遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『流転 越境捜査』 笹本稜平  双葉社

2023-04-08 22:13:52 | 笹本稜平
 越境捜査シリーズの第9弾。多分これがこのシリーズの最後だと思う。「小説推理」(2020年11月号~2021年11月号)に連載された後、2022年4月に単行本が刊行された。
 著者は惜しくも2021年11月に逝去された。合掌。愛読作家の一人。未読本を今後読み継いでいきたいと思っている。

 この越境捜査シリーズの興味深い所は、警視庁捜査一課の扱いで迷宮入りした事件を継続捜査対象として取り組む警視庁捜査一課特命捜査対策室特命捜査第二係が担当する捜査活動という点である。捜査の対象となる事件自体が最初から難解な問題点を抱えている。第二係係長は三好章警部。第二係所属の鷺沼友哉が中核的存在となる。そこに相棒の井上拓海巡査部長が関わる。井上は法学部を卒業した大卒で、ITスキルに長けているという強みがある。第二係としては、鷺沼を核に上司の三好、相棒の井上とのチームプレイとなる。
 ここにおもしろみを加えるのは宮野裕之。彼は神奈川県警の瀬谷警察署刑事課所属の万年巡査部長で、鼻つまみ者の不良刑事として知られた存在。宮野が鷺沼に大金の匂いが紛々とする事件絡みの話を持ちかけてくる。彼はギャンブラー。入手した金をほとんど競馬等のギャンブルに注ぎ込みすっている。あくどい事件の犯人という証拠を掴み、まず密かに交渉して、経済的制裁という名目で金を強請りとりたい。その金をギャンブルの元手に一攫千金を夢見ている。己の臭覚が働くと、そのネタを鷺沼に持ち込んで来て、鷺沼たちの捜査にただ乗りして、経済的制裁を加えて余禄をせしめようという魂胆である。

 もともと鷺沼らが扱うのは迷宮入りした過去の事件で、一筋縄では行かない事件ばかり。それ故、通常の適正な捜査手法に依拠しているだけでは壁を乗り越え難い段階に立ち至る側面がある。事件の証拠を掴むために、とりあえずイリーガルな側面を持つ手法を捜査に採り入れたい場合が出てくる。そこで内密にタスクフォースとして、一歩踏み込んだ活動をパラレルに行う。この側面を伴うのがこのシリーズのおもしろさになる。このタスクフォースの側面に宮野が加わる。さらに、宮野の友人で、現在はイタリアンレストランチェーンの経営者となっている福富憲一が参加する。彼は元ヤクザで未だに情報収集面で古巣との繋がりを維持している。裏情報に強みを発揮し、グレーな情報収集手段の導入にも一役を果たす。もう一人、警視庁碑文谷警察署の刑事で、井上の恋人である山中彩香巡査が加わる。彼女は基本的には非番の日にタスクフォースが組まれるとその一員として役割を担っていく。
 宮野は経済的制裁を加えるという名目で如何に金をふんだくるかしか考えていない。鷺沼はその宮野が暴走しないように四苦八苦することに・・・・そこが毎回おもしろい局面になっていく。また、三好、井上、彩香が宮野の経済的制裁という考えに食指を感じ、宮野に染まりつつあると鷺沼が感じ始めている。それが行く先の微妙さというおもしろみにもなる。

 川崎競馬場で軍資金が底をついた宮野は、帰路に偶然、国際指名手配になっている木津芳樹を目撃した。大きなスーツを携えた海外旅行帰りのスタイルだった。宮野はその男の後を付け、新横浜通りから脇道に入ったところの小ぶりなマンションに入ろうとする時に、声を掛けてみた。そのリアクションから宮野はその男が木津だと直感した。それがこのストーリーの契機となる。宮野のそこに大金の匂いを感じ取る。なぜか?
 それは、12年前の殺人事件に絡んでいた。東京都下の奥多摩町の山荘で、IT分野でアクトサイト社を上場し富豪となった社長夫妻と息子の一家三人が惨殺された。被害者は沼田謙三45歳。妻39歳、息子12歳だった。遺体発見が数日後となり、初動捜査の遅れで捜査は難航。だが、現場の数少ない遺留品から、二人の中国人が被疑者と判明。彼らは犯行を認めたが、一方で二人が同一人に教唆された旨を告げた。それが木津だった。当時31歳の木津はメガバンクの行員で、被害者の銀行口座から20億円を上回る金額を引き出し、オフショアの匿名口座に振り込んでいた。被疑者が犯行を認めた時には、木津はすでに日本を離れていた。木津を教唆犯と判断した時点で、山荘において鑑識により収集されていた現場の遺留品の中には捜査対象として注目されていないものがあった。そのことを鷺沼は後に、鑑識の木下から知ることになる。
 その匿名口座の真の所有者の特定に手こずっている間にその口座そのものが消えてなくなっていた。木津は教唆犯として国際指名手配された。二人の中国人には死刑が確定したが、教唆犯の木津が逮捕されない限り彼らの死刑執行は先送りとなる。
 この事件、日本の警察は国外での捜査権がないので、国外逃亡した木津の逮捕は絶望視されるていた。そして、この事件は継続捜査の範疇に入れられた。
 本当に木津が帰国したということなら、鷺沼たちにとっては、まさに本来の捜査事案となる。さらに言えば、捜査一課の殺人班に横取りされかねない事案にさえなる。

