JUNSKY blog 2015

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「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-4

2006-08-30 20:43:23 | 憲法
写真は、ピース・トーク・マラソン(in兵庫:2005)での藤原紀香さん

 8月19日の「大津留公彦のブログ」「私たち、日本国憲法の味方です!」を、ここでも紹介したが、これに呼応するサイト も現れ、藤原紀香さんを護憲の候補者として国会へ(当面は来年の参議院選挙で護憲共同候補として)送り出そうという動きが広がっている。

 当ブログもその一翼を荷っている形ではあるが、大津留氏は、居ても立ってもいられず?「9条連合」 というサイバー組織を立ち上げた。

 思想信条はともかく、日本国憲法第9条の「非戦の誓い」に賛同する人ならば、誰でも参加できる空間のようである。
そして、9月初旬を目処に、候補者をリストアップして人気投票を行うつもりらしい(候補出し、と称するらしい)。 言わば、予備選挙だね。

私は、下記のコメントをメールで大津留氏に送った。
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では、私の候補者だしを・・・
もちろん、本人の了解「無し!」

黒柳徹子・・・考えや意志の強さは共感するし、ユニセフ親善使節としての国際活動も高く評価できるが、ちょっとお年を考えると。
アグネス・チャン・・・考えや意志、経歴とも申し分なく、トリ・リンガルという面でも良いが、国籍の面で立候補可能か?
吉永小百合・・・反核運動や原爆詩のライフワーク、経歴、考え方とも申し分ないが、本人は選挙より映画や朗読が中心の意向でしょうね。
しかし、万人を惹きつけるオーラはあります。
上戸 綾・・・経歴は不明ですが、原水協などが進める反核ポスター(新しい原水爆禁止要求署名運動のポスター)に出ていますので。
池辺晋一郎(作曲家)・・・今も「うたごえ運動」に積極的に関与し、憲法にも一家言あり。

で、本命はやっぱり藤原紀香さん・・・大津留さんの紹介した井上ひさしさんとの対談での発言。
アフガニスタン、ソマリアなど戦争地域へ命懸けで渡り、自らカメラを持ち、写真展を積極的に開催。
英語はもちろん流暢で、韓国語にも通じていて、現在のアジア諸国との関係を考えた場合でも、日本国憲法の意義を説いて回れる、そしてそれをメディアが追うという力を備えている。
本人さえ、九条を護るという立場を選挙に当たって表明してくれるなら、これ以上の人材は居ない。

華があり、
セレブ性もあり、
かつ関西人的キャラクターで庶民的な面もあり、
マスコミ受けし、
外国語堪能で、
護憲の意志が明確で、
国際活動も積極的で、
何よりオーラがある。
そしてまだ若い!


こんな候補者他に居ませんよ!

どうりで、自民党も触手を伸ばしてくる訳だ。

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「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-4

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マンションでのビラ配布は無罪 (東京地裁・8/28)

2006-08-28 12:32:52 | 憲法
マンションへの政党ビラまき、被告に無罪判決 東京地裁 (朝日新聞) - goo ニュース

 都議会報告や区議会だより、区民アンケートの用紙などをマンションのドアポストに配付したことを、住民から110番通報され、逮捕された荒川庸生(ようせい)さん(58)に対し、東京地裁は28日、無罪(求刑・罰金10万円)を言い渡した。 
 当然の結果である。

 この住民に都議会などの状況を知らせるという、全く正当な行為を110番通報するような非道徳的勢力は、与党の片棒を担ぐ特定の政治・宗教団体であることは用意に推測できる。
 私も以前、ビラ配布中に、この手の集団に威圧的にからまれ、警察に同行する羽目に陥ったことがある。このときは威圧した彼らに“お咎め”があり、こちらは無罪放免であったが、夜中の3時頃までかかった。
 自民党は、自らは言論弾圧の手を汚さず、相棒に一般市民の告発の形式を取りながら言論弾圧をさせている。この尖兵を買って出て選挙で自民党を助けているのが例のカルト団体である。

