Dr. 讃井の集中治療のススメ

集中治療+αの話題をつれづれに

外科ICU(SICU)とは何か

2011-07-24 17:34:17 | 集中治療

外科ICU(Surgica ICU: SICU)とは何か。この問題に正面から答えるのは難しい。

ICUだから重症患者がいる場所でしょ、と同意を求められると、答えに窮することになる。たしかに、ICUのイメージは、意識がない(または鎮静されている)、挿管されている、人工呼吸器がついている、各種の回しものが回っている患者が多い、モニターがうるさい、看護師さんが仕事がよくできる(人が多い、ぐらいにしておきますか)、などであろう。しかし、すべてのSICU患者にこのイメージが当てはまるかというと、そうでもない。中には普通に日常会話が可能な患者さんもいたりする。これは、自分の経験を振り返っても米国でも日本でも当てはまる。

では、SICUとは、SICU患者とは、どう定義すればよいか。以下、答えの一型。SICUとは、1) 重症度スコアをつければきっと高い値をたたき出す重症患者、すなわち何らかの重要臓器の機能不全を持った患者、および、2) その予備軍が入室する場所である。この予備軍とは、現在の重症度は高くないものの術前リスク(たとえば患者が重度の心疾患を持っている)や手術リスク(たとえば術後出血や虚血の可能性が相対的に高い)により重要臓器の機能不全に陥る可能性が相対的に高い患者で、フルモニタリングによる早期発見、早期介入によってそのような重要臓器不全を未然に防ぐまたは重症化を軽減できる可能性が高くなる患者、ということができるだろう。

もう一つ忘れてならないのは、ICUにおける看護のマンパワーが充実していることを利用して、安定はしているが処置が多くて病棟では管理できない患者も入室することがあることである。浸出の多い大きな創の患者、洗浄などの処置が頻回の患者、などであろうか。このパターンの変形として、「ドレーンが入っている患者は内科系、循環器系ICUでは見れません」としばしば言われる(ドレーンが入っていた方がかえって安全な場合が多いはずであるが、管理の仕方を教わっていないとか、“事故抜去恐怖症”、などいろいろ理由はあるのですね)。

とすると、SICU患者は、外科系患者で、臓器不全があるまたはその予備軍、または高度の看護を必要とする患者と言うことができる。少しだけすっきりしたが、もやもやが残るのが、この“予備軍”や“高度な看護を要する患者”とは一体誰なのか、という点である。

“予備軍”や“高度な看護を要する患者”の、世界共通の確固たる定義はあるのだろうか。もちろんない。したがって、基準の設け方、解釈の仕方によってによっては、外科術後患者であれば、臓器不全を発症する確率が相対的に低い患者にも入室するチャンスができる。およそすべての手術に術後出血のリスクがあり、すべての全身麻酔後患者に何らかの呼吸障害の可能性があるからである。術後ドレーンが入っている患者も多い。とあるSICUでは、手術当日夕食から食事を開始できるほど元気なASAリスク1~2の患者(米国麻酔科学会の術前全身状態リスク分類で軽症の類い)が、動脈ラインが入っているから、ドレーンが入っているからという理由で入室する。入室基準やその解釈が大きなウェイトを占める。施設間、地域間、国間でも違ってくる。外科医の心配度によっても違ってくる。もちろん、経済的な動機もはたらくであろう。大多数が妥当と思う入室基準作りは難しいのであろうか。

しかし、実は妥当な基準作りはそう難しくはない。その基準が明記された文章さえ必要ないかもしれない。唯一必要なのは良識のあるSICU管理者である。紙は発言し判断し同意し反論しないが、人はする。理想的には、そのような管理者は、専門トレーニングを受け、プロ意識を持ち、良識、経験もある集中治療専門医が兼ねるべきと思う。判断の材料をたくさんもっているからである。といってもそんな厳密に考える必要もなくて、外科系に数年関わった経験があり、自分自身の経験、良識にもとづきつつ、上記のSICUの定義を当てはめて「SICUの適応」を考えれば、実は管理者としてSICU入室の適応を決める行為は、それほど難しいものではない。現実に「この患者さんICUテキオーないよねー」なんて声高に話すナースの判断は結構正しい。

しかし、現実の基準作成やその解釈に、そのようなプロや現場の感覚はあんまり反映されていないのかもしれない。すくなくとも「とあるSICU」では反映されていなさそうだ。

