Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

簡単アンケート「人工呼吸器の設定と離脱」の結果

2012-10-28 21:11:43 | 呼吸

JSEPTIC簡単アンケート「人工呼吸器の設定と離脱」の結果が出ましたので、ご興味のある方は是非ご覧下さい。

さすが、集中治療の花形、人工呼吸関連の話題は回答者が多いですね。過去の簡単アンケートの中で3番目に多い回答者数でした。この場を借りて感謝申し上げます。

http://www.jseptic.com/rinsho/questionnaire.html

http://www.jseptic.com/rinsho/pdf/questionnaire_121025.pdf

VCV vs. PCV論争がJSEPTIC-ML( http://www.jseptic.com/mailinglist/toroku.php )をにぎあわせておりますが、それ以外にもかなり興味深い結果を見ることができます。またフリーコメントもたくさんいただきました。こちらも興味深いものばかりです(注1)。

まず、ご自分がやりたいプラクティスと施設で行われているプラクティスが、結構違いそうだということに気づきます。これは、予想どおりの結果と言え、呼吸管理も主科が行っていることが多いことを反映するのか、回答者のうち看護師と臨床工学技士が合計で40%を占める(宣伝、回答いただいた方、ありがとうございました。アンケートいかがでしたか?)ことを反映するのか、このように自分と施設のプラクティスを分けて回答いただくように設定したことがバイアスになったのか、この結果からは不明ですが、少し面白いのでサブグループ解析してみたいと思います(解析協力者募集中)。

件のVCV vs. PCV論争について少し言及します。もちろん結論は「どちらでもよい」ですが、肺に問題のない人にここまでPCVが使用されていることに、びっくりしました。

確かに以下に述べるように、自分でもPCVを用いる場面は多いです。1) 圧が制御できるという利点はもちろん、2) フローが呼吸器と患者のインターアクションで決まるので、吸気の特に始まりの自由度が大きくフロー不同調が少ないという利点は大きいと考えています。さらに3) 吸気時間を長めに設定すれば、与える容量が同じVCに比べて肺胞リクルートが進み平均気道内圧が上がって酸素化が良くなりやすい、という利点もあります。

実際に、マスクを使ってグラフィックを見ながらVCとPCの体験をしてみると、特にこの2)のVCによるフロー不同調、PCって意外にラクということが理解できると思います。

ただし、PCの欠点によって足元を救われる場面があります。圧を設定する場合には量をモニター、量を設定する場合には圧をモニターすることは基本中の基本で、PCV時は特に分時換気量に注意を払います。個人的に、レジデントやナースに分時換気量を見ろ、見ろと教えるのは、リアルタイムのPaCO2のモ二ター、呼吸性アシドーシスのモニターとして、分時換気量の他に変わる良いものがないからです(ICUでは、ETCO2でPaCO2を予測しようとしてもしばしば騙されるコトが多い(注2))。

とくに、重篤な低酸素血症や、ショックを合併し大量のカテコラミンが必要、代謝性アシドーシスを合併している、腎傷害があって腎性の代償が効きにくい場合など、クリティカルな患者さんでは、分時換気量に対するこれ以上ない注意が必要と思います。このような患者は、PCVでは、たとえ分時換気量アラームをうまくこまめに設定したとしても換気量の急激な低下に対する対応が一歩遅れる経験が多い。痰が気管チューブ内に上がってきて急激に換気量が下がる場合もあるでしょう。もちろんアラームは正しく設定されていたとしても、看護師、医師も他の重症患者がいる場合には、対応がどうしても一歩遅れる。それに、鳴るべき時に鳴って、鳴って欲しくない時に鳴らないように、アラームをうまくこまめに設定するのは意外に難しい。そのような時に換気量を保証してくれる従量式換気の安心さは捨て難いものがあります。

