児童養護施設、寄付、資産家。言葉の並びにウェブスター作『あしながおじさん』を連想する。とはいえ本書に登場するのは、架空のアメリカ紳士ではなく実在の日本人、3年前にこの世を去った自称「おへそ曲がり」の老女である。
使いきれない巨額の資産を得たひとり身の彼女は、存命中も匿名で児童施設に寄付をしながら、弁護士の著者に相談をもちかけるのだ。
「私が死んだら、将来のある子どもたちに遺産を使ってほしいの」
彼女の願いをかなえるべく、はじめられたのが、寄付受け入れ先の施設めぐり。これを「巡礼」と称する著者の思いとは?
13カ所の訪問で浮き彫りにされていく、施設の歴史に落とされた戦争の影や、子どもたちの抱える不条理な事情。それらに自らの過去を重ねた著者は、この仕事に私的な意味をも見いだした。「老女の死」を「子どもたちの生」につなげていく「遺言執行人」としての使命を果たすことこそ自身の変革をなすものだ、と。
ここから「巡礼」につながる糸はややおぼろげながら、1人の人間が平和を祈り、血の通った仕事に尽力する姿と純粋な魂が目に浮かぶ。施設の壁の内側へ注がれた真摯(しんし)な眼差(まなざ)しに、かつて保育士の卵として関連施設に出入りした身にほっとした。大人になるのも悪くない、と著者の背中に触れ、思う。
ノンフィクションである本書の真価は、この依頼にかかわる足跡を克明に記していったことにある。そのため、読者に素性を明かさない「おへそ曲がり」の遺志は肉質を伴って安易な美談に終わることを免れた。
タイトルの「贈り物」は、むろん寄付のみを指してはいない。「博愛の連鎖」を掲げて本書は結ばれる。
資産の有無にかかわらず、自らの遺志によってひらく未来はあるだろう。次代への愛に満ちた志が、もたらすものは計り知れず、しばらく私は途方に暮れた。そして生の尊さに、安堵(あんど)した。(講談社・1470円)
児童文学作家 北川チハル
■ 産経新聞 2007年3月18日掲載