 この事件で裁判長は、
「このマンションではピザのチラシも投函(とうかん)されているが、投函業者が逮捕されたという報道もないうえ、40年以上政治ビラを投函している荒川さんも立ち入りをとがめられたことはないという点を踏まえ、現時点で、ドアポストに配布する目的で昼間に短時間マンションに立ち入ることが、明らかに許されない行為だとする社会的な合意がまだ確立しているとはいえない」と述べた。

【〈キーワード:葛飾政党ビラ配布事件〉 男性は04年12月23日の昼間、東京都葛飾区内のオートロックではないマンションで、共産党の都議会報告や区議会だより、区民アンケートの用紙と返信用封筒を、1階の集合ポストではなく各居室のドアポストに配布した。途中で住民男性に見とがめられ、110番通報された。警察で事情を聴かれ、帰宅しようとすると「住民男性によって住居侵入容疑で現行犯逮捕されている」と説明を受け、そのまま23日間、身柄拘束された。】

「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-3

2006-08-27 19:07:32 | 憲法
写真は藤原紀香さん(ネットより画像を入手)

藤原紀香さんが、自民党から担ぎ出されないように、護憲派の声を送りましょう。

藤原紀香さんが開いている公式ホームページ Norikanesque では、入会者以外のメールも受け付けているようです。

下記のリンクを開くと、メール送信フォームが表示されますので、必要事項をご記入の上、各自要望をお送りください。
Norika Fan Mail

また、「九条の会」の井上ひさしさんや呼びかけ人の方々にもメールを送りましょう。
「九条の会」の公式サイトのリンクは、このブログの左側サイドカラムのブックマークのTOPに入れていますが、便宜のため下記に再録します。

「九条の会」の公式サイト

「九条の会」のメールアドレス :mail@9jounokai.jp 


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「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-3

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自衛隊海外派遣「恒久法」制定目指す 新政権で安倍氏

2006-08-26 11:25:25 | 憲法
自衛隊海外派遣「恒久法」制定目指す 新政権で安倍氏 (共同通信) - goo ニュース

いよいよ、安倍氏の本領発揮ということだろう。

講演会で正式に発言したということだから、ちょっと口を滑らせて本心が覗いたと言うものではない。
首相就任前に「タカ派」的政策を前面に出しておこうということであろう。

一応国際貢献なるものを押し出しているが、その“国際貢献”の実態たるや、アメリカ政府からの強い要請であり、米軍への協力であることは、イラクの実態を見ても明らかである。現に、今この時点でも航空自衛隊による米軍の物資輸送は続いているのである。

【派遣隊員の武器使用基準の緩和を検討すべきだとの認識を示した】
とも言う。

 「憲法前文は詫び証文」 と暴言を吐く安倍氏のことであるから、なにをかいわんや。
 ここで、上記の発言が「憲法違反である」と我々庶民が幾ら騒いだところで、安倍氏にしてみれば「憲法を改正しますから~!」ってなもんでしょうね。

 と、諦めてはいけないのであって、AbEnd の活動を一層展開しなくては。

YOMIURI ONLINEによれば
【 安倍官房長官は25日、NPO法人「US―Japan LINK」が都内のホテルで主催した「自衛隊のイラク派遣・復興支援に関するセミナー」で講演し、自衛隊の国際貢献について、「(海外派遣のための)恒久的な法律が必要だ。恒久法を作ることで機動的な対応も可能になる。自民党で議論しているが、政府も法律にする作業をしなければならない」と述べ、恒久法の整備を急ぐべきだとする考えを示した。 】ということだ。