さらにいえば、個人的には、このような場合には肺保護よりも分時換気量を維持することを主目的において、高いプラトー圧を仕方なく許容することもあります。実際に米国で研修中に、重症のARDSの患者で夜の当直フェローであった私が、pH 7.1から良くて7.2、PaCO2 70mmHg、混合性アシドーシスを気にしてA/C(VC)で設定し、プラトー圧 40cmH2Oを許容していたのを、朝回診に回ってきたアテンディングがプラトー圧 30cmH2Oにしないと、と言ってA/C(PC)にして少しずつプラトー圧を下げていこうとして、1時間後にアシドーシスの悪化で心停止に至った亡くなった経験など、恐い思いは少なからずしてきました。

もちろん、この患者さんは、もともと状態が極めて重篤であって、呼吸器の設定変更云々で患者さんの運命は変わらない、不可逆的といっても良い状態で、日単位の運命が時間単位に変わったと冷めた見方もできるでしょう。ただ、家族のココロの準備ができていない、家族の到着を待ちたい、などの場面も多いですし、少なくとも強調してし過ぎることはないPCVの注意点でしょう。

 

以下、私の個人的プラクティスを中心に感想を。

質問2、3。肺に問題のない患者に対する初期人工呼吸モード:

自発呼吸が十分でないときはA/C(PRVC)に、自発呼吸が十分ならPSV、またはPSVも必要なければCPAP5cmH2O(+PS 5cmH2O)にすることが多いと思います。ちなみに、PRVCは、PCとVCの良いとこどりをした圧も容量も設定できる自動制御調節換気モード。

 

質問4、5。 ARDS 患者に対する初期人工呼吸モード:

A/C(PC)にすることが多いでしょうか。コンプライアンス、PaO2、血行動態などから複合的にPC圧、PEEP、FiO2を決めてます。最初は一回換気量を8cc/kg程度を目標に、その後にPEEPを十分に高く、プラトー圧をできれば30cmH2O以下に、pHをみながら、一回換気量6cc/kgを目指して行く。PCの吸気時間は、フローがゼロになる点を基準として、患者−呼吸器同調(特にサイクル不同調)、血行動態、PaO2、auto-PEEP、分時換気量などを見ながら決めていきます。換気回数は患者の自発吸気が30回以上あることが多いので、それを活かし、それをA/Cでフルサポートする。

しかし前述のように、分時換気量に細心の注意を払った方がよい場合には、A/C(VC)でフロー波形を漸減波に設定するかA/C(PRVC)にし、多少高いプラトー圧を許容します。アラーム設定にも注意します。

 

質問 6、7。ARDSが改善しつつあるがSBTにはまだ早そうな患者の呼吸器管理:

この問題は、その他の回答が多い(7~10%)。これは、設問にFiO2に関する事項をいれなかったことが一つの原因だと思います。もうしわけございませんでした。シナリオに「FiO2を先に下げるとして」などのただし書きをつけるべきでした。ちなみに私もFiO2をまず下げると思います。

では、次にどうするか。迷うところです。問題は2つ。コンプラインスも改善していませんし、PEEPも高くPC圧も高いので、 1) もう少しPCVのままいくかPSVにするか、2) PC圧(PS圧)から下げるかPEEPから下げるか、でしょうか。

ちなみに個人的には可能ならばPSVにすることが多く、下げるのはPS圧から下げることが多いです。自発を活かして患者に横隔膜を少しでも使ってもらいたく(注3)、肺内水分量が減るまではPEEPを維持して再度の肺胞虚脱を防ぎたいからです。

 

質問 8、9。人工呼吸離脱をどのように行うか:

このシナリオからすると、個人的にはCPAP5cmH2O(+PS 5cmH2O)でSBTを行うタイミングです。しかし、状況によってはさらにわざわざTピースまで行って痰の量が増えないか、敢えて負荷を与えて患者さんが耐えれるか、確認してから抜管する場合もあります。

 

質問10~13。カフリークテスト、浮腫予防の目的のステロイド:

これらの検査、処置を知っているか否か、行うか否か、この症例を対象とするか否かで回答が別れるので、回答から何かを考察することは難しいですが、これらの処置に対する認知度は「それなり」にあることが確認できたと思います。

 

