遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『引火点 組織犯罪対策部マネロン室』  笹本稜平  幻冬舎文庫

2024-07-15 17:49:13 | 笹本稜平
 マネロン室シリーズは、『突破口』に引き続く第2弾。平成30年(2018)3月に単行本が刊行され、令和2年(2020)10月に文庫化された。2021年11月著者逝去により、このシリーズはこの二作にとどまる。

 マネロン室とは、警視庁組織犯罪対策部総務課マネー・ロンダリング対策室の略称。犯罪収益解明捜査一係から四係までで構成されている。その四係に所属する樫村恭祐警部補と上岡章巡査部長が四係捜査班の中核人物になっていく。
 樫村と上岡は、仮想通貨ビットコインの取引所の一つであるビットスポットという企業がマネーロンダリングの窓口として使われているのではないかという疑念を抱き捜査をしていた。ストーリーは、ビットスポットのCEO(最高経営責任者)で気鋭の女性ベンチャー企業家である村松祐子に樫村が接触して、任意の事情聴取として面談の機会を作る場面から始まる。この面談シーンでは、話材に現実に起こったマウントゴックス事件が取り上げられていて、冒頭からリアル感が巧みに織り込まれている。
 樫村が軽く村松に接触を試みた後、今度は村松が樫村に相談事を持ち掛けてくる、会社宛で村松にレターパックが届き、中には血のついた小型ナイフと「村松、次はおまえだ」と書いた名刺大のカードが入っていた。一方で、ここ1ヵ月ほど、村松の個人アドレスに不審なメールが届くようになったという。樫村の助言で、村松は会社のスタッフに指示して、オフィス所在地を管轄する愛宕警察署に被害届を提出する。それにより村松を公に保護対象者として扱う契機が生まれる、レターパックや脅迫メールのデータの提供を受けたことで、樫村は捜査の端緒を得る。
 そんな矢先に、世田谷にある村松の自宅が火災に遭う。それも放火と判明する。村松は樫村に相談を持ちかけた時点から、ホテル生活に切り替えていたので、火災に巻き込まれることは回避できた。世田谷署は放火事件として捜査を開始する。
 樫村の携帯にメールが着信する。「警察は手を出すな」という一行メール。発信者欄には<フロッグ>とある。その発信者名は、村松への脅迫メールと同じ。樫村は衝撃を受ける。村松に関係する周辺の問題事象は悪化の方向にステップアップする。

 村松は樫村に相談した後、愛宕署から数百メートルのところにあり、会社にも近い位置の著名なホテルに生活拠点を移した。ところが、愛宕署ではロビーに捜査員が張り付いて警護にあたっていたのだが、無断で行方をくらましたのだ。失踪するという事態の発生は何を意味するのか。
 村松のこれまでの行動と自宅の火災は、一連の狂言、自作自演なのか。疑問が付きまとっていく。

 マネロン室の捜査のターゲットは、ビットスポットを中継にして資金洗浄が行われている事実を掴むことである。ここで、上岡が、違法サイトでの薬物購入とビットコインを使っての決済、資金の移動状況を解明するおとり捜査のアイデアを出す。薬物や銃器等に関してはおとり捜査を適法とする最高裁判例があるのだ。
 組対部五課の薬物捜査第三係の三宅係長、公安部のサイバー攻撃対策センター第四係の相田係長とマネロン室第四係の須田係長、樫村らが、草加マネロン室長の下で、チームを組むことになる。違法サイトでの薬物購入は上岡が担当し、薬物捜査係のメンバーが購入薬物の発注・受取人になる。ビットコイン決済での資金の移動・移転の解明はサイバー攻撃対策センターが担当するという協力態勢である。
 このおとり捜査がどのように進展していくか。その中で、ビットスポットがどのように関わるのかがメイン・ストーリーといえる。

