第4 司法審査の在り方
1 現行法下の学説―プロセス審査説
「相当の利益」についての司法審査の在り方を検討する前提として、現行法下の「相当の対価」についての司法審査の在り方についての学説[1]を参照しよう。
現行法下においては、いわゆるプロセス審査説が有力に主張されている。すなわち、土田教授は、「職務発明に関して、当事者が実質的交渉を十分に行い、対価決定のプロセスに問題がなければ、原則として対価を相当と解すべきである」と述べつつも、他方、「実質的交渉が尽くされたとしても、対価の決定基準が著しく不合理であったり、算定された対価が発明の価値に比してあまりにも過小であれば、35条の趣旨に鑑み、対価の相当性を否定すべきである」として、実質的交渉が尽くされた場合であっても、裁判所による例外的内容審査があることを肯定している[2]。
同様の見解を示したと思われるものとして、近時、神谷判事により発表された論文がある[3]。同論文は、手続重視の解釈論を展開しつつ、実体的側面(基準の内容、対価の額)の考慮について、「手続が適正に履践されているのであれば、通常は、策定された対価算定規程の内容は妥当なものとなっているはずであるし、また、そのように認定されるべき」であり、「そのような対価算定規程に的確に基づいて算定された額も、合理的なものと認定されるべき」と述べた上で、「手続が適正に履践されていると評価できるのであれば、基準に基づいて算定された対価の額については、原則として、そのまま是認されるべき」と結論付けつつも、他方、手続が適正に行われている場合であっても、「一見して不合理といえるような規程に基づく算定を否定するとか、発明の価値に比して極めて低額な対価の支払いを否定するというような限られた場面」においては、「実体的要素が不合理性を肯定する事情として有効に働く」とも述べており[4]、手続が適正であっても例外的に内容審査を行う場面があることを肯定している。
2 検討―手続審査限定説(自主性尊重説)
プロセス審査説の手続重視の思想は基本的に賛同できるものであり、これは改正特許法においても妥当するものである。
他方、プロセス審査説が、「実質的交渉が尽くされた」場合や「手続が適正に行われている」場面において、例外的ではあるにせよ、裁判所の内容審査を肯定することは、手続重視の思想を貫徹していないという点において疑問があると言わざるを得ない。
現行法はもとより、その手続重視の思想を継承した改正特許法においては、「相当の利益」に対する裁判所の司法審査は、手続審査に限定されるべきであり、裁判所は、健全な労使環境の下で自主的に決定された労使協定・就業規則等に基づく適正な手続にて導出された「利益」を尊重し、これを以て、改正特許法に定める「相当の利益」と認めるべきであって、例外を設ける必要はないし、適切でもない(以下「手続審査限定説」又は「自主性尊重説」)[5]。
このように、手続審査限定説がプロセス審査説と異なり例外的な内容審査を否定する理由は以下のとおりである。
第1に、プロセス審査説が例外的に内容審査を肯定する場面は、そもそも適正な手続が履践されていないか[6]、あるいは、第三者からは一見不合理に見えても、当該会社の実情や発明が事業化に至る過程を精査すれば不合理ではないといえる場面であると解される。すなわち、例えば、曖昧で恣意的な導出を許容する内容の基準に従って相当の利益を導出しても、それは適正な手続に基づいた相当の利益の導出とはいえないし、そもそも、そのような基準は、弁護士等の適切な専門家のアドバイスを受けて作成されたものではないことから、基準策定に関する手続の適正さを欠いているともいえる。また、業績の浮き沈みが激しく、かつ、発明から事業化への距離が遠い(あるいは確率が極めて低い)事業形態の会社であれば、発明に対する報奨金が一律低額であったとしても必ずしも不合理とはいえない[7]。
第2に、「相当の利益」の例としてガイドライン案にも明示されている「留学の機会の付与」や「金銭的処遇の向上を伴う昇進又は昇格」の価値と発明の価値との大小比較は裁判所の能力を遙かに超えるものである。また、仮に、「相当の利益」と「発明の価値」の大小比較が裁判所により可能としても、その価値の不均衡が発明に対するインセンティブを不当に阻害するものであるか否かの判断は、会社全体のインセンティブ施策並びにイノベーション促進のための方策及び体制等も踏まえてなすべきものであるところ、そのような判断は、証拠に基づき事実を認定し、要件事実の該当性を判断することを基本とする司法判断には適合せず、それを裁判所に求めることは法的安定性を害するというべきである。
以上のとおりであるから、「相当の利益」に関する裁判所の司法審査は手続審査に限定されるべきである。すなわち、裁判所は、「相当の利益」の内容が、健全な労使環境の下で決定された労使協定・就業規則等に基づく適正な手続により導出されている限りにおいて、「相当の利益」を与えることの合理性を肯定するべきであって、手続の適正さが認定できない場合には、「相当の利益」を与えることの合理性を否定し、改正特許法35条7項に従い、「相当の利益」の内容[8]を決定すべきものである[9]。