以上、個人的プラクティスを中心にアンケートに対する感想を述べましたが、呼吸器離脱の方法として「SIMVの回数を下げていくのは離脱プロセスを遅くするので用いるべきではなく、条件を満たせば毎日自発呼吸トライアルを行って離脱の可能性をチェックすべき」以外は、何ひとつとして「絶対コレ」というものがありませんので、私のプラクティスは単なる個人的プラクティスに過ぎないことをご理解いただきたいと思います。

それに、患者の顔、首、胸、横隔膜、お腹を見て、触り、バイタルサイン、SpO2、呼吸器の観察値、グラフィック、血ガスデータなどを参考に、ベッドサイドでいろいろなトライアル設定を行って、最善な設定にすることが多く、その際には最初から「この設定しかない」「テキストブック的にはこう」と決めつけないようにして、「結果的にその設定になった」「今は◯◯を優先するからXXを我慢しよう」という場面も少なくありません。

従圧式全盛のようですが、COPDなどの閉塞性肺疾患患者の初期には個人的にVCVを多用しますが、これも結果的にその設定が最も合う、理にかなっている、からそうなった場合が多いです。

キマリがないから「◯◯流」が生まれやすいのですが、他の人の「XX流」を知ることは悪いことではなく、さらにそれをしばらく(30例くらい)試してみて評価すると「臨床家としての引き出しが増えて」患者さんの役に立つ場面がありますので、お若いかたは是非広いココロでたくさん試していただきたいと思います(注4)。

 

注1:個人的に大変嬉しかったのは「今までにない面白いアンケートでした」というコメントで、人はこういうちょっとした一言に乗せられて気分が明るくなり、1年間(!?)頑張ったりする単純な存在であることを再認識しました。といってもアンケートの責任者は私の同僚の先生ですので、ときどきこういう嬉しいコメントをいただけると、私の同僚の先生ももっともっと面白いアンケートを作って下さると思います。お願いします。

注2:野本 功一他. ETCO2不要説:ETCO2モニターはICUに標準装備すべきか? Intensivist 2011 第2号 特集 モニター

注3:人工呼吸誘発性横隔膜機能不全(ventilator-induced diaphragmatic dysfuction: VIDD)については、Intensivist 2012 第4号 特集 呼吸器離脱(10月31日発行)で複数の執筆者に言及していただきました。

注4:http://blog.goo.ne.jp/jseptic/e/d9d92b2b0490f4fb6e5fa25f3c29b28f #mce_temp_url#

 


12月15日JSEPTICセミナー呼吸器離脱 申込開始しました

2012-10-24 02:49:30 | 呼吸

第16回JSEPTICセミナーの参加募集を開催しました。

テーマ:呼吸器離脱

開催日:2012年12月15日(土)13:00~18:10

会 場:世田谷ビジネススクエアヒルズ-5階

〒158-0097 東京都世田谷区用賀4-10-2

東急田園都市線「用賀」駅徒歩2分

参加希望の方はすぐに申込手続きを!

http://www.jseptic.com/index_in.php

ついでに。

遠方の方、お時間の取れない方、前回・前々回のセミナーをもう一度見たいという方はお得なJSEPTIC Clubに是非どうぞ。

http://jsepticseminar.kenkyuukai.jp/about/

 

以下内容です。

13:05 ~ 13:55

グラフィックから見る呼吸器離脱と新しいモードの徹底理解 

木下 亮雄(東京ベイ・浦安市川医療センター) 

 

13:55 ~ 14:50

経皮的気管切開のすべて

武居 哲洋(横浜市立みなと赤十字病院 救命救急センター) 

 

14:50 ~ 15:00

JSEPTIC CTG 委員会報告

 

15:10 ~ 16:00

長期人工呼吸病院の現状と今後

岡村 篤(医療法人平成会病院) 

 

16:00 ~ 16:50

呼吸仕事と呼吸筋疲労

竹内 宗之(大阪府立母子保健総合医療センター) 

 

17:10 ~ 18:00

Problem-based learning discussion 形式で人工呼吸器離脱を学ぶ

讃井 將満

 

18:00 ~ 18:20

The 質問タイム “ 人工呼吸器離脱のことに何でもお答えします ”

木下 亮雄、武居 哲洋、岡村 篤、竹内 宗之、讃井 將満

 