 ここに村松の相談事と失踪という側面がパラレルに織り込まれていく。当初、村松はビットスポットが小規模の組織であり、顧客とは厳正な手続きで対応し、役員を含めて意思疎通は緊密であり、一丸となって運営に当たっていると強調していた。しかし、村松の失踪を契機に、樫村はCOO(最高執行責任者)の肩書を持つ谷本と村松の秘書である西田と接触するようになる。その結果、西田を介して、村松とナンバーツーの谷本との関係が緊密とは言えない状況であることが明らかになっていく。ビットスポットでの主導権争いが行われていたのだ。これに村松の失踪がどのような関係しているのか・・・・。
 さらには、樫村たちがターゲットとしている捜査とビットスポットの内部事情との間には、関わりがあるのかどうか。それは別次元の問題なのか。
 
 村松の自宅の火災事件は、世田谷署が担当する放火犯の追跡捜査としてパラレルに進展していく。この事件がどのように絡んでいるのか。そこにも謎が含まれる。地道な捜査が積み重ねられていく。そして遂に・・・・・。

 個別の事件捜査の担当の壁を越えた情報の共有化が事件解明への大きな梃子となっていく。この局面が一つの読ませどころに繋がっていく。

 このストーリーの根底に、著者が仮想通貨とはどういう世界かを描こうとした意図があると思う。そこにはリアル通貨とは全く違うフェーズに切り替わって行く危うさが現れる。
*ビットコインは、サトシ・ナカモトなる謎の人物の論文をもとに2009年に運用が開始された。 (p15)
*(運用とは)ナカモト論文をもとに有志のプログラマーが結集してつくったオープンソースのプログラムをせかいの人々が利用するようになったという意味であり、そのこと自体、歴史的にも画期的な出来事だった。 (p15)
*仮想通貨はたしかに便利なものかもしれないが、そこには国境の概念がなく、金融当局のコントロールも利かない。おれたちがいま乗り出している国際的なマネーロンダリングの規制も、その領域では絵に描いた餅になりかねない。 (p430)
*ブロックサイズ(取引履歴をまとめたデータの集まり)がシステム上の上限に達しつつあることを原因とするビットコインの分裂の状況、その結果と新仮想通貨発行の状況描写
  (この項は要約表記、p455-457)
他にも各所に関連事項が書き込まれている。この世界が垣間見える。

 著者は、仮想通貨の世界における規模のメリットが悪用される可能性に着目しているようだ。村松の秘書西田と樫村との会話の中で、こんなことを語らせている。
「ビットコインの世界は、いま引火点に近づいていると、村松はよく言っていました。
 有害な勢力がそれを利用することによって、ビットコインが歪められた方向に発展するターニングポイントを、CEOはそう呼んでいたようです。」(p437)
 タイトルの「引火点」はここに由来するようだ。

 このストーリーのおもしろさは意外な着地のさせ方にある。その意外性をお楽しみいただきたい、この落とし所、よく考えているなと思う。

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
ビットコイン :「NRI」
BTC(ビットコイン)とは  :「ビットバンクプラス」
暗号資産(仮想通貨)って何?  :「全国銀行協会」
マウントゴックス事件とは? ビットコインが消失した事件の全貌を知る:「DMMBitcoin」
マウントゴックス、10年越しに債権者へのビットコイン返済  :「COINPOST」
Torブラウザーとは?どういった経緯で産み出されたのか? :「サイバーセキュリティ情報局」(Canon)
史上最大の闇サイト「Silk Road」から、30億ドル超ものビットコインを盗んだ男の手口
         :「WIRED」
米司法省が押収したシルクロードのビットコイン20億ドル、新たなウォレットに移動
        :「COINTELEGRAPH コインテレグラフジャパン」
8・01ビットコインの分裂騒動とは何だったのか  :「東洋経済ONLINE」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『特異家出人 警視庁捜査一課特殊犯捜査係堂園晶彦』 小学館文庫
『卑劣犯 素行調査官』   光文社文庫
『流転 越境捜査』   双葉社
「遊心逍遙記」に掲載した<笹本稜平>作品の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 29冊

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