前回からの続き
詩吟の前に、詩の心・作者の気持ちを、自分なりに受け止めることが、大切と最初に述べました。
図書館に行って太平記を調べてみたところ、斉藤孝先生の「声に出して読みたい日本語」の中に、
暗誦の定番として、この一節がそのまま掲載されていました。私の浅学を恥じるばかりでした。
その一節の意味はおおむね次の通りでした。
日野俊基は、先年捕えられて、鎌倉まで下りましたが、嫌疑なしと赦免されました。
再度捕らえられた今回は、鎌倉幕府への謀反の首謀者が、日野俊基ということで、
再犯は、何と弁解しようと許されざるものでした。
鎌倉への移送中に殺されるか、あるいは鎌倉で斬られるか、二つのほかはないと、思い定めて出立したわけです。
落花の雪に踏み迷う、交野(現大阪府交野市)春の桜狩り、
紅葉の錦を着て帰る、嵐山(現京都市西京区)の秋の暮れ、
一夜を明かすほどでも、旅宿となれば物悲しいものですが、
恩愛の契り浅からぬ、我が故郷の妻子を、行末も知らず残して、
年久しく住み馴れた、九重([宮中])の帝都を、今を限りと振り返り、
思いもしなかった旅に出て行く、心の内は悲しいものでした。
次回に続きます。
次回は素読、そして最終回は吟詠です。もう少しお待ち下さい。
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