簡単アンケート第20弾:人工呼吸の設定と離脱

2012-10-16 11:16:55 | 呼吸

記念すべき簡単アンケート第20弾、絶賛開催中です。

対象:人工呼吸に携わる医師・看護師・臨床工学技士(最近全く呼吸器を触ったことがない、という方も昔のご経験で構いません。是非どうぞ)。

http://www.surveymonkey.com/s/75MYNGY

締め切りは10月20日です。

お気軽にご参加ください。

以下、アンケート前文:

 皆さん大好きな人工呼吸の、主として設定に関するアンケートです。

 よく考えると「自分ならこうするのになあ」と思いながら、現在の施設では別な方法で人工呼吸管理されていることが多かったり、看護師・臨床工学技士や一部の医師の方の中には、「自分で呼吸器設定しないから施設でどうやっているかなら答えられるけど」という方もいらっしゃるかもしれません。

そこで、お答えいただく際に、

•何の制約もなくご自分で自由に設定できるものと仮定してお答えいただくもの

•現在のご施設でどんな日常のプラクティスを行っているかをお答えいただくもの

を区別してお答えいただくようにしました。

ご自分のお考えや、ご施設のプラクティスに最も近いものを選んで下さい。

よろしくお願いします。


国際学会の楽しみ方

2012-10-15 15:25:56 | その他

米国麻酔科学会のためワシントンD.C.に滞在中です。

いくつかこぼれ話をしたいと思いますが、まず.....

とある米国留学中の先生と久々に再会して、最初の話題が、「先生のブログ楽しみにしているんです。もっと更新してくださいよ」でした。見てくれている人の直接の声をうかがえるのはとても嬉しいですが、なかなか難しい課題でもあります。「善処します」風な曖昧な答えでお茶を濁しました(で、さっそく更新)。心の中では「現代的な、ブログ的な短い文章、不得意なんだよねー。どうしても説教的な長いものになっちゃって。意外に大変だし」とつぶやきながら.....

 

さて、本題の学会の感想。

インターネットで世界中が同時に同じ領域の論文情報を得られる時代にあって、国際学会の利用価値もだんだん変わりつつあることを実感します(ということは以前にも述べたような気がしますが.....)。つまりは、新しい情報を求めに来ても、「おお、すげー」と感動することが少なくなったのではないかと.....

教育的なレクチャーを聴いても、自分の専門領域である集中治療に関しては、普段日本で回診、勉強会、JSEPTIC-CTGセミナーIntensivistの編集会議で考えて、勉強して、ディスカッションしていることは全く劣ってないという印象を持ちます。というか、むしろ聴衆の1人として「それは言い過ぎじゃない(自分の個人的なプラクティスを前面に出し過ぎでしょう)」とか、「それはもう古い話でしょう」とか、思うこともしばしばあります(注1)。

もちろん、そう思えるのはある程度最先端の専門的知識をフォローしてはじめてなせることなので、人によっては「知らなかった知識が満載だ、おもしろい」と思うかもしれません。実際に、自分でも、興味があるがご無沙汰しているようなこと、例えば経カテーテル大動脈弁留置術transcatheter aortic-valve implantation (TAVI)の周術期に関わる知識のレヴューをしてくれたワークショップは、知識が一気にわかってとてもよかったです。

一歩下がって冷静に考えると、「ああ、学会って騙し、騙される場所なんだな」ということに気づきます。その最たる場が企業がスポンサーのランチョンセミナーでしょうね。EBMならぬLBM(Luncheon Seminar Based Medicine)と言われる所以です(注2)。

 

個人的に面白かったのはポスター会場でのラウンド。

全部で6~20題ぐらいの同系統の話題(たとえば集中治療システム)を集めて、司会進行(モデレーター)のもとに、一演題数分のプレゼンをしてその後に発表者および関連者10~20人くらいでディスカッションというやつです。要は、同じ穴のムジナなので、そのスジに詳しい輩が集っていて、鋭い指摘、批判をお互いに繰り広げ、「イヤーごもっともです」と口で答えながら、心の中では「わかっちゃいるけど、それはできない事情があったのよ」と愚痴ったり、「おお、鋭い!」(英語では回答に少し窮するような鋭い質問に対し、しばしば"good question"と言いますね)と答えながら、心の中では「いやいや参りました。気づきませんでした。ありがとうございます」と思うことも多いのですね。さらにこういうポスターディスカッションで、次の研究ネタのヒントを貰えることもしばしば。