タカ派新聞・産経によれば
【 安倍晋三官房長官は25日、都内で講演し、自衛隊の海外派遣について「恒久的な法律が必要ではないか。機動的な対応も可能になる」と述べ、個別に法律を制定しなくても自衛隊派遣を機動的に可能にする恒久法の制定に取り組む考えを示した。安倍氏は「世界では不安定な状況が起こり得る。日本も国際貢献を果たしていくことは極めて重要だ」と指摘、「自民党で恒久法について議論している。議論を深め、政府も法律化していく作業をしていかなければならない」と強調した。
 また、「一緒に活動している外国の軍隊が攻撃されたとき、(自衛隊は)黙ってみていなければいけないのか。真剣に考えなければいけない」と語った。
 自衛隊の海外派遣に関しては、厳格な参加5原則がある国連平和維持活動(PKO)協力法で対処できない場合、テロ対策特別措置法やイラク特別措置法など個別の法律をつくって対応してきた。しかし、「個別法では機敏な活動が行えない」との指摘があり、自民党防衛政策検討小委員会は23日、国連決議などがなくても自衛隊を機動的に派遣する道を開き、隊員の武器使用基準も緩和する恒久法の素案を了承している。】となっている。

小泉も相当えげつない政治家であったが、これをさらに“磨き”を掛けた「悪」である。統一教会との関係も深そうだし、第2次世界大戦中の中国・朝鮮人徴用(事実上の拉致)を推進した張本人A級戦犯容疑者・岸伸介の血筋だし、とても世界に通用する玉ではない。
 何故、こういう輩が自民党内で求心力を持ち始めているのか?
自民党という政党がその程度の倫理観・政治意識の輩の集団だということであろう。
 つい、先日は、小泉チルド連達も安倍支持を決めたと言うから、セレブにあこがれて投票した人達は「とんだ選択をしたもんだ」と今頃悔やんでも遅い。
 セレブたちの政治認識のレベルはその程度のものであるということだ。

「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-2

2006-08-25 23:11:11 | 憲法
   写真は藤原紀香さん(ネットより画像を入手)


藤原紀香さんにこだわる訳ではありませんが、護憲派も意志の強い著名人を押し立てる必要があります。

8月23日付けで「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)という記事を書いたところ、何人もの方から、コメントやトラックバックを頂きました。

 そのTBをたどってゆくと、結構多くの方が、この問題での 日本共産党 の対応に疑問の声を挙げられています。 
 殆どの方が、真面目に憲法の行く末を考え、事態を憂うる声を上げておられます。
 日本共産党員を自称している方も居れば、党員ではないが、と断って書く方などさまざまですが、憲法9条改悪阻止の共同候補を求めているところは共通しています。

先にもコメントの中で書きましたが、日本共産党は先だって行われた 第2回中央委員会総会(7/6) で、「護憲」の共同候補擁立の可能性について、何ら述べることなく、「全選挙区立候補」をダメ押ししてしまいました。
 これでは、勝ち目の無いところも含めて大量立候補、大量落選、大金の供託金没収という三すくみの事態に陥るであろうことは目に見えています。そして、護憲派を多数にできないまま、国会は与党の思うままに運営されるでしょう。

日本共産党は主観的願望として【この運動で、何よりも大切なことは、「九条の会」や「共同センター」の運動がとりくんでいるように、憲法改悪反対の一点で、思想・信条・政治的立場の違いをこえて、国民の過半数を結集する運動を、たゆまず前進させることにあります。国民多数が反対といえば、改憲はできない。】と言うだけで、他のブログで少なからずの方が書かれているように、如何にして参議院の過半数を護憲派で占めるのかの戦略には欠けています。
 少なくとも参議院の3分の1は護憲派が占める必要があるのに、このままでは日本共産党5議席(党の公式目標)、社民党数議席、無所属数議席にとどまってしまいます。