 宮野が追跡した小ぶりなマンションは、ファインマンスリー石川町というマンスリーマンションと判明した。鷺沼と井上はその運営会社への聞き込み調査から始め、木津の部屋を監視対象にしていく。鷺沼たちが赴いた運営会社・創栄エステートでは、総務部長の中村が応対した。鷺沼と井上は中村とのやりとりからスッキリしない感じを抱く。
 マンスリーマンションを監視中、中村が高木と名乗っている木津の部屋を訪れる。その様子を探っていた宮野は、中村のしゃべり方がヤクザまがいの口の利き方をしていることを見聞した。鷺沼と井上には中村の身辺捜査を広げ深めて行くにつれ、中村の素性が徐々に見えて来る。さらに、木津と中村の接点がメガバンクにあったことも判明する。鷺沼は木津の背後に中村が絡んでいるのではないかという推測に導かれていく。、

 この小説の転換点は、鷺沼と井上がマンスリーマンションを監視中に、木津がマンスリーマンションから飛び降り自殺を図る時点である。事件の教唆犯とみなされていた木津の自殺を思い留まらせようとする鷺沼に対して、木津は言う。「おれはどのみち死ぬしかない。あんたたちの手によるか、あいつの手によるかどうかの違いだけだ。おれはどっちにも殺されたくない。だから自分で自分の始末をつけることにしたんだよ」(p98)と。飛び降り自殺を図った木津は重態ながら命だけは繋ぎ留め、横浜市内の病院のICUで治療を受けるに至る。ここから事件は新たなステージにステップアップしていく。

 木津の発見に対して、警視庁捜査一課殺人班が特捜本部を設置して、三好らからこの事件を取り上げてしまう。一方、三好たちは、あくまで元の事件を継続捜査事案として捜査し続ける方針を貫く。そこには経済的制裁という思いも内心に潜んでいるのだが。
 この2つの流れがここから発生して進展していく。
 彩香が特捜本部に協力する所轄署刑事の一人として名乗り出て捜査に加わわる。いわば、タスクフォース側のスパイ的役回りを引き受け、二つの流れの状況・情報のリンキングポイントになる。この二つの捜査活動の流れとコントラストが一つのおもしろさとなる。
 
 鷺沼は、中村が教唆の本星ではないかという推測のもとに、中村とその周辺の人間関係を徹底的に捜査する。戸籍などの事実証拠が積み上げられ、聞き込み捜査が続けられる。様々な視点から状況証拠を累積する。だが、確定できる証拠なかなか見出せない。そこでタスクフォースの立場を持ち込み、刑事の捜査方法としてはイリーガルな捜査方法を併用するに至る。福富の経営するイタリアンレストランをうまく使い、中村とその関係者の行動に対する監視、盗聴・盗撮や中村のDNA鑑定用資料の収集まで踏み込んで行く。このあたりから通常の刑事警察小説とは異なるおもしろさが加わる。
 
 総ページは414ページ。木津が自殺を図る前後のシーンは第四章の冒頭、97~101ページに描写される。つまり、中村を本星と仮定した後、鷺沼たちの表の捜査とタスクフォースとしての裏の行動が織り交ぜられて進行する。それがこのストーリーの本命となっていく。

 キーワードの一つはDNA鑑定である。そのDNA鑑定は一旦挫折する。だが、そこにどんでん返しを起こす伏兵が潜んでいた。その盲点がまずこの作品発想のモチーフにあったのではないか。そんな気がする。
 もう一つ、中村がおかしたうっかりミスが彼にとっての致命的な痛手になっていく。それが何かも本書でのお楽しみみなる。それがいわゆる経済的制裁に関わっていくのだから。

 警察組織という点では、木津をあくまで教唆犯として一件落着させようとする捜査一課の特捜本部体制の結末と、三好や鷺沼たち捜査一課特命捜査対策室特命捜査第二係が捜査で出す結論が対立する事になる。当然ながら組織内での軋轢は必然である。この軋轢をどのように処理できるのか。これが重要問題になる。なるほど、その手があるのか・・・・。この落とし所も楽しめる局面である。

 このシリーズのこの後の構想を著者はいくつも温めていたのではないか。著者の逝去が惜しまれる。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
刑事訴訟法  :「e-GOV 法令検索」
刑事訴訟法  :ウィキペディア
三次元顔画像識別システム  :「警察庁」
顔認識AIの仕組みを解説!顔認証システムの作り方と活用事例  :「AI Smiley」
画像認識技術の仕組みは?種類や最新の活用事例、AI(ディープラーニング)の活用における変化について  :「ASIA-AD」
筋弛緩薬の解説  処方薬事典  :「日経メディカル」
骨髄移植について  :「大阪府」
DNA型鑑定  :「警察庁」
DNA鑑定 法科学鑑定研究所 ホームページ
DNA鑑定について 遺伝子情報解析センター ホームページ
グローバル・ポジショニング・システム  :ウィキペディア
自動車ナンバー自動読取装置  :ウィキペディア
車両ナンバープレート認識管理システム  :「HITACHI」
リレーアタックとは?スマートキーの悪用による盗難から車を守る対策方法を解説
                    :「強くてやさしいクルマの保険」

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