[1] この点に関する現行法下の裁判例としては、野村證券高頻度取引知財高裁判決(平成27年7月30日判決(知財高裁平成26年(ネ)第10126号)がある。同判決は、現行法の趣旨について、「平成16年法律第79号による特許法35条の改正の趣旨は,同改正前の旧35条4項に基づく相当対価の算定が,個別の使用者等と従業者等間の事情が反映されにくい,相当対価の額の予測可能性が低い,従業者等が職務発明規程の策定や相当対価の算定に関与できていないとの問題があるという認識を前提に,相当対価の算定に当たっては,支払に至る手続面を重視し,そこに問題がない限りは,使用者等と従業者等であらかじめ定めた自主的な取決めを尊重すべきであるというところにある」と述べている。
[2] 土田道夫「労働契約法」627ページ、同「職務発明とプロセス審査」田村=山本「職務発明」176頁以下
[3] 神谷厚毅「平成16年法律第79号による改正後の特許法34条4項の解釈適用」L&T67号34頁
[4] 前掲神谷35頁
[5] このように解する場合、改正特許法35条5項に規定される「等」には、共同発明者の貢献度認定手続などの手続的要素のみが含まれることになる。なお、拙著「職務発明規程変更及び対価算定の法律実務」17頁以下も参照。
[6] なお、「相当の利益」が金銭の場合であって、その絶対額が小さいと思われる場合には、手続の適正さをヨリ慎重に吟味することにより発明へのインセンティブを確保することができることにも留意すべきである。
[7] 松居弁理士は、「発明をした社員の保証された雇用関係と給与を考慮すれば、対価の額の算定に際して、米国の1$を対価とする考え方が日本で受け入られても不思議ではないと考える」と指摘されている(松居祥二「産業の見地から見た特許法35条の職務発明」AIPPI(2014)Vol.59 No.6の445頁)。また、業績不振により賃金・ボーナスのカットを余儀なくされるような状況においては、基準の変更により「相当の利益」の額を大幅に切り下げることも許容されるべきである。
[8] 裁判所が決定する「相当の利益」の内容としては、基本的には金銭が想定されるが、例えば、同一の職務発明に同様に貢献した共同発明者の一方のみに特別有給休暇の付与がなされたような場合には、他方の共同発明者に対しても同様に特別有給休暇の付与をすることを命じることもあり得るだろう。
[9]このように、法(国家)が介入する場面とそうでない場面(自由を確保すべき場面)とを適切に区別することは「法の支配」の理念に合致するものといえる。
第4 司法審査の在り方
1 現行法下の学説―プロセス審査説
「相当の利益」についての司法審査の在り方を検討する前提として、現行法下の「相当の対価」についての司法審査の在り方についての学説[1]を参照しよう。
現行法下においては、いわゆるプロセス審査説が有力に主張されている。すなわち、土田教授は、「職務発明に関して、当事者が実質的交渉を十分に行い、対価決定のプロセスに問題がなければ、原則として対価を相当と解すべきである」と述べつつも、他方、「実質的交渉が尽くされたとしても、対価の決定基準が著しく不合理であったり、算定された対価が発明の価値に比してあまりにも過小であれば、35条の趣旨に鑑み、対価の相当性を否定すべきである」として、実質的交渉が尽くされた場合であっても、裁判所による例外的内容審査があることを肯定している[2]。
同様の見解を示したと思われるものとして、近時、神谷判事により発表された論文がある[3]。同論文は、手続重視の解釈論を展開しつつ、実体的側面(基準の内容、対価の額)の考慮について、「手続が適正に履践されているのであれば、通常は、策定された対価算定規程の内容は妥当なものとなっているはずであるし、また、そのように認定されるべき」であり、「そのような対価算定規程に的確に基づいて算定された額も、合理的なものと認定されるべき」と述べた上で、「手続が適正に履践されていると評価できるのであれば、基準に基づいて算定された対価の額については、原則として、そのまま是認されるべき」と結論付けつつも、他方、手続が適正に行われている場合であっても、「一見して不合理といえるような規程に基づく算定を否定するとか、発明の価値に比して極めて低額な対価の支払いを否定するというような限られた場面」においては、「実体的要素が不合理性を肯定する事情として有効に働く」とも述べており[4]、手続が適正であっても例外的に内容審査を行う場面があることを肯定している。
2 検討―自主性尊重説
プロセス審査説の手続重視の思想は基本的に賛同できるものであり、これは改正特許法においても妥当するものである。
他方、プロセス審査説が、「実質的交渉が尽くされた」場合や「手続が適正に行われている」場面において、例外的ではあるにせよ、裁判所の内容審査を肯定することは、手続重視の思想を貫徹していないという点において疑問があると言わざるを得ない。
現行法はもとより、その手続重視の思想を継承した改正特許法においては、「相当の利益」に対する裁判所の司法審査は、手続審査に限定されるべきであり、裁判所は、健全な労使環境の下で自主的に決定された労使協定・就業規則等に基づく適正な手続にて導出された「利益」を尊重し、これを以て、改正特許法に定める「相当の利益」と認めるべきであって、例外を設ける必要はないし、適切でもない(以下「自主性尊重説」)[5]。