「全選挙区に候補者を擁立」という決定がされてしまった、この事態に陥ってしまっては、既に打開の道は無いでしょうか?
 私は、「PSE法」を事実上機能停止に追い込み、「共謀罪制定」「教育基本法改悪」「国民投票法制定」の『憲法地ならし三法』を延期に追い込んだ、ブログとネットの力に、事態打開の道があるのではないかと思います。
 これらの法案に対するネット上での意見交換や抗議のFAXやメールが、事態を急速に展開しました。日本共産党議員の国会質問が党派を超えて広範に引用され、運動を進める理論的根拠を与え、力になりました。
共産党は、このことを良く知っていますし、「赤旗」でも度々紹介してきました。

ここにきてようやく日本共産党もネットやブログの重要さに気づき、地方組織にもネット担当者を置き始めているようです。 候補者のブログも続々立ち上がっています。
 今こそ、ネット上で広範に意見を交流し、日本共産党にもメールやFAXを送って、護憲の共同候補を擁立するために力を尽くそうではありませんか?

日本共産党:info@jcp.or.jp
FAX: 03-5474-8358 

******* 頂いたコメントから *******

【藤原紀香さんはいろいろ見てみるとなかなか芯が通っていてすごいですね。
阪神大震災が彼女の人生を決めたのでしょう。
メール送ってみようかな?
護憲の共同候補に担ぎたいと・・・】

【9条が此れほど危険な状態の時、共産党には面子に拘らず柔軟な大人の態度を期待したい。
9条を支持している芸能人や文化人、まともな人達は大勢います。
政党は勝ってなんぼの世界です。】

【昨日の安倍氏の改憲宣言によりいよいよこの秋から9条は正念場を迎えます。
9条を守る為には国民の過半数が国民投票で9条yesを言わなければなりません。
議会も改憲派が過半数になるようにしなければなりません。
そうすれば護憲各党も大人の対応をせざるを得なくなると思います。
紀香候補も夢ではなくなると思います。】

【日本共産党は「9条はもちろん天皇条項も含めて憲法の全体を護る」という意志は強固ですが、ならば、どうやって議会で護憲派を多数派にするかについては、どちらかというと無頓着です。
 もちろん共産党だけで過半数を取ろうと言う意欲も戦略もありませんから、護憲の共同候補という方向しか有り得ないのに、先だって開かれた第2回中央委員会総会では、全選挙区立候補をダメ押ししてしまったようです。】

【昔はそうではなかったが、現在は共産党が護憲派の最も大きな勢力です。
共産党の責任はとんでもなく大きい。
共産党幹部にその事の自覚がどれ程有るのでしょうか。】

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「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-2
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「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-1

2006-08-23 23:08:23 | 憲法
写真は藤原紀香さん
ネット上で検索して入手 
 
大津留公彦さんのブログに
「私たち、日本国憲法の味方です!」(井上ひさしvs藤原紀香)
という週刊現代の引用記事が掲載されている。

心強い限り!!!

 以前より、藤原紀香さんのHPでの発言や、
アフガニスタン写真展などの積極的活動に注目していましたが、今回の記事で『護憲』の立場を明確にされたことに強い共感を覚えます。

 彼女は、自らの知名度に酔いしれるのではなく、これを“政治的”意思表明に積極的に活用しています。
 知名度やメディアへの露出度を、こういう意思表明に活かすことに大いに感動し、賛成します。

 アフガニスタン写真展も彼女の仕事であったからこそ、多くの来場者を獲得し、現地の現実の一端を多くの人々に知らせることができたのです。

 日本のタレントの多くは、こういう“政治的”パフォーマンスを遠ざけ、いわゆる“中立”を装っている中で、心からの人間の声として表出されていることに感銘を覚えます。

 大津留氏もブログで言っていますが、私も藤原紀香さんを来年の参議院選挙で『護憲』の共同候補として押すことに賛同します。

 自民党が、藤原紀香さんを候補者に擁立しようとする話もあったとのこと。
護憲派がうかうかしていては、すっかり改憲派に人材を取り込まれてしまいます。 
 顔で選ぶというのは、ある程度仕方のないこと。
安部晋三に対抗する玉がない野党にあっては、候補者の【顔】は重要な要素。護憲派も大胆に戦略を考えるべきです。

