先週からの続きです。
(5)追悼吟
追悼の場面で吟じることは少しだけ勇気が要る。
個人的なことを記載すると、
最近はその方を偲ぶ詩文を創作してポケットに忍ばせておくことにしている。
追悼の場で私が詩吟を趣味にしていることを知っている方から指名を受けた場合にのみ吟じている。
従って吟じる場面はそんなに多くは無い。
私が何故この様な創作追悼吟をする気持ちになったかということは、
次の様ないきさつがあった。
大学時代に同じ釜の飯を食べた岡山に住む友人が突然亡くなった。
彼の葬儀、一周忌の折は私が未だ60代初めで健常な現役バリバリだった。
ところがその直後65歳の時、私は脳卒中で片マヒの身体障害者になった。
彼の三回忌墓参で岡山県まで東京の友人と二人で行くことになった。
脳卒中で4ヶ月入院してリハビリ退院後間もなくのことだった。
そのような事情が私自身におこっていたので、
二年ぶりにお会いした亡くなった友人の奥様は、
私が脳卒中で障害者になった姿を見てびっくりされた。
自分が身体障害者になって気持ちが変わったのであろう。
その三回忌の墓参では彼を追悼吟で偲びたくなった。
墓参吟では奥様と同行した友人だけであったが、
私の気持ちが最高に昂ぶったことを記憶している。
M弘志君の墓参に際して詩吟「哀悼の詞」を心を込めて捧げます
『恵雨の人生 竟に全からず
哀しむ君が客と為りて 黄泉に到るを
墓前涙を呑んで 冥福を祈る
弘大なる志気の情 皆語り永遠に忘れまじ』
注:恵雨(日照りに降って農作物を潤す雨)
弘大な志気(広く深き大きな意気込み・志し)
明日に続きます。