スマート詩吟は面白い

スマート詩吟及び福祉詩吟は私の造語です。それらの普及を図っていきたいと思います。

闘病記11/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-11-20 17:07:02 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

3ケ月が退院目標だったので「1ケ月後に病室内フリー、2ケ月後に病棟内フリー、そして2.5ケ月後に病院内フリーを目標にしましょう!!その時には少しでも走れる様になりましょう!!と共有できた。正にサラリーマン現役時代の目標達成システムの実行と同一である。これが訓練する励みになったことは未だ会社勤めに未練を持っている様だ。歩くことも出来ない段階で「走れる様に!!」とはなんと素晴らしい目標であることかと心が昂った。この様な目標が出来ただけであるが、何だか3ケ月後は健常時の自分に戻っている錯覚を感じた。映画「博士の愛した公式」を妻と一緒に見たことがある。寺尾聡演じる高次脳機能障害となった博士の「あるがまま」の真意が自分の障害と重ね合わせることで解った気がした。リハビリ専門病院への転院が1月末ということもあり、妻が「自宅の庭に咲いた水仙の花ですよ!!と言って花瓶に挿してくれた。妻と初めてのデートは約40年前の下田爪木崎の水仙畑だった。自宅の庭に水仙があったことなど今迄気付くことも無かったことと私の置かれた現状が全て重なり、リハビリ目標で前途に希望を感じながらも夜中に独りで複雑な涙を流した。



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 リハビリ専門病院に転院して予定通り目標を達成していた約1ケ月後、東日本大震災の衝撃を受けた。津波にのみこまれる人々・家屋、原子炉の水素爆発、放射能汚染など次々に襲いくる破滅的事故に対し、病院から一歩も出られない私は何も出来ない自分がとても悲しかった。お見舞い客の言動が変わり、その悲惨さに対して私の不幸など比べ物にならないほど小さいと慰めてくれた。私は「所詮それらを比較する方がおかしい」と相変わらず最高の悲劇者であると反論していた。



次号に続く

 

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闘病記 10/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-11-20 16:44:04 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

4.リハビリ病院

 

 1ヶ月過ごした救急病院からリハビリ専門病院に転院した。リハビリ専門病院で主治医との最初の面接で「現在私は全く歩けない。車椅子を使わないで歩けさえすれば何とかなると考えています。利き腕の右手はしっかりしているから左手は特に不要なのです」と言った。「歩ける!!とはどういうことですか?」という禅問答みたいな面接であった。今思うと自分の勝手さを恥じるばかりである。面接終了後すぐ歩行訓練室に連れて行かれた。歩行担当の理学療法士の方との会話は次の通りである。
 

この訓練室は1周50mです。2周歩いてごらんなさい!!」が第一声です。

「ずっと車椅子だったから無理です」

いいから黙って言うことを聞いて、歩けるだけ歩いて下さい!!

こんな人を奥さんにすると命令ばかりされるのかな?と思いつつよちよち歩きで歩き始めた。何とか2周歩いた時にはもう全ての蟠り(わだかまり)がなくなったとさえ思った。とてもうれしかった。こうして最初のきっかけから理学療法士の方と目標を共有することが出来ると思い一切を信頼することが出来た。そして彼女に訴えた。

「私は現役時代、何事も目標を掲げ、その目標を達成する為にマイルストーンつまり週毎・月毎に何を成し遂げておかねばならないかを決めていました。どんな高い目標でも辛いリハビリでも構いません」


再度、きれいな花を見つめに行きたいと思い・・・・・、
次号に続く・・・・・・・・・・・・・

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以下次号に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

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闘病記 9/24回(竜宮城への旅が終わって)

2012-11-20 16:37:28 | エッセー「竜宮城への旅が終わって」

 

前号から続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

妻は毎日来てくれるが、お見舞い客と話している以外個室の為自分一人でベッドの中で過ごす時間が多くなった。テレビをつけても何の映像が映っているのか興味はなくドラマの内容等雑音に過ぎなかった。健常時にはニュース番組は一番好きであったが、この状態では溶け込んでいくことは出来なく、目の前を社会情勢の出来事が過ぎていくだけで「従来の世界・生活に戻れないのかなあ」とぼんやり考え込んでいる時間も多くなった。

 

 

 

妻が隣にいなかったら、何を考え・どんな行動をしたか解らない。本書を書きながら当時の日記を読み返している。何回も見舞いに来てくれた学生時代の友人が、中村天風師の言葉として、「指方!!、こうなったことはしょうがない!! みだりに怒らず・恐れず・悲しまず・悩まず・煩わずという心の態度を積極化することだよ!!と言ってくれたが、最初全く受け入れなかった。その後彼の見舞回数を経るに従い少しずつ受け入れた。退院後中村天風師の本を図書館で借り熟読した。難解ではあったが一歩前進した気になった。


救急病院では単純な生活の繰り返しである。救急病院のリハビリは毎日1時間ほど平行棒に掴まった歩行訓練とお手玉を握って離す単純動作の繰り返しという先が見えない罰ゲームみたいなものであった。手足の動作は全く出来ないにも拘らず、つまらないことばかりやらされているという被害者意識ばかりがあった。救急病院でのリハビリは専門でないのだからこの様な幼稚なことしかやらせないのだ!!と勝手に批判していた。とにかく救急病院のリハビリでは何も変わらないので早くリハビリ専門病院に転院したいという願望が強くなった。リハビリ専門病院に転院すると専門的なリハビリがプログラムされ直ぐにでも健常時に近づく、歩けるはずと思った。リハビリ専門病院の空きベッドが無いという理由で転院出来なかったので、それでは第2、第3希望のリハビリ専門病院に転院せざるを得ないと意思を伝えたら第1希望のリハビリ専門病院が直ぐ門戸を開いてくれた。

 

 

 

以下次号に続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

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