 たとえば日本共産党は、タレント候補を極端に嫌い、世の中に知名度の全く無いに等しい純粋“党人”候補を、ほぼ全選挙区に立てては惨敗し、党員や支持者から集めた浄財の寄付金を、供託金没収という形で、せっせと国庫に納付し続けています。政党助成金は1円も受け取っていないのに、供託金はせっせと納めている不条理。
 発想を大胆に転換し、護憲派を国会で多数派にするためには、面子に拘らずに自らの候補を降ろして、共同候補を擁立するべきでしょう。

 たとえば団塊の世代では吉永小百合さん(原爆詩集の朗読がライフワーク)、中年層には藤原紀香さん、若い世代には上戸彩さん(核兵器廃絶ポスターですでに登場済み)など知名度のある候補者を積極的に擁立推薦するべきだと思います。

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「私たち、日本国憲法の味方です!」(藤原紀香)-1
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昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀

2006-07-20 16:04:08 | 憲法
写真は「大津留公彦のブログ」
よりcopy

「私はあれ以来参拝していない」asahi.com

A級戦犯合祀に不快感を示す、昭和天皇・裕仁の生の声を宮内庁長官がメモした貴重な資料が見つかった。
日経新聞が、一面TOP11段抜きで報じた『大スクープ』だという。
他に3面でも10段、39面(いわゆる三面記事)で8段抜きと力を入れた取材である。
しかし、何故か日経NETでは記事が小さく、asahi.comの方が詳しい。

88年4月28日付。
当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が天皇の発言をメモに記し、家族が保管していた。

【それによると、昭和天皇の発言として
「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され・・・
その上 松岡、白取(原文のまま)までもが・・・ 
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが・・・
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と・・・ 
松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私(は)あれ以来参拝していない
 それが私の心だ」
 
と述べた、と記されている。】

【これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。】

  もっとも、私は昭和天皇がどう言ったこう言った、ということで、小泉首相の靖国神社参拝の是非を問うものではない。
 一国の総理が、靖国神社と言う「大東亜戦争」を正義の戦争とする戦後の国際秩序を真っ向から否定する、一私的宗教法人を参拝することに反対である。

 中国や韓国が反対しているから、それに配慮して参拝を中止して欲しいという考えや、経済関係に打撃を与えるから控えめにして欲しいという考えにもくみしない。

 政教分離の問題と、侵略戦争に対する本質的な認識の違いによって反対しているのである。

**********************
 ここから、7月21日追記
 今日(7/21)の朝日新聞に、追いかけ記事が載っていたが、何面かに分けて掲載されている記事のどれにも、元ネタが「日経新聞のスクープ」であることには触れていない。
 たとえば、「昨日の日経新聞で取り上げられた天皇の発言の問題で・・・」
とかいうリードも何も付いていない。 自分の記事として書いている。
 我々殆どのブロガーは、出典を必ず明らかにしてから(又はリンクを張って)記事を引用したり、論評したりしているのに、商業新聞の方は、自らの著作権は大上段に掲げながら、他社のスクープは、ちょっと角度を変えて(せいぜい1゜か3゜位の違いしかないのに)書けば、元情報の引用を示さないでも書けるとは、何と言う業界なのだろう。
 朝日新聞以外も元情報を紹介しないで書いているんだろうか?
 汚いよね。人のフンドシで相撲を取るとは・・・
 朝日新聞しか読んでいない人がみれば、アサヒのスクープと勘違いするんじゃないか?
 私も大津留公彦のブログで「日経新聞のスクープ」と書いてあったから初めて知った位だから。
 もう、本当にジャーナリスト精神もジャーナリズムの倫理も何も無い業界だ。
秋田の事件の私の記事へのコメントに、秋田県警が『不正義』でマスコミは『無正義』だと書いてくれた人が居たが、まさにそういう状態だ。
 日経新聞が、この時点でスクープしたのは、安倍や麻生に水を掛ける為に取り上げたんだろうか?

