなみに、このズレを埋める最良の方法は、見学 [研修はもっと良い] なんですよね、いつの時代でも)。
だからさらに我々は自分のやり方を変えない。三つ子の魂百まで。
逆に言えば、レジデントの頃までに刷り込む必要がある。北米の多くの医師は、臨床のほとんどの場面で、EBMを理解し、傾倒し、マジメにapplyしているから、最終的に結論を得て目の前の患者にそれを適応しているのではなく、考えて議論する面倒な「過程」は省略して「結果」だけ知っていて適用しているだけである。やっぱり「習慣でそうやってきた」からやっているだけである。
というわけで、習慣化してしまうことが大切、というお話。つきなみだなー。
彼の病院では、要は、心臓手術において、麻酔科の術中水分管理がとてもドライ、かつ術後ICU管理は逆に水をガンガン入れるという管理だ、と。麻酔科は、しばしば単回投与のフェニレフリン、エフェドリンなどを投与しながら、ICU到着時の見た目だけ良くするような管理でhypovolemiaでもってくる。ICU到着後、これらの薬が切れればすぐに見る見る血圧は下がるので、とりあえず大量輸液が開始される。術後はカテコラミンをできるだ避け、輸液で対処しようとするので、どうしても水浸し(2日で水分バランスが10L以上オーバーになることも)になる。
私が研修したマイアミでも、心臓外科はやっぱり術中hypoの傾向、術後水をどんどん入れてむくみ、回復が遅い(POD3でもむくみがひどい)人が多かった。クスリはなし。日本のとある病院では、術中から翌朝までヒタヒタに入れてクスリはなし。翌日(POD1)夜から積極的に引く。そのうえ、必要ないと判断すると人工呼吸、IABP、PCPS、輸液、クスリ、ドレーン、なんでもかんでも積極的に抜去するので、POD2の朝の時点で通常患者は末梢点滴のへパロックだけになっている。一方、日本のとある病院では術中hypoの傾向、術後もhypoの管理でクスリがわんさかついている。きわめて慎重な術後管理(日本の多くの心外はこんな感じ?)。
それぞれの言い分があり、好みがある。世界中の麻酔科医、心臓外科医、集中治療医が自分のやってきたやり方を信じていてそのやり方を変えようとしない。
8割の症例に対しては、「自分のやってきたやり方」で問題ないと思う。なぜなら8割の症例は患者の予備能が我々の多少のぶれ、ヘマをカバーするから(例えば、同じ患者、データを見て、あるドクターは血管内容量は適正と言い、別なある人はhypoと言い、また別なある人はもう十分過ぎるという)。なんとなくうまくいく。結果としていつまでもみんなレジデントの頃に習った管理を変えようとしない。
が、残りの2割はいつもと違った発想を持ってやれば、もう少しうまくいく困難な症例。発想の柔軟性、複数の師匠から習った、複数の施設を経験したかどうかの経験値、臨床のセンスの問題が大きい。しかし、このような困難症例でさえも、いままで自分が慣れ親しんできた同じ態度でやっても、回復が遅くなり余分にICUにいなければならないが、それでも回復することがほとんど。本当に(因果関係の明らかな)被害を被る患者はほんのわずか。
術中、術後の輸液管理に関して詳細なプロトコールを組んで臨床研究をおこなえば、死亡率の差は出せないと思いますが、ICU滞在、NIV必要度、などに差がでる研究ができるのではないか(巷にもあります。たとえばかの有名なFACCTとか N Engl J Med 2006;354:2564-75)。
研究結果が出たら臨床医は態度を変えるか。
おそらくすぐには変えられない。自分の実体験で感じられない差は、よっぽど新しもの好きでない限り、たとえ研究結果がでようと見ないようにしてしまう、難癖をつけて(死亡率に差がないだろう、とかなんとか研究を批判して)無視してしまう人間の性がある。同様な研究結果が蓄積されて10年ぐらいして世界中がそのような動きになって始めて重い腰を上げることになる。しかし、ここにきてさえ、実際にやり方を見たわけではないペーパーの上の話なので、またどうしてもズレが生じる。個人の育った背景、バイアスが入る。伝言ゲームなんです、結局(ちなみに、このズレを埋める最良の方法は、見学 [研修はもっと良い] なんですよね、いつの時代でも)。
だからさらに我々は自分のやり方を変えない。三つ子の魂百まで。
逆に言えば、レジデントの頃までに刷り込む必要がある。北米の多くの医師は、臨床のほとんどの場面で、EBMを理解し、傾倒し、マジメにapplyしているから、最終的に結論を得て目の前の患者にそれを適応しているのではなく、考えて議論する面倒な「過程」は省略して「結果」だけ知っていて適用しているだけである。やっぱり「習慣でそうやってきた」からやっているだけである。
というわけで、習慣化してしまうことが大切、というお話。つきなみだなー。