その背景に、集中治療のプロが少ないこと、集中治療のプロになっても浮かばれないこと(今まではね.....)、集中治療のプロを雇っても病院として得な感じがしなかったこと、1人の患者は1人の医師が担当して何から何まで責任をもとうとする“主治医文化”、などが背景にあるだろう。集中治療のプロを増やし、そのプロが浮かばれる医療界を作ることは、我々が果たすべき大きな仕事の一つである。

もう一つの背景は、医療界、ひいては社会全体に「手術=聖域」のイメージが遍在しているのではないか、という危惧である。多くの医師は専門領域以外のことを全く知らないし、知ろうともしない。専門医の専門性が高まるほど患者が恩恵を被る部分も大きいので、筆者はそれで良い、むしろ良いと思っているが、副作用として、専門医の言うことを素人なみに“鵜呑み”にする、または疑問に思うけど突っ込まない傾向が生じる。その他の科の先生にとって本能的に手術に関連する事柄は不可侵領域なのである(いわんや患者さんをや。「神の手」をもてはやすマスコミにつける薬もない)。つまりは、手術と記された印籠を見せるだけで、多くの人は思考停止してしまうのではないか、という危惧である。

実は予備軍は予備軍であり、予備軍のままであれば重症度スコアは高くない。コツさえつかめばドレーンの管理もたやすい。その証拠にSICUの最大の顧客である心臓血管外科患者(注1)でさえ、実は重症度は高くない。その証拠に、蘇生輸液としてのアルブミンが意味がないことを証明したSAFE研究(http://bit.ly/rqrzfV)というランドマーク研究で心臓外科患者が研究対象から除外されたのは、心外は特殊だから、輸液管理が難しいから、などではなく、本当の理由は重症度(APACHE II)が低かったからであることを、豪州でICUフェローだったある事情通から聞いた。

心外の重症度は高くないという事実は、いままで多くの心臓血管外科患者を診てきた自分の感覚にも合致している。手術がうまくいけばメジャーな術後トラブルは発生しないので、こっちの多少のヘマも吸収してくれる。生命を危機に陥れる原疾患が治ってからICUにやってくるので、比較的(心機能の悪い冠動脈疾患の非心臓手術に比べれば)気楽に管理できる(注2)。

私は、“予備軍”や“高度な看護を要する患者”にSICUが必要ないと言っているのではない。SICUは重症度が低いから集中治療専門医として勉強することはないと言っているのでもない(注3)。外科医に喧嘩を売っているわけでもない(売っているように見えるかもしれないが.... むしろ外科周術期チームの1人のメンバーとして、そんなにいがみ合わずに得意な分野を尊重すればよい、と思っている)。SICUの妥当な利用のためには、集中治療のプロの目を使うのがとりあえず簡単、確実ではないか、と思っているだけである。

今まであんまり意識しなかった(=強調してこなかった)が、病院に集中治療医がいることのポテンシャルベネフィットはココにもあった。なんだかかなり強引な展開、結びになった、と書いた本人が思っているので、読む人はもっと思うに違いない。


注1:米国では病院によってCSICUとかCTICUなどと別にハコを作っているところもあるし、日本ではCCUに心外術後患者が入室することも多いと聞くが、ICU患者全体に占める心臓外科患者の割合は高そうだ。いま話題になっている経静脈栄養を早くから使うのは良くないことを示したEPaNIC trial( http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1102662 )を見てもベルギーは混合ICUがメインなのか、それとも参加した施設の多くがバイアスされたいたのか、心臓外科患者が6割以上を占める事実は注目すべきである。

注2:むしろ心臓外科患者は、すべてのICU患者に共通するルーチーンを修得するには最も効率のよい教材である、と感じている。なぜなら気道管理、呼吸管理の基本が勉強でき、原疾患が治っているので循環管理の「実験」を行いやすい、AKIもある程度リスクがあり予防、治療の勉強ができる、腸も使いやすい、電解質管理、血糖管理、抗凝固療法、抗血小板療法、輸血なども勉強できる。もちろん各種の予防策(DVT、消化管出血、感染)も行わなくてはならない。

注3:世の中には、集中治療研修というと、上述のような各種の管、デバイス,モニター、回しものを駆使できるようになる、管理に長けるようになることだ、それがすべてだ、という誤解があるようだ。