きょうは「憲法記念日」

2006-05-03 10:25:53 | 憲法
今日は1947年5月3日に現行「日本国憲法」が施行されて59回目の記念日です。

60周年に向けて、改憲の動きが自民党・公明党政府を中心に民主党も巻き込んで広がりつつありますが、憲法改悪に反対する活動も「九条の会」を中心に全国規模で広がっています。
「九条の会」に連携する全国の会は5千になろうとしています。

当ブログも、今後とも憲法改悪に反対する活動に参画してゆきます。
ご支援、コメント、トラックバックをお願いします。

日本国憲法は先人の智慧の結晶-6

2006-03-13 18:59:54 | 憲法
占領軍の押し付けではなく日本人民の智慧と闘いの結晶
 植木枝盛他多くの先人が書き上げた数多くの憲法草案が再び話題に上るのは1945年の敗戦後の憲法制定運動まで待たねばならなかった。
 日本共産党が戦後いち早く発表した「日本人民共和国憲法案」にも死刑廃止や人民主権、地方自治をはじめ、これら先人の智慧が息づいている。
 現行日本国憲法制定にあたり、先達の智慧や制憲議会(国会)での論戦が日本国民を励まし、国民自らの憲法であるという意識を高めたことは言うまでも無く、現憲法がアメリカ占領軍の押し付けであるという、一面的な論議の力強い反証になるのは間違いない。
 あの戦争の惨禍を経験した当時の国民の圧倒的多数が、戦争放棄・軍隊の不保持を謳った、この日本国憲法を高く評価し歓迎したのも当然であろう。
 この憲法は明治の自由民権運動や大正デモクラシー、昭和の言論・思想弾圧にいのちを賭けて闘った、先人の智慧とたたかいの結晶なのである。(その背景にはいつも戦争があった。台湾・韓国併合戦争、日清、日露、第一次、第二次世界大戦、朝鮮戦争そしてベトナム戦争、イラク戦争・・・)
 私たちは、平和と国民の権利・自由のために命を賭した先人の努力を無にしないように『不断の努力によって、これを保持しなければならない。』義務がある。

日本国憲法 第12条 自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 

日本国憲法は先人の智慧の結晶-5

2006-03-10 19:13:33 | 憲法
江藤新平の民権闘争(1872年)
 佐賀の江藤新平は、明治新政府の国家体制の設計を斬新に行なったが、彼の視点は民権の重視だった。
 彼は西欧への留学の機会をすんでのところで逃し、自らは体験することができなかったにも関わらず、幾多の文献・資料を駆使し、留学組以上の知見を持って、国法(憲法)の骨子をまとめ、民法体系を構築した。
 明治3・4年には、三権分立、上・下両議院、4段階の裁判所(最高裁から簡裁まで)、政府機関などの体系を発表している。
 明治5年から司法卿に任ぜられ、これらの体系を実践にうつすことになるが、(詳しくは省くが)薩長の汚職腐敗を容赦なく糾弾したことが大久保利通や伊藤博文らの反感を買い、「明治6年政変」(1873年;一種のクーデター)で西郷隆盛と伴に下野させられることになる。
 下野後は板垣退助らと共に自由民権運動の一員として「民撰議員設立建白書」にも名を連ねる。
 その建白書の直後、江藤新平は薩長の横暴に反発する郷里の“不平士族”を説得するため佐賀に下野するが、結局彼らの『党首』に祭り上げられる。
 薩長派は江藤新平を「佐賀の役」の首謀者として逆賊に仕立て上げ、捕縛後間も無く処刑されてしまう。
 この結果、彼の民権重視の法体系は殆ど反故にされてしまい、大久保利通が主導する天皇専制の体系へと変質して行くのである。
 江藤新平はその後、最近に至るまで「征韓論に敗れ」反政府反乱を起こしたという、彼の考えとは全く反する汚名を着せられていたが、毛利元就(長州)の末裔でもある毛利俊彦氏や江藤新平の遠縁にあたる鈴木鶴子氏の研究により、その民主制と先見性が再評価され始めた。
【参考:毛利俊彦著「江藤新平」「明治6年政変」】