このように、自主性尊重説がプロセス審査説と異なり例外的な内容審査を否定する理由は以下のとおりである。
第1に、プロセス審査説が例外的に内容審査を肯定する場面は、そもそも適正な手続が履践されていないか[6]、あるいは、第三者からは一見不合理に見えても、当該会社の実情や発明が事業化に至る過程を精査すれば不合理ではないといえる場面であると解される。すなわち、例えば、曖昧で恣意的な導出を許容する内容の基準に従って相当の利益を導出しても、それは適正な手続に基づいた相当の利益の導出とはいえないし、そもそも、そのような基準は、弁護士等の適切な専門家のアドバイスを受けて作成されたものではないことから、基準策定に関する手続の適正さを欠いているともいえる。また、業績の浮き沈みが激しく、かつ、発明から事業化への距離が遠い(あるいは確率が極めて低い)事業形態の会社であれば、発明に対する報奨金が一律低額であったとしても必ずしも不合理とはいえない[7]。
第2に、「相当の利益」の例としてガイドライン案にも明示されている「留学の機会の付与」や「金銭的処遇の向上を伴う昇進又は昇格」の価値と発明の価値との大小比較は裁判所の能力を遙かに超えるものである。また、仮に、「相当の利益」と「発明の価値」の大小比較が裁判所により可能としても、その価値の不均衡が発明に対するインセンティブを不当に阻害するものであるか否かの判断は、会社全体のインセンティブ施策並びにイノベーション促進のための方策及び体制等も踏まえてなすべきものであるところ、そのような判断は、証拠に基づき事実を認定し、要件事実の該当性を判断することを基本とする司法判断には適合せず、それを裁判所に求めることは法的安定性を害するというべきである。
以上のとおりであるから、「相当の利益」に関する裁判所の司法審査は手続審査に限定されるべきである。すなわち、裁判所は、「相当の利益」の内容が、健全な労使環境の下で決定された労使協定・就業規則等に基づく適正な手続により導出されている限りにおいて、「相当の利益」を与えることの合理性を肯定するべきであって、手続の適正さが認定できない場合には、「相当の利益」を与えることの合理性を否定し、改正特許法35条7項に従い、「相当の利益」の内容[8]を決定すべきものである[9]。
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[1] この点に関する現行法下の裁判例としては、野村證券高頻度取引知財高裁判決(平成27年7月30日判決(知財高裁平成26年(ネ)第10126号)がある。同判決は、現行法の趣旨について、「平成16年法律第79号による特許法35条の改正の趣旨は,同改正前の旧35条4項に基づく相当対価の算定が,個別の使用者等と従業者等間の事情が反映されにくい,相当対価の額の予測可能性が低い,従業者等が職務発明規程の策定や相当対価の算定に関与できていないとの問題があるという認識を前提に,相当対価の算定に当たっては,支払に至る手続面を重視し,そこに問題がない限りは,使用者等と従業者等であらかじめ定めた自主的な取決めを尊重すべきであるというところにある」と述べている。
[2] 土田道夫「労働契約法」627ページ、同「職務発明とプロセス審査」田村=山本「職務発明」176頁以下
[3] 神谷厚毅「平成16年法律第79号による改正後の特許法34条4項の解釈適用」L&T67号34頁
[4] 前掲神谷35頁
[5] このように解する場合、改正特許法35条5項に規定される「等」には、共同発明者の貢献度認定手続などの手続的要素のみが含まれることになる。なお、拙著「職務発明規程変更及び対価算定の法律実務」17頁以下も参照。
[6] なお、「相当の利益」が金銭の場合であって、その絶対額が小さいと思われる場合には、手続の適正さをヨリ慎重に吟味することにより発明へのインセンティブを確保することができることにも留意すべきである。
[7] 松居弁理士は、「発明をした社員の保証された雇用関係と給与を考慮すれば、対価の額の算定に際して、米国の1$を対価とする考え方が日本で受け入られても不思議ではないと考える」と指摘されている(松居祥二「産業の見地から見た特許法35条の職務発明」AIPPI(2014)Vol.59 No.6の445頁)。また、業績不振により賃金・ボーナスのカットを余儀なくされるような状況においては、基準の変更により「相当の利益」の額を大幅に切り下げることも許容されるべきである。
[8] 裁判所が決定する「相当の利益」の内容としては、基本的には金銭が想定されるが、例えば、同一の職務発明に同様に貢献した共同発明者の一方のみに特別有給休暇の付与がなされたような場合には、他方の共同発明者に対しても同様に特別有給休暇の付与をすることを命じることもあり得るだろう。
[9] このように、法(国家)が介入する場面とそうでない場面(自由を確保すべき場面)とを適切に区別することは「法の支配」の理念に合致するものといえる。
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