今回参加したラウンドは、モデレーターの準備、運営が非常に優れており、ディスカッションの内容、指摘は、(残念ながら?)普段日本でやっていることよりも一段上で、非常に得した気分になりました。

以前は、ポスターには、こういうみんなでディスカッションするラウンドが付属しておらず、ポスター貼って終わり、とする学会が多かったのですが、そうすると、学会に出席する主目的が、観光、買い物になったりする。もちろん経済貢献は学会の重要な一側面です。

また、発表は発表で一つとしてカウントされますから、非医療者が聞けば「◯◯先生は国際学会の発表の経験も深く.....」は、英語でプレゼンできて、ディスカッションもできて凄いなあ、というイメージを持ってしまいがちですが、ポスター貼り逃げの経験がたくさんあるだけだったりして、ということも起こるわけです(なんかつい最近騙された某新聞社を思い起こしますが.....)。

ちなみに、最近はもうこの手の「貼り逃げゴメン」は少なくなり、若い日本の先生がたも一生懸命練習して素晴らしいプレゼンをしています。英語が苦手な方でも想定内の質問であればなんとか通じるお答えができる。

想定していない質問になんとか答えられるレベルとなると次のステップ。ただし、同じ穴のムジナなので、多少の間違いは全くOK。専門用語の羅列で、指摘し、指摘され、通じます。とりあえずしゃべる、これが重要です。

そのスジの専門家としてスムーズに意見の交換をできるか否か、となるとさらに次のステップ。

アドリブの話題を振られたときに、無理なくスーッと聞いてもらえる程度に流暢に話せ、聴衆を納得させるか否か、となるとさらに次のステップ。

どのレベルの英語会話力を求めるかによってハードルはどんどん上がっていき、終わりはありません。ちなみに日本に居ながらでも、動機づけと継続で、練習できないわけじゃありません。簡単でないのは確かですが。

 

注1 米国の集中治療は呼吸器内科医主導であり、麻酔科系の集中治療医は少数派であり、最先端で米国のこの業界を動かしている麻酔科医は非常に少ないという背景があるのかもしれません(余談ですが、日本の麻酔科業界もこのトレンドを確実に追っかけていると肌で感じます)。今回のモデレーターも「米国では、麻酔科系の集中治療医の活躍が、カナダ、欧州、豪州に比べると劣っている」とポロッと言っていました。

注2 ちなみにLBAなんてコトバありません。Googleで一件も引っかかんないし。私(の周囲の方?)の造語だと思いますが、局地的に、そう思っている方、すでにお使いの方はいらっしゃるでしょう。もちろん米国でもプレゼン前の利益相反の開示は行いますが、米国では額がデカイだけに、もちろん開示は必要ですけど、開示すりゃ−いいってもんでないんじゃない、単なる免罪符になっていませんか、という正直な感想も持ちます。その一方で、一流医学雑誌に載るような質の高い多施設介入研究は、今時、企業の資金援助がないものの方が少ない。我々はこの呪縛から逃れられない。以前にも増して我々の個人的なモラルが問われている側面でもあります。

 


経験の重さ

2012-10-02 00:31:51 | その他

若い人と一緒に麻酔科専門医試験の口頭試問シミュレーションを行ってきました、という話は前回しました。

昨日はとうとうその筆記試験の日でした。

一緒に頑張ってきた先生の一人は、今朝会ったときに「全然自信がない」と暗い顔をしていました。試験が終わった瞬間に「できなかった」と思う試験ほど結果が良いという経験則(自分だけ?)があります。大丈夫です。

口頭や実技は引き続き今週末です。是非全員そろって祝杯を上げたいものです。

 