日本国憲法は先人の智慧の結晶-4

2006-03-09 18:03:18 | 憲法
植木枝盛の国憲案(1881年8月)
 自由民権運動の論客・植木枝盛が同志たちと起草した「日本国国憲案」(全220条・明治14年起草)は大日本帝国憲法(明治22年発効)よりはるかに進歩的であり、条項によっては現行「日本国憲法」以上に革命的である。
 第一編・第一条は「日本国は日本国憲法に循て之を立て之を持す」と憲法による支配を宣言している。
 これに続く第二編・三編は、地方の権限を大幅に認めた連邦制による地方自治を詳細に規定しており(第7条から第39条)、
第4編では日本人民の自由権利を第40条から74条まで細かに規定している。
 現憲法の内容は殆ど揃っており、死刑の禁止(第45条)や、
政府が国憲に反する政治をする場合は従わなくてもよく(第70条)、
「政府恣に国憲に背き壇に人民の自由権利を残害し建国の旨趣を妨くるときは日本国民はこれを覆滅して新政府を建設することを得」(第72条・革命権の明記)
など極めて進歩的な草案である。
 一方で、この進歩的国憲案にも次の第5編では「皇帝および皇族、摂政」と、皇帝が制度として詳細に規定される。(第75条から113条)
 その中では、皇帝は軍隊を統帥し、宣戦講和を行い外国に対して国を代表するという形で、元首として扱われている。
 しかしながら、皇帝は立法院の議を経ずして人民の権利に関する事項を専行してはならず(87条)、連邦行政府に出頭して政治を司る(88条)など
専制支配を禁ずる多くの項目を定め、皇帝を政府の機関として扱っている。
 内容的には大統領制に近いかもしれないが、皇帝を今上(明治)天皇と規定している(第96条)のは当時の状況への妥協か。
 言行録によると植木枝盛の「本心」は全く別で(「朕」という表現を植木自らの呼称とし、馬鹿にして使っていたらしい。いわゆる『先生とよばれるほどの馬鹿で無し』とうところか?)、天皇を方便としながら実権を制約する意図のものであろう。
 なお、97・102条で「女帝」を認めているのも「男女の同権」の著作を書いた彼らしく、女帝問題で右往左往している現在を見透かし、先取りしている。

日本国憲法は先人の智慧の結晶-3

2006-03-08 12:20:35 | 憲法
植木枝盛の民権自由論(1879年4月)
「国は人民の自主自由とならびに公の憲法という二つのものをもて護らねば大丈夫にならず、安全には参り難し」
 『民権自由論』の一節である。
 植木枝盛は民権自由論(文庫本で20頁)の中でギリシャ、ローマ時代の政体の歴史からアメリカの大統領制まで広範に論じ、日本にも人民の自主自由と憲法制定の必要性を訴えている。
 資料に拠れば、この年植木は小高坂村村会議長になっており、翌年には婦人参政権がこの村で実現している【前々回紹介。参考:高知県立自由民権記念館パンフ】
 この著作(演説原稿)の中で、当時の民衆(人民)に向けて「専制抑圧の政治をもて民権自由を束縛するほど悪き事はなく、元来民権を張らざれば国権を張り独立を保つ事もできず、専制の政治はついに国を売るに至るのであります」と今を見とおすように125年前に言っているのである。
 また、彼は『無上政府論』(文庫本で30頁)の中では、現在の国連に相当する「万国協議政府」「宇内無上(国際?)憲法」の制定を主張し、各国の自主独立を認め、干渉主義を排した10項目の大綱を提言している。引用したいところだが、紙幅を費やすのでやむなく省略する。
【出典:家永三郎編、植木枝盛選集(岩波文庫)】

