(承前)
第5 ダブルトラックの回避
1 個別同意方式と遡及適用方式
職務発明規定を変更する場合、変更後の職務発明規定(以下「新ルール」)が適用されるのは、変更後に完成した職務発明のみであり、変更前に完成した職務発明については変更前の職務発明規定(以下「旧ルール」)が適用されるのが原則である。
しかし、多くの企業にとって、新旧二つのルールを並行して運用する(以下「ダブルトラック」)ことは耐えがたい負担である。
ダブルトラックを回避するための方法は2つある。第1は、対象の従業員全員から適正額の清算一時金を支払う代わりに変更前に完成した職務発明についても新ルールの適用を受ける旨の同意を個別に取り付ける方法(以下「個別同意方式」)である。第2は、変更前に完成した職務発明についても新ルールが遡及適用される旨の規定(以下「遡及適用規定」)を変更後の職務発明規定に書き込む方法(以下「遡及適用方式」)である。従業員数が比較的少ない場合には個別同意方式が推奨されるが、従業員数が比較的多い場合には遡及適用方式を採用することも考えられる。
2 有効性の検討
それでは個別同意方式と遡及適用方式は法的に有効と言えるであろうか。
まず個別同意方式について見ると、会社と従業員との間の交渉力格差を前提としても、適正額の清算一時金を支払う以上、無効と判断されるリスクは極めて小さい。
次に遡及適用方式について検討する。この点については、既に発生した権利を奪うことはできないとの反論があり得る。しかし、変更前に完成した職務発明に関する従業員の権利は、発明として結実した発明者の能力と努力を評価し将来の発明を奨励することを目的とするインセンティブとして人工的に法定された権利であり、職務発明規定において、その金額が一定の算定期間における実績に応じて決定されるような場合には、会社全体のインセンティブ体制の変更又は会社のビジネスモデルの変更等により変更されることが予定されているものと解するべきであるから[20]、遡及適用方式を採用しても既に発生した権利を奪うことにはならないというべきである。もっとも、従業者の期待に反する結果になるとはいえるので、遡及適用規定を含む職務発明規定の変更については、可能な限り全員の同意を取り付けるように努力すべきであろう。
第5 終わりに
以上のとおり、本稿において、現時点における当職の改正特許法35条についての理解を示した。ガイドライン最終案から間がないこともあり、誤解や遺漏があるかもしれず、職務発明の実務担当者としては、引き続き、セミナー及び書籍等による情報収集を怠らないことが重要である。なお、筆者も継続的に職務発明改正対応に関する無料の勉強会を開催しているが、参加希望の方は、電子メール(jun20dai@gmail.com)又は電話(03-5307-7400)にてお問い合わせ頂きたい。
以上
[1] 深津拓寛=杉村光嗣「平成27年職務発明改正対応の実務上の留意点」NBL1058号28頁、横山久芳「職務発明制度の見直しに係る平成27年改正法案の検討」L&T68号34頁、拙著「職務発明改正対応の実務」38頁以下
[2] 職務発明規定の趣旨と効果に意図的な不一致を生じさせているともいえる。
[3] 裁判例として、バリ取りフォルダー事件判決(知的財産高裁平21(ネ)第10017号)がある。
[4] 東京地方裁判所平成13年(ワ)第17772号
[5] 前掲深津=杉村28頁。また、同32頁は、「特定された複数の職務発明に対して、1件の経済上の利益を与える場合も、両者の牽連性は認められると考えられる」と述べている。
[6] 水町勇一郎「職務発明の法制度設計における基本的視座」季刊労働法250号62ページ
[7] 拙著「職務発明規定変更及び相当対価算定の法律実務」112頁以下参照。
[8] 正確にいえば、相当の利益にを決定する基準についての協議である。
[9] この点に関する現行法下の裁判例としては、野村證券高頻度取引知財高裁判決(平成27年7月30日判決(知財高裁平成26年(ネ)第10126号)がある。同判決は、現行法の趣旨について、「平成16年法律第79号による特許法35条の改正の趣旨は,同改正前の旧35条4項に基づく相当対価の算定が,個別の使用者等と従業者等間の事情が反映されにくい,相当対価の額の予測可能性が低い,従業者等が職務発明規程の策定や相当対価の算定に関与できていないとの問題があるという認識を前提に,相当対価の算定に当たっては,支払に至る手続面を重視し,そこに問題がない限りは,使用者等と従業者等であらかじめ定めた自主的な取決めを尊重すべきであるというところにある」と述べている。
[10] 土田道夫「労働契約法」627ページ、同「職務発明とプロセス審査」田村=山本「職務発明」176頁以下
[11] 神谷厚毅「平成16年法律第79号による改正後の特許法34条4項の解釈適用」L&T67号34頁
[12] 前掲神谷35頁
[13] このように解する場合、改正特許法35条5項に規定される「等」には、共同発明者の貢献度認定手続などの手続的要素のみが含まれることになる。なお、拙著「職務発明規程変更及び対価算定の法律実務」17頁以下も参照。
[14] なお、「相当の利益」が金銭の場合であって、その絶対額が小さいと思われる場合には、手続の適正さをより慎重に吟味することにより発明へのインセンティブを確保することができることにも留意すべきである。
[15] 松居弁理士は、「発明をした社員の保証された雇用関係と給与を考慮すれば、対価の額の算定に際して、米国の1$を対価とする考え方が日本で受け入られても不思議ではないと考える」と指摘されている(松居祥二「産業の見地から見た特許法35条の職務発明」AIPPI(2014)Vol.59 No.6の445頁)。また、業績不振により賃金・ボーナスのカットを余儀なくされるような状況においては、基準の変更により「相当の利益」の額を大幅に切り下げることも許容されるべきである。
[16] 裁判所が決定する「相当の利益」の内容としては、基本的には金銭が想定されるが、例えば、同一の職務発明に同様に貢献した共同発明者の一方のみに特別有給休暇の付与がなされたような場合には、他方の共同発明者に対しても同様に特別有給休暇の付与をすることを命じることもあり得るだろう。
[17] このように、法(国家)が介入する場面とそうでない場面(自由を確保すべき場面)とを適切に区別することは「法の支配」の理念に合致するものといえる。
[18] 柳川範之「職務発明の経済学」田村・山本編著「職務発明」40ページ以下、後藤信之「職務発明の「相当の対価」と発明報償制度について-法定請求権と切り離した報償制度の設定-」
[19] 拙著「職務発明規定変更及び相当対価算定の法律実務」74頁以下参照。
[20] 拙著「職務発明規定変更及び相当対価算定の法律実務」154頁以下参照。
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