口頭試問シミュレーションの間に、またまた気づいたことがあります。経験の重さ、です。


自分で経験していない分野はやはり苦手意識が消えない

実際に見たことがある、やったことがあるのは、大きなアドバンテージです。どんなに紙やコンピューター画面上で学んでも、経験には勝てない。それに、なぜかわかりませんが体験は人間の記憶に残りやすい。

はじめての1人当直で、以前経験した症例が来たら、まずはその経験をなぞった診療を行うと思います。口頭試問でも、自分の経験した症例に照らして考えることができれば自信を持って答えられます。多くの人の思考回路は、何か判断が必要な状況で、まず経験の引き出しに答えを探ることから始まるのではないでしょうか。どんなに紙の上で知っていても経験していないと自分自身の気持ち、発言がグラグラしてしまう(ちなみに、海外の臨床研修の第一の利点が、この経験値を日本にいるより遥かに効率よく上げることができることです)。

 

経験のある人の意見はいつどんなときでも尊重される

経験が重視されるのは個人内ばかりではなく、個人間でも成り立ちます。実際に見たことがある人の意見は尊重されますし、経験も多いほど良い、と考えてよいのでしょう。上記のように経験していない人には負い目がありますので、経験のある人の発言に対して最初から戦いを放棄してしまう場面も少なくありません。

その道一筋の方の発言の重み、みなさんも感じるはずです。

 

経験は若いうちの方がやりやすい(のは否定できない)

有名なことわざを出すまでもなく、大昔から“若いうちに経験することの重要性”が強調されてきました。上記のように、経験によって個人内で自信が形成され、対人関係でも有用である。だから、苦労は買ってでもしろ、それも若いうちに、というわけです。

また、普通は年を取るに連れて新しいことへの挑戦が億劫になります。人間は、どんな大きさのものであれ成功体験が好きな動物で、その結果、その成功体験を真似して、ルーチーンが形作られる。すると“いつもと同じ”心地よさに感覚が麻痺してきますので、よほどの大きな壁にぶち当たって困らない限り、そのルーチーンを止めようとしない。

ちなみに、年取ると新しいことができない、というのは年寄りの単なる言い訳じゃないか、と思ってきました。成功を捨て去れ、と叫ぶユニクロの柳井さんのように(in 「一勝九敗」 柳井正)、いつまでもそう思い続けたいと思います。

 

経験の弊害

しかし、経験には大きな弊害もあります。自分の経験に対する解釈、一般化の過程にはどうしてもバイアスが入りますし、経験の数は所詮大したことはないからです。自分の経験を語る場合には、一般化できるか、他の病院ではどうなのか、他の国ではどうなのか、という比較基準を意識することが必要です。数万の患者さんの善意のもとに作れた臨床研究データを見て、自分のたった数~数百例の成功を捨て去る勇気、達観が求められる場面も少なくありません。

人に経験を語られる場合にも、自分の国、自分の病院、自分の患者に適応できるか考えながら聞く必要があるでしょう。たった一例の経験を、あたかも数千例の経験を語るがごとくに語る語り手もいます。でも通常の嗅覚を持っていれば、バイアスに満ちた独善的な語り口は結構簡単に見破りやすいものですが。

 

教育における経験の役割

若いうちに積極的に経験を積んで欲しいと思います。もちろんさきほど述べたように、年寄りにもその教えが当てはまりますが、ひとつだけ言い訳をさせてもらうと、年を取るに連れて興味の対象がシフトするので、若い頃に重要だったことをあんまり重要と思わなくなる。端的に言えば“飽き”ですが、これは避けられないのではないかと思います。

だから、若いうちにそのとき重要と思われる経験をたくさん経験して、年取った時に今度は、若い人に自分の拙い経験を開陳してそれを役立ててもらう、というサイクルがいいのかもしれません。若い人は、年寄りの取り繕いを嘲笑うかのごとくに見透かしているので、飽くまでさりげなく、です。

自分のもとに集ってくれた人には、まずは経験をたくさん積んでいただき、世界中どこに出しても恥ずかしくない、腕も立つ、口も立つ人になってくれたら、と願いますし、そういう環境を作らないといけません。