日本国憲法は先人の智慧の結晶-2

2006-03-07 17:44:15 | 憲法
坂本龍馬の「船中八策」(1867年10月)
 江戸幕府終焉の直前、坂本龍馬は彼の構想を現したものとして「船中八策」は有名であるが、これは新しい日本国の骨子を示したものと言えよう。
「一.天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令宜しく朝廷より出づべき事。」(政権交代)
「一.上下議政局を設け、議員をおきて万機を参賛せしめ、万機宜しく公論に決すべき事。」(二院制国会設立)
「一.有材の公卿諸侯及び天下の人材を顧問に備え官爵を賜ひ、宜しく従来有名無実の官を除くべき事」(身分にとらわれない実力主義人事)
「一.外国の交際広く公議を採り新に至当の規約を立つべき事。」(対等な外交・通商)
「一.古来の律令を折衷し、新に無窮の大典を選定すべき事。」(憲法の制定)
「一.海軍宜しく拡張すべき事。」(独立国家主権)
「一.御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。」(藩閥の私兵から統一国家軍へ)
「一.金銀物価宜しく外国と平均の法を設くべき事。」(外国との対等貿易)
 幕府の支配体制が揺らぐ中で、彼は朝廷の名義を利用して反体制派を結束させ(統一戦線)、世の中の変革を無血で目指したのであろう。
 『船中八策』は後藤象二郎から土佐藩・松平容堂(山内豊信:「功名が辻」の山内一豊の末裔)に伝えられ藩論としてまとまり幕府への建白書として提示されることになる(1867年10月3日)。後の板垣退助も彼らと行動をともにしている。
 マルクスの「資本論」が出されたのは、まさにこの年である。

日本国憲法は先人の智慧の結晶-1

2006-03-06 18:09:10 | 憲法
1880年の婦人参政権!(1880年9月)
 明治維新から僅か十数年、土佐の片隅で婦人参政権が実現していたのを御存知だろうか?
 過日、高知旅行に赴いた際、「高知市立自由民権記念館」や「高知県立坂本龍馬記念館」を訪れたが、そこでの見聞は自由民権運動についての認識を新たにさせられた。これも初めて知ることの一つ。
 明治憲法(1889年)公布に先立つ、明治13年(1880年)6月、区町村会法に基づき土佐・上町・町会(町議会)では20歳以上の男女に選挙権・被選挙権がある町会規則を設定し、3ヶ月に亘る県令との闘争の結果、9月20日とうとう県令はこれを認める裁定をおこなった。その後、隣の小高坂村でも同様の内容を実現したのである。
 自由民権の理論家 植木枝盛はこれを称して「男女同権ハ南海ノ某一隅ヨリ始ル」と高知新聞に書いたという。
 おりしもこの年、立志社の同志によって自由民権運動の象徴的存在であった「愛国社」再興の第4会(大会)が開催され、「国会期成同盟」が愛国社とは別の団体として(いわゆる統一戦線のようなものか?)結成された。そしてこれを足掛かりに翌・明治14年(1881年)の「自由党」の結成に繋がって行く。
 そしてこれに前後する明治12年から14年にかけて植木枝盛の「東洋大日本国憲案」(岩波文庫所収:家永三郎解説)をはじめとする40以上(「自由民権記念館」の資料に記載されたものだけで)の民権派の憲法草案が提案された。欽定憲法の明治憲法とは違い、現憲法以上に民主主義的であるところもあり、これらの先人の智慧が日本国憲法にも生きて繋がっているといえる。アメリカ押し付け論を打ち破り、日本人民の宝である憲法を死守する